87話 訓練場は花の香り《Fragrance Battlezone》
大ギルドには冒険者に必要な素養を学ぶ場が完璧に用意されている。
魔物や罠の学ぶのみ限らない。サバイバル術や食材の適切な保存法。貴族や王族と対峙する身の振りかたや、テーブルマナーでさえ望めば学習の機会が与えられた。
そしてここ大ギルド訓練場こそ花形となりうる。あらゆる武器、あらゆる魔法、あらゆる己に適した戦闘技術を身体に叩きこむ場だった。
なにより生存するため。なにより命を繋ぐため。日々、訓練場の砂は冒険者たちの意志と汗を吸いつづける。
「そこ! 剣に身体が振る舞わされているぞ! 力だけで武器を振るっている証拠だ!」
「はいぃぃっ! いち、に、さん、し!」
基礎である素振りでさえスパルタだった。
桜色の鎧を着た女性の手には馬を走らせる鞭が握られている。
「何度いわせるつもりだ新米小僧もっと踏みこみに気合いを入れろ! 貴様のダンスはゴブリンどもがはしゃぐ姿にも劣って醜いぞ!」
「いひぃぃぃぃぃっ!? もうかんべんしてくれえぇぇ!?」
ぴしゃり。また容赦なく教鞭が振る舞われた。
手の甲を打たれたリーファは剣を落とし、膝から崩れる。
「どうしたゴブリン以下の生ゴミ? 貴様がいっぱしの男に見られたいのならいますぐ立ち上がれィ!」
「ぎえええええええ!?」
まさにスパルタだった。
騎士のお姉さんによる完全調教風景に悲鳴が鳴り止まない。
そもそも甘えきって腐っていた。そこに真の騎士が教えを説くのだ。こうなるのは当然の報いといえる。
さらにあちら側でも似たような光景が繰り広げられていた。
「集中こそ魔法の神髄よ! つまり魔法の威力向上とマナの節制の要は集中力にある! 一瞬たりとも集中を乱さぬことこそ魔法使いの基礎ともいえる!」
「…………っっ!」
リーファのほうとは違って、エリンのほうは比較的に静寂としている。
でも決して楽というわけではない。座禅を組んですでに2時間が経過していた。
「しゅうちゅう、しゅうちゅう、しゅうちゅう……!」
念仏のように繰り返す。
水滴が顔中にしどとあふれて風呂上がりくらい濡れそぼっていた。
そこへローブをまとった美女がすっとエリンの耳に息を吹きこむ。
「ふっ」
「――ふやんっ!?」
艶めかしい強制とともに肩がひくん、と跳ねる。
「ふふっ、小鳥がなくような可愛らしい声だこと。でも集中力を乱したわね、罰として30分追加よ」
「ひゃ、ひゃいぃ! ごめんなさいお姉さまぁ!」
猫を撫でるような声にエリンはうっとりと目尻を垂らして頬を染める。
修行を介して師弟関係、もとい主従関係が確立されていた。
このように花の隊全面協力による修行の幕開けとなっている。
「(とはいえ花の隊の通常訓練に乗っかってるだけだがな。それでも腐抜けたアイツらにとってはかなり効くだろう)」
アフロディーテの誓いから1晩が明けた。
そして本日より冒険者矯正プログラムの本格始動、ならぬ本格指導の開始だった。
周囲には当然だが大ギルドのそうそうたる冒険者たちも修行を行っている。
だが花の隊の修行ともなると冒険者たちとは質も量も段違い。
「脇を開くなァァ!! 背を丸めるなァァ!! もっとしなやかに体捌きをこなせェェ!!」
「いでぇ!? は、はい! わかりましたぁぁ!」
教鞭が鋭い刃の如くリーファの肩をひっ叩いた。
当然だがエリンのほうにも魔の手が忍び寄る。
「首筋を撫でられただけで感じるなんてずいぶん敏感な子猫ちゃんねぇ? このままだと夜にはどうなってしまうのかしらぁ?」
「――ひんっ!? ちゅ、ちゅぎはもっとがんばりましゅぅ!?」
リーファとエリンがコッテリと絞られていると、周囲の視線も集まる。
2人を見下していた冒険者の数名が奇妙なものを見る目を向けていた。
冒険者たちは口々に疑問を吐露する。
「なにやってんだアイツら?」
「あれって王都の精鋭部隊じゃないか?」
「なんであんな落ちこぼれに花の隊が協力してるの?」
数多くの者たちが打ちこみの手を止め、釈然としない眼差しをしていた。
唐突に勇敢な美女たちが訓練場へ現れたのだから無理もないか。
花の隊との契約は、自分たちの訓練の合間に、リーファとエリンを鍛え抜くこと。決して花の隊の足を引っ張らないよう調節されている。
正直なところかなりありがたい。かなりありがたいのだが、1つだけ納得いかないことがあった。
それは隊長であるアフロディーテが俺の専属になっていること。
「木剣で簡単に息が上がるようではあの精霊の剣は扱いきれませんよ」
剣風が舞う。
容赦のない連撃が暇なく襲いくる。
「グッ!? なんのおおおおお!!」
「素晴らしい気迫ですわ。しかし気迫のわりに身体が動いていませんね」
可憐な見た目で華麗なダンスとはいかない。
力と速度の乗った流々とした舞い。飛びだす剣技は苛烈というしかなかった。
情熱的な誘いを受けて幾星霜のときが経っただろうか。思考が宇宙に辿り着くほど、アフロディーテとの打ちこみはベリーハードすぎる。
「だあああああああああああああ!!」
「せいっ!」
「――うっ!?」
アフロディーテの合わせにより木剣が空へと放りだされた。
さらに俺の眉間へ彼女の剣先が突きつけられて、仕舞いである。
すでに体力の限界をとうに超えていた。俺は吸いこまれるように砂の上に尻を落とす。
「くっそ! なんでこんなに当たらないんだ!」
「ワタクシがナエ様の剣を避けているからです」
腑に落ちない。
ニコニコでご機嫌なアフロディーテもそうだが。
なんで俺までこんなハードランディングをかまさなければならんのか。
「(大ギルドでレベルアップを図ってはいたがここまでは望んでないぞ!)」
本来ならリーファとエリンを助けるのが目的だ。
俺まで2人の強化プログラムに参加するいわれはないはず。
なのにアフロディーテが嬉々として俺を鍛え上げようと躍起になっている。
「はぁ、はぁ、はぁ……! さすがにここまでしてくれとはいってないんだが……!」
「あら? もうおへばりになったのですか? グレーターデーモンと戦っていたときの勇壮な印象とはだいぶん異なりますね?」
「そもそも俺は剣技なんて習ったことがない! もしやらせるのならもっと初心者に向いたやつを所望する!」
こんなことに付き合ってられるか。
俺は大の字に横たわってアフロディーテからそっぽをむく。
「あらあらもう降参ですか? レーシャ様のほうはとてもがんばっておられますのに……」
「……なに?」
投げだした四肢に再び力が籠もる。
身を起こして向こう側を見ると、レーシャちゃんがいた。
しかも花の隊の隊員とほぼ互角に対峙しているではないか。
「いいですよ滑らかな身のこなしです! まさに一陣の風のよう!」
「ふっ! ありがとうございます! てやっ!」
「(す、すげぇ! 超高速の剣を次々に捌いては避けている!)」
隊員とレーシャちゃんの動きは常軌を逸していた。
どちらも絶対に手を抜いていない。剣が奏でる風音だけでわかってしまう。
周囲の冒険者たちが尊敬の目をするくらい、その一角だけすごい動きをしている。
「レーシャ様はうちのどの隊員より回避力と投擲の正確さをおもちのようです」
「いや、俺もあれほどとは思わなかった。いつの間にあんな技術を身につけてたんだろう」
俺の目はすでに釘付けとなっていた。
しかも隊長であるアフロディーテが賞賛するレベルとは。
「素晴らしい! どこでこのような卓越した技術を体得なさったのですか!」
「これはお母さん、母に教わった技術です! 毎日イヤってほど家に罠を仕掛けられたので身体が覚えました!」
あの変態のせいか。
レーシャちゃんが回避と投擲を行う。それを隊員の女性は弾きながら追い打ちをつづける。
さながら花鳥風月の踊り。2人の美女が風と一体になって舞いつづけていた。
「あちらの冒険者の2人も粗末ながら決して折れぬ心をもっていますね。あれほどうちの隊員にシゴかれて諦めないのは珍しいです」
アフロディーテの双眸が鋭利に細められた。
見つめる先ではリーファとエリンが汗だくになって技術を磨いている。
イヤだ無理だ、と口で言いながらも絶対に拒否はしない。
「(やっぱりアイツらはそんじょそこらの落ちぶれたゴミとは違う。誰かがやれと言ったら意地でも食らいついてくる)」
不思議と俺は、2人に期待をしていた。
そうじゃなかったらこんなことさせることなく見限っていただろう。
ようやく呼吸のほうも整ってきた。なおも身体は悲鳴をあげているが。
「そういえばアンタらが大ギルドにいる理由を教えてもらってなかったな」
でももうちょっと休みたい。
俺はアフロディーテを低い位置から見上げた。
すると彼女もこちらへ微笑んでからそっと隣に腰を据える。
「大ギルドの冒険者とワタクシたち王都の兵は密接な関係を保っているのです。外側の情報や王都以外の町、村の動きは冒険者のフィールドワークによってまかなわれています。ですのでときおりこのように直接お礼をしに出向くこと機会も多いのですよ」
近い。肩が触れるほどの距離だった。
しかも語る声も若干ほど吐息混じりで色っぽい。
彼女が声を紡ぐたび背筋を撫でられるような錯覚を覚えてしまう。
「そういえば六冠のサーファが言ってたな。賊の討伐は自分たちがやってあとは衛兵に任せたとか」
「ええ。六冠のかたもそうですがところどころで我々は助け合う関係にあるのです。ときには冒険者と兵が対峙することもありますけど、大ギルドの冒険者は別です」
信頼の上に成り立つ関係ということか。
武力では国の兵が上ではあるが、フットワークの軽さは冒険者のほうが上ということになる。
もちつもたれつの関係では、少なからず互いを尊重し合っているのだ。
とはいえお礼のために赴くのは騎士の仕事ではないはず。
「まぁーだ花の隊は巡業とかお飾り騎士団をさせられているのかぁ?」
「ワタクシたちほど客先に出向くことにむいている隊はそうありませんもの。これもまた適材適所というものですわ」
俺のへの字口から察してか、アフロディーテはくつくつ喉を奏でた。
「ナエ様が心配なさるような身の振りかたは求められていません。ワタクシの呪いが抑えられたことでちゃんと騎士の功績が認められるようになったのです」
「いままではエロ親父状態で仕事を回してたヤツが正気に戻ったってことか。呪いを遠ざける意味で作られた花の隊がいまようやく咲き始めたんだな」
鍛錬している光景から見ても花の隊は超1流の騎士だ。
いままでは魅了の香によってその真価は有耶無耶となっていた。
しかし呪いという枷が外れたのであれば、評価は真っ当になっていくのも頷ける。
「もう1度おっしゃいますが……これはすべて貴方様のおかげなのですからね」
俺の手に手甲を帯びた彼女の手が重ねられた。
指が蛇のように絡められ、革生地の向こうから彼女の体温が伝わってくる。
「花の隊が存続しているという責任をきちんととっていただかないと」
しなだれかかるよう吐息が頬をかすめた。
まるで幻惑だ。俺は肩でアフロディーテを支えつつも捕らわれぬよう目を逃がす。
「そ、それは俺の責任っていうかアフロディーテががんばって築き上げたものだろ!」
「いいえ、ワタクシがこれほど貴方様を思ってしまうことこそが責任の所在なのです。だからちゃんとお鎮めになっていただかねば……」
吐息と首筋から香る甘い匂いに脳がくらくらする。
それは男のみを惑わす魔性のフレグランス。高い香水でも使っているのかと思うくらいの強烈な色気が鼻腔を貫く。
「今夜、ワタクシの泊まっている宿におひとりでおいでになって。香に惑わされた者たちが求めたものを貴方様にさしあげ――」
「エッチな気配は成敗ですっ!!」
言い終わる直前に割って入る。
砂埃のなかから颯爽とレーシャちゃんが現れた。
訓練ではあれほど余裕だったのに、いまは肩で息をしている。
「はぁ、はぁ……っ! こ、こんなひと目も多い大きなところでいったいなにをなさっているんですかぁ!」
「あら、ワタクシはナエ様の鍛錬を手伝っていただけですわっ。レーシャ様のおっしゃるようなふしだらなことはしておりませんっ」
そう言いながらアフロディーテは俺の腕に絡みつく。
「じゃあ! いますぐ! 離れてください!」
「ああ……ちょっと動きすぎたせいで目眩がぁ」
「騎士のかたがなにをのたまっているんですか! いいから早く離れてくださぁぁい!」
レーシャちゃんがたまらずといった様子でアフロディーテに組みついた。
しかしアフロディーテも騎士団長。いっこうに離れようとはしない。
「あー……前もこんなことあったよな」
「んにぃぃぃ! んにぃぃぃ! はーなーれーてー!」
「レーシャ様はついぞ一緒におられるのですから今日はワタクシがナエ様をお借りする番ですわ」
「ナエ様はレンタルなんてしてませーん! 本日の営業は終了しているのでお引きとりくださーい!」
美少女と美女がとりあってくれるのだ、悪い気はしない。
だが周囲の視線も気になるし、なによりこれではリーファとエリンに示しがつかない。
期限は1週間。その間に俺とレーシャちゃんも強くならねば。あの落ちこぼれに置いていかれてたまるか。
「さて」
「あら?」
「あわわ!?」
俺は木剣を握り直して立ち上がった。
すると支えを失ったアフロディーテごとレーシャちゃんもすてんと倒れてしまう。
「おーい! そこの花の隊の人! もし手すきなら俺に剣の使いかたを指南してくれないか!」
立ち止まっていられるか。
時間が止まらないのと同義。もうこの物語は留まることなく進みつづけている。
「なぜ!? ワタクシでは不服ということですの!? いちおう隊の団長なんですよ!?」
「わ、私だってナエ様の修行にお付き合いできますよ!?」
くんずほぐれつな姿勢で2人は慌てていた。
仰向けに倒れたアフロディーテにレーシャちゃんが覆い被さっている。
スリットからこぼれる長くて白い脚が眩しい。ミニスカートもめくれ上がって太ももがあふれんばかりに晒されていた。
だから俺はそんなあられもない2人を横目でじとりと睨む。
「アフロディーテはレーシャちゃんの専属になりなさい。そもそも2人のレベルが高すぎて俺の鍛錬にならん」
「そ、そんなご無体なっ!」
「そんなぁっ! あ、でもアフロディーテ様も好きですよっ!」
悲しみの悲鳴が重なった。
これを機にレベルアップは臨むところ。
俺は、別の美女とともに基礎体力作りと素振りからはじめることになった。
いまはこれでいい。汗まみれになりながら格好悪くても、少しずつ1歩1歩進んでいけば、きっと。
「がおっ。なーんか変なことやってんねぇ」
※つづく
(次回との区切りなし)




