86話 麗しきかな、花弁の誓約《Blooming Petals》
ひとしきり大事件になりかねなかったので俺たちは応接間を借りた。
そもそもアフロディーテ自身が大ギルドの客人だったらしい。なので清潔に保たれた客間で食後のティータイムとなっている。
「その節は大変ご迷惑をおかけしました。あのとき負傷した彼女もいまはすでに清浄化されて隊に復帰しております」
髪先から爪先まで気品に満ちていた。
カップのもちかたから紅茶の楽しみかたでさえ絵になる。
当然だが俺には紅茶を楽みかたなんてわからない。隣ではふはふしているレーシャちゃんのよそにカップのなかを啜る。
「それで本日は大ギルドに遠征ってことかい? ずいぶんと各地点々としているようだけど?」
彼女には1箇所に留まれない理由があった。
それは彼女自身が振りまく魅了の香が暴走しているから。そのため1箇所に長く滞在すれば無数の男たちを自動で魅了してしまう。
「いいえ。件の呪いはナエ様からいただいたスキルを常時発動させることで乗りこえられています。それに信頼のできる多くの友や仲間にもお話ししてご助力いただけています」
「ようやく自分のことを他人にさらけだせたんだな。自分が変わればきっと周りだって変わってくれる。女性に呪いが効かなし、花の隊はアンタを信頼しているから協力は惜しまないはずだよ」
「まったくもって貴方様のおっしゃる通りでしたわ。ワタクシが勇気をだせば彼女たちも心から寄り添ってくれる。つまりワタクシのほうが隊員たちを遠ざけてしまっていたのですね」
この女性と話しているだけでロイヤルな気分になるのはなぜか。
きっと彼女のもつ可憐さや華やかさがそうさせるのだろう。
俺がアフロディーテ渡したスキルは存在をうっすらぼかすという雑魚スキル。その名も《微隠れ》。
己の存在を自発的に惑わすというもの。そうすることで己に向く男たちの熱意や性欲を意図的に逸らすという目的だった。
「分の悪い賭けではあったけど乗りこえられたようでなにより。でもあんまり俺のことを誇張されると足がくすぐったいな」
「ナエ様やレーシャ様との出会いがワタクシを変えてくださったのです。あのアークフェンでの出会いこそが運命の帰結点といっても過言ではありません」
またもだいぶ買われてしまっているようだ。
俺自身は雑魚スキルを渡しただけ。いろいろあったが問題を解決に導いたのは裏勇者ちゃんである。
とにかくこの生ぬるい感じの空気は居心地が悪い。そうそうに話題を変えさせてもらおう。
「それで今回はいったいなんのようで大ギルドにいるんだ?」
問いかけると、アフロディーテのもつカップで唇の寸前で止まった。
「問いに問いを返すようで申し訳ないのですが、なぜナエ様とレーシャ様がこちらにいらっしゃるのです?」
まあそうだわな。彼女の意見はもっともだ。
辺境の田舎者がこんなところにいて不思議に思わぬわけがない。
だから俺は1番簡単かつ率直に彼女の疑問に応じてやる。
「シセルのアホのせい、以上」
「あっ……」
察し。
アフロディーテはバツが悪そうにサッと目を逸らした。
彼女は花の隊の隊長。元部下の名がでたとなれば察するにあまりある。
「それではおそらくワタクシも関与していることになってしまうかもしれませんね」
「いまや俺は村を救って花の隊も救ったスゲーヤツって触れこみだ。しかもそのせいでギルド長が直々に俺のことを審査しにきやがった」
「しかしそれで認められてしまう辺り貴方様らしいですね。なにしろナエ様とレーシャ様の活躍は我ら花の隊が知っておりますので」
アフロディーテはイタズラっぽく片目を閉じた。
勘弁してくれ。俺は歯がみしながら余った紅茶を飲み干す。
さっきから異様にのあまったるい気配を感じるのはなぜだろうか。
俺が苦心していると、隣の席で空のカップがカチャリと置かれる。
「なんだかアフロディーテ様お綺麗になりましたよね?」
「あ、やっぱりレーシャちゃんもそう思う? 口調も穏やかだし肩の力が抜けた感じがするよな?」
レーシャちゃんがずいっ、と俺の耳元に、にじり寄ってきた。
同じ女性が言うのだからこれは気のせいではない。
「むむむっ」
「ふぅむ……」
2人してガン見だった。
目の前には真っ白な白地と桜色の鎧を着た絶世の美女がいる。
「? どうかいたしましたか? おふたりしてワタクシのことを見つめて?」
薄緑のロングヘアーは優美にウェーブ掛かって、桃色の愛らしい飾り花が添えられている。
目尻が下がった優しい微笑は上品で淑やか。いまこの瞬間だけを切りとるのなら騎士に思えないほど。
なにより微熱の籠もった新緑の瞳が俺を中心に映している。
「んんんんんんっ……」
「と、ところでレーシャ様も冒険者の道を辿られるなんて意外ですね。てっきりなご実家の素敵なパン屋さんを継ぐものかと思っていましたわ」
観察していると、唐突に目が逸らされてしまう。
なんでか少しだけ頬に朱色が差していた。
「認識票を見たところナエ様はプライムでレーシャ様はスタンダードのようですが?」
「私は推薦されたナエ様の付き人兼サポーターとしてご同行させてもらっています! でも私自身もみんなに置いていかれないよう全力で挑むつもりですよ!」
「まあ! それは献身的でとても頼もしいですね! 一朝一夕では難しいですが、その精神さえ育めればきっと素晴らしい冒険者になれます!」
可愛いと美女が語り合うだけでこんなに平和とは。
まるで躍起になる妹と、それを応援する姉のよう。2人が仲睦まじく語る背景には花畑の幻影が見える。
さて。アフロディーテは閑話休題とばかりに居住まいを正した。
彼女は花の隊のリーダーだ。俺たちなんかのために時間を多く費やすわけにもいくまい。
だが、予想に反して彼女は俺のことを正面から真っ直ぐに見据える。
「ワタクシ、今回は王都へ帰還するまでの期限を設けておりませんの。10日ていどであればこの街に滞在することが可能です」
だからなんだ。言いかけたが、あまりに真剣だったから口を閉ざす。
なぜなら彼女の俺を見つめる瞳は、うっすら蕩けていたから。
「おふたりにはアークフェンでとてもお世話になってしまいました。心の休息の仕方を教わり、罠にかかった隊員を最小限の被害でお助けいただき、さらにはワタクシの精神的なケアまで。これでお礼もできないとは騎士としての恥と言えましょう」
重い話になってきたぞ。
これほどの美女に借りと思ってもらえるのなら男冥利に尽きるというもの。
だが俺の思う以上にアフロディーテの目がマジだった。瞳の奥には決意というマグマが轟々と煮えたぎっている。
俺とレーシャちゃんだって、さすがにそこまでのことは求めていない。あといま別の問題に直面しているからちょっと邪魔だ。
「す、すげぇ……! あの花の隊の隊長がここまで言うほどのヤツらなのかよ……!」
「ふぁぁ!? 遠くから見るだけだった憧れのアフロディーテ様がこんな近くにいるなんて!? 実はナエザクラとレーシャちゃんってものすごい人なの!?」
部屋の端っこではモブが野次馬と化していた。
あまりの恐れ多さにリーファとエリンは壁と同化するほどに張りついている。
あんな引け目な2人を抱えながらアフロディーテの相手をするのは無理だ。マジで無理。邪魔。
俺は若干気圧されながらも言うべきことははっきりと告げる。
「そんなのべつに――」
「 し た い の で す 」
怖い怖い怖い。圧が、圧が、すっごい。
言うべきことが言えなかった。声が彼女の気迫を前にして引っこんでしまう。
「(リーファとエリンの視察期限は1週間だったよな。アフロディーテと10日も遊んでたら余裕で期限が終わっちまう)」
心のなかではアフロディーテを優先したかった。
「(だって花の隊の美女に囲まれながらキャッキャウフフな休日が送れるってことだろ! そんなもの宝くじ1等が当たるようなものじゃないか!)」
これは悩みを超越した、苦悶だった。
モブ2匹の乗ったシーソーにS級美女が舞い降りたようなもの。
「それじゃあもういっそのことみなさんで行動してみるののはどうでしょうっ!」
そこに天使の横やりがずぶりと刺さる。
俺が唸りながら突っ伏していると、隣でポンと手が叩かれた。
みなが呆然とするなか。レーシャちゃんは立ち上がってくるりと軽やかにスカートを1周回って翻す。
「ナエ様! リーファさんとエリンさんの件をアフロディーテ様にお手伝いいただきましょうよ!」
正直、その発想はなかった。
彼女は騎士団長である。当然だが率いる花の隊だって超1流となっている。
つまりアフロディーテは人を強くする熟練者だ。それも実戦に長けた世界最高峰レベルで。
「アフロディーテ! アンタにガチの頼みがある!」
俺は女神から天啓を得た心もちだった。
そうと決まれば動くしか道はない。この依頼を解く鍵は、もしかしたら俺たちではないのかもしれない。
「あそこにいる落ちこぼれまっしぐらの2人を――花の隊で叩き直してやってくれ!! 俺たちは7日後に待ってるアイツらの大ギルド落第をなにがなんでも回避させたいんだ!!」
俺は壁の染みになりかけてる2人を思い切り指名した。
それだけでリーファとエリンは凍えるように全身を震わせる。
「えええええ!? ちょちょちょちょ!? 俺たちが花の隊に扱かれるとか嘘だろおおお!?」
「無理無理無理無理無理ぃ!! だって花の隊って王都の精鋭中の精鋭でしょ!! 私たちなんかが訓練に参加したらすり潰されちゃう!!」
「オマエらは1回すり潰されるくらいがちょうどいいんだよ! つみれかカマボコにでもなって生まれ変わってきやがれ!」
たぶん、ここで俺が2人を見放したら。
もう誰も手を差し伸べてやる人間はいなくなってしまう。さっきの食堂でそうだったように、全員が見限ってしまう。
その後、大ギルドを首になったという枷を2人は一生背負いながら落ちていく。誰からも救われず、己の足で進むことさえ止めてしまうかもしれない。
「頼むよ、アフロディーテ。俺はコイツらの友だちでいたいんだ。会って7日くらいしか経ってない薄氷のような関係でも、知り合った人間が不幸になるのはイヤなんだよ」
俺は勢いよく、しかし誠意をもって頭を下げた。
望むのであればかしずいたって構わなかった。
言われるのあれば彼女の足だって舐めてもいい。微妙にご褒美だが。
「わ、私からもお願いします! それに厚かましく提案したのは私なんです! リーファさんとエリンさんをちゃんと冒険者にしてほしいんです!」
レーシャちゃんも遅れて橙色の頭を思い切り下げた。
ちゃんと冒険者。なんだそれ。
「はぁ。貴方様たちというお人はいつもそうやって他人のことばかりを気にかけているのですね」
さすがに呆れられたか。
膠着した空気に嫋やかな吐息が入り交じる。
「まったく……ワタクシのときとなにもお変わりになっていないようです」
俺は、恐る恐る顔を上げた。
するとそこには瞳を滲ませながらも、麗しい真の美貌が咲いている。
「そんなおふたりだからこそワタクシは心からお慕い申し上げているのです」
アフロディーテは音もなく立ち上がった。
そしてその腕を孤を描く胸甲に構える。
「その任務、この花の隊隊長アフロディーテ・エロイーズ・サクラミアの名をもって是非にお受け致します! 我が騎士としての信念をもって完遂へと至らしめましょう!」
穏やかな乙女の顔は、もうそこにはいない。
厳格で忠義に燃える。誓いを立てる1人の聡明な騎士が佇んでいた。
「アフロディーテ様ありがとうございます! 強力な助っ人さんの参戦ですよ、ナエ様!」
「(くくくっ。よしぜんぶ押しつけられたおかげで楽な仕事になりそうだぜぇ。俺じゃコイツらの腐った根性をなんとかするのなんて無理だったからなぁ)」
余談だが。
このあと地獄をみるのは俺ではない。
リーファとエリンにとって人生を180度転換させる過酷な7日間が待っているだろう。
確実に。
いいか、もう1度言う。
確実に地獄の7日間が待っている。
「ではおふたりの冒険者は花の隊にお任せするとして。ワタクシはナエ様の剣の腕を専属で鍛えて差し上げますねっ」
んぎゃぁ。
〇 〇 〇 〇 〇
最後までご覧いただきありがとうございました!!!
本年もよろしくお願いします!!!!




