9話 荷車と風の香りデイズ
商隊の行軍
相乗りと
思惑
才能屋目掛け
次の町へ
まだ淡い
青い
恋
朝霧の残る野道を、ぎしぎしと木の車輪が軋む音がゆっくりと進んでいく。
荷馬車の揺れは一定のリズムを刻み、座っている腰にそのまま伝わってくる。
俺は、ふらつきながら薄い布で覆われた荷物の隙間に腰を下ろす。
「(えっと、2番目の町の名前ってなんだったっけかな。いきなり水とか火とかの属性系は使ったりしないはずだが)」
順繰りに思いだしていくかと思いきや、そう上手くはいかないらしい。
ここ数日過ごしたバイトしてただけ。ヴェル・エグゾディアの記憶は未だに朧だった。
「買い出しっていう名目だけど休みがもらえて良かったぁ。あのまま週休0日労働だったらどうしようかと」
「私としてはナエ様がてきぱき働いてくださるから毎日楽しいですっ! 今日お母さんがお店を閉めるのもたぶんお家のお金に余裕ができたからですよっ!」
隣では旅装の勇者ちゃんが、借りてきた猫のようにちょこんと座っている。
胸に大きな顔を抱え、詰めたいっぱいの干し果物を揺らさぬよう気をつけながら、道の先をじっと見つめていた。
荷馬に幌はなく青く広大な空がどこまでも広がっている。商隊にまじって移動するというのは、思っていたよりも静かで、のんびりしていた。
だが、その分、ひとつひとつの音や匂いがくっきりと伝わってくる。木のきしむ音、馬の鼻息、誰かがかすかに口ずさむ古い民謡。
そんななか俺は、ふと隣の勇者ちゃんが気になっていた。
「なんか出発してからずっと黙りこんでるけど、どうかしたの?」
こういう遠足みたいなシチュエーション大好きなはず。
なのに勇者ちゃんは、ときおり瞬きをするくらいでコンパクトに固まっている。
先ほどから話しかけても微妙に上の空だったりと、様子がオカシイ。そしてどうやらいまの問いかけでさえ耳に届いていない。
「(……しめしめ)」
そろり、そろり。俺のなかでちょっとイタズラ心が芽生えてしまう。
勇者ちゃんのほうへ身体を傾け、忍び寄る。
白い頬横で唇を僅かにすぼめ、「ふっ」と耳に向かって吐息を吹きかけてみた。
「――ひゃっ!?」
予想通り。否、予想以上に可愛い反応だった。
勇者ちゃんは、小さく跳ねるように肩をすくめ、ぴょこんとこちらを振り返る。
俺を映す大きな瞳がぱちくりと瞬きを繰り返す。まるでなにが起きたのか理解できない、と。そんな仰天顔をしていた。
ニヤつく俺を見て状況を理解したのか、勇者ちゃんは頬をぷくりと膨らませる。
「な、ナエさまぁ~~!」
膝の上でむぎゅっと両手を握りしめた。
ぷりぷりと怒る表情も愛らしく、羞恥で桜色になっている。
「いきなりイタズラしちゃめっ、ですよ!」
わたわたと抗議するその様子が面白くて、やはり笑ってしまう。
「ごめんごめん。なんだかアンニュイな横顔してたから、つい」
「商隊の馬車に乗ったのはじめてなんでちょっと緊張してるんですっ! なんでナエ様はそんなに気楽でいられるんですかっ! ここは危険な村のお外なんですからねっ!」
顔を真っ赤にして怒ってるけど、どこか恥ずかしそう。
だが抑揚ある曲線にバスケットをぎゅっと抱きしめた姿こそ俺の求めたモノでもあった。
「さっきから回りをきょろきょろしてるけど、そんなこと気にしてたんだ」
「そんなことって、この間のゴブリンの1件から私も学んだんです。このたくさんの荷物をいつ魔物たちが狙ってくるかわからないんですから」
「だからこそ商隊の人にお金払って乗せてもらってるんじゃないか。もし魔物が飛びだしてきても回りの冒険者や護衛の人が勇者ちゃんを守ってくれるさ」
そのための商隊である。
商売のためにやとわれた護衛の頼もしいことこの上ない。同行する冒険者たちもあるていどの防具に身を固め、武器を携えていた。
肩肘張る勇者ちゃんをよそに、俺は荷に背を預けて伸びをする。
「時間的にもう少しでつくと思うし、町に着いたらなにか美味しいものでも食べようか。もらった賃金もあるわけだし色々お世話してくれてるお礼もかねて奢らせてよ」
「なんて呑気な……ナエ様って出会ったときからそうですよね。川で遊んでて服も装備も奪われちゃうくらいだし……」
「それは……あれだ。男たるもの清潔で身だしなみには気を使わないと、だな」
「気を使った結果が裸だったんですが……」
慣れぬ田舎娘の小さな冒険。
遠出は、やはりどこか緊張が抜けないという様子だった。
「(警戒するのも無理はないか。なにせ数日前にゴブリンに襲われたばっかりだもんな)」
勇者ちゃんの瞳があらゆる方向を鋭く走る。
草葉の陰、風のざわめきにさえ息をひそめ、丘の向こうに立ち止まる。
雲の合間からこぼれる光似目を細め、落ち着かないなまじ真剣な顔で、きょろきょろと周囲を見渡す様はまるで獣道に迷い込んだ小動物のよう。
「(それにしても冒険者や護衛もいるのに怯えすぎじゃないのか……?)」
張り詰めすぎ。過剰防衛。
このままでは町への道中、彼女の精神がもたない。
「――ぴゃうっ?!」
同じ手で可愛い反応が返ってくる。
「はは! またひっかったぁ!」
「もうっ! 次やったらやり返しますからね!」
せっかくのデートなのだから楽しまないと損ではないか。
なにより、この世界を旅するという感覚が、心の奥にじんわりと染みこんでくる。
そこからも勇者ちゃんの警戒は杞憂で、とくに接敵もなく緩やかな旅路だった。
そして小高い丘を越えたあたりで、ようやく目的の町が目下に広がる。
「あそこがモリシアの町ですよ!」
御者が手綱を引きながら、にこやかに町を指さした。
その視線の先には、緩やかな丘陵に沿って点在する木造の家々が。町の中央にそびえる大きな樫の木、そして風に揺れる花畑が広がっている。
「モリシアは、風と緑の町なんです。精霊たちがよく遊びにくるって噂でしてね。旅人にも優しいところですよ。薬草も名産で、癒しの香りが町じゅうに漂ってます」
御者は目を細め、どこか懐かしむように町を眺めた。
「あそこに才能屋があるって聞いてるんですけど? どの辺にあるのか知ってたりしますか?」
「おや? その年で才能屋に初挑戦ですかい? 普通もっと若いうちに才能ってのは見てもらうもんですがね?」
言われてみれば確かにそうだ。
俺は、似たような理由でシセルも首を傾げていたことを思いだしていた。
「まあ才能屋ってのはある意味もってないことを知らされちまうから。そういうのを親が嫌って子供の夢を塞がないよう遠ざけるってのも良くある話でさぁ」
お喋りな御者はシワを深めて高らかに笑う。
「ちなみにアタクシハてんで商才ないってのに行商をやってます。才能ないながらにしても食いぶちを稼ぐくらいはおてのもんです。あるにこしたことはないのでしょうけど、なくたってなんだかんだ生きていけるってもんです」
なんとも身に沁みる話だった。
才能がすべてではない。才能のないことへ挑戦するのもまた人生と語る。
その口ぶりに後悔は微塵もなく、どこか誇らしげですらあった。
「そういう行商人さんはなんの才能があるって言われたんですか?」
「鷹匠」
「鷹匠って……鷹を育てて芸をしこんだりするヤツですよね?」
「これを聞いた人、だいたい驚くんですよ。でもねえ、今の時代、鷹で食っていけると思います?」
「……まあ、鷹でモンスター倒す人とか聞いたことないですね」
そう、才能は人それぞれなのだ。
使うもよし、使わぬも自由。道は決して1本ではない。
後半のほう。御者のおっさんの目が死んでいたのは、俺の気のせいじゃなかったはず。
商隊はゆるやかに坂を下り、モリシアの町の門前へと近づいていく。
「開門! かいもぉぉん!」
号令が放たれると木組みの門は開け放たれていった。
開いた町のなかからはのんびりとした笛の音と、人々の明るい声が聞こえてきくる。
無防備なアークフェンとは違い、柵がくるりと町を囲む。しかし柵は木製で背が低い。侵入を防ぐというよりは、町の枠組みを主張しているかのようだった。
商隊と別れた俺と勇者ちゃんは、石畳の道で漠然と佇む。
「ど、どうしましょう!? 私たちだけになってしまいました!?」
勇者ちゃんはすっかり元通りになっていた。
くるくると周囲を見回し、期待にきらきらと瞳を輝かせている。
踵で石畳を踏むたびたわわな胸元がどきどきと弾む。彼女の冒険心が物理的にも存在感を主張していた。
「そうだなぁ……とりあえずは」
「まずは市場で名物を食べないとですよね!? で、宿を確保して、それから町の観光を……」
わくわく、きらきら、どきどき。勇者ちゃんの感情が一気にあふれだす。
旅の不安を吹き飛ばすように、彼女はもうすでに観光モードに突入していた。
「……落ち着いて。あんまりはしゃいで迷子になるのだけはかんべんして」
「えっ!? あっ、す、すみませんっ!」
初めての町にテンション爆上がりだった。
「と、とりあえず……まずは地図っ! 町の地図を探しましょう!」
勇者ちゃんは、抑えきれない様子で息を整えた。
見渡す限り、軒を連ねる屋台、賑やかな人々の声、風に揺れるカラフルな布。
目に入るものすべてが田舎者にとっては新鮮で、魅惑的だった。
「おいしそう……あ、あれ可愛い……うわ、なにあの占いの店、すごく気になる……!」
勇者ちゃんの足が自然とふらふらと動き出す。
だから俺は慌ててそっと手を繋いで引き留める。
ふわり、と。思っていたよりも小さくて、柔らかい。体温も高くて一瞬、どきりとした。
「っ……あ、ご、ごめん、つい……!」
俺が慌てて手を離そうとすると、勇者ちゃんも少しだけ目を見開く。
そして有耶無耶な空気が流れ、ほんのりと頬を染める。
「ご、ごめんなさい……! ちょっと浮かれちゃって……!」
勇者ちゃんは、ほんの少しだけ指先を握り返してから手を離す。
喧噪の賑わいが遠のいて、妙に2人の間に距離を感じた。
それから曖昧な距離感で町の探索へと繰りだすのだった。
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