79話 悲痛を踏み越えるまで《Divine Covenant》
清廉な朝の風がぼやけた思考をリセットする。
日の色は無色。青い空がいつも以上に映えて網膜に染み渡る。
「ちっきしょぉ~……昨日は飲み過ぎて頭イテぇ……」
「お酒強くないのに私に合わせて飲むから毎回そうなるんでしょ。護衛も仕事なんだからいい加減学びなさい」
ロバの足どりに身を任せ、草の剥げた轍を踏む。
風と緑の町モリシアで1泊した俺たちは、明朝に旅を再開していた。
だが通常通りとはいかない。昨夜あんなことがあって少々過食気味だ。
「(俺がメインキャラクター、俺がメインキャラクター、俺がメインキャラクター……)」
この重圧に俺の胃はどこまで耐えられるだろうか。
いままでは脇役に徹しているだけで良かった。そうすることで俺は責任から逃げられていた。
「ぐおおおおおおおお!! どうしたらいいんだ!! 俺が自分の書きかけた世界のメインキャラになるとか世界そのものが壊れかねないぞ!!」
まるで洗濯機に投げこまれたTシャツの心境。
上下どころか右も左もわからないまま。現実が3Dから2Dになってしまったかのよう。
しかもこれだけ混濁しているというのに、いやでも裏勇者ちゃんの声が脳内に蘇ってしまう。
『アナタ様に与えた使命は、輪廻世界を破壊することです』
「(バッドエンドを回避しろってことだよなぁ、これェ!? 俺が言うのもなんだがかなりエグいこと言ってるよォ!?)」
いや、違う。
これは俺が正さねばならない、1つの贖罪なのだ。
本来ならば主人公レーシャが繰り広げる冒険譚。仲間との強い絆と友を越えた友情の物語。
それを捻じ曲げたのは、当時の俺。悔いを払拭するまたとない機会ともとれる。
「……。成仏するにしても未練を残すなってことか」
もう無責任ではいられない。
この握った拳でなにをぶっ壊せるか。迷いを捨てねばならない。
「先ほどからなにをぷつぷつおっしゃっているんです?」
しまった。どうやら声にでていたらしい。
レーシャちゃんは、困った小鳥のようにきょとん、と首を傾げている。
「いやぁ~なんというか昨日の夜は俺も飲み過ぎたみたいで記憶が朧気だなぁ~、なんてさ!」
嘘である。
気づいたら安宿のベッドで眠っていた。気を失ってからマジでどうやって宿に移動したのか記憶にはない。
しかし隣のベッドではレーシャちゃんがすやすや寝息をたてていた。そこから察するに裏レーシャちゃんが運んだという線が濃厚だろう。
「それにしても私も途中から記憶が曖昧なんですよねぇ。ナエ様からは一緒に楽しくお酒を飲んで酔い潰れてしまった伺いましたが……」
「つ、疲れてたし! 初めての旅っていうこともあるし! そういうこともあるだろ!」
ここに関しては力技で行くしかない。
裏の存在を知らぬレーシャちゃんにとって記憶を失って行動するのは恐怖のはず。
なんとか彼女がでてくるたびに俺の裁量でうまく回さねば。
「あっ! でも才能屋さんにいった記憶はちょっとだけありますよっ!」
「……へ?」
そんなはずはない。
だって才能屋さんに入る前からレーシャちゃんは裏になっていたではないか。
「ナエ様が慈愛の勇者と告げられたところだけは鮮明に覚えています!」
「(1番ヤバいところの記憶だけ残ってるぅぅぅ!! 絶対裏レーシャちゃんが意図的に残したヤツぅぅぅ!!)」
悪意のある微笑が脳裏をよぎる。
絶対にわざとだ。これに関してはわざとじゃないと説明がつかない。
「やっぱりナエ様はすごい御方だったんです! 才能屋さんの言質がとれてるんですから周りの人にも自慢できちゃいますよ!」
「(後に引けない感じになってるぅぅ!! これがあの女豹の作戦かぁぁ!!)」
レーシャちゃんはさも当然とばかりにふふんと鼻を鳴らした。
まるで自分のことのよう。俺が勇者だという事実に張り詰めんばかりの豊胸を押しだす。
俺は彼女に負担をかけたくない。この子には、自由であってほしいとさえ考えている。
「(なんとしてでも勇者ちゃんが自然に慈愛の勇者に目覚めるまで俺が代わりに役目をこなすしかない。こうなった以上全力でダミーの勇者を演じきってみせねば)」
レーシャちゃんが目覚めれば確実に世界修正力が働く。
そうなれば精霊の剣だって彼女を認める。
「(踏ん張りどころだ、朝倉苗! いまは種でもいずれはきっと桜花が咲き誇る!)」
「ナエ様が並々ならぬやる気に満ちてますっ! これは私も付き人としてがんばらなきゃ!」
俺の拳に反応してレーシャちゃんも胸の前で両手を握りしめた。
とはいえここでやる気になってもとくに意味はない。気疲れするだけ。
このバグだらけの世界。想定しないない事態が降りかかるのは、想定済み。
それどころかがんばればなんとかなるレベルで収束している。こればかりは幸運と捉えるべき。
「おーい! 護衛対象のほうが遅れてるぞー! あんまし距離空いたら守れるもんも守れねぇからなー!」
「まあ私たち冒険者の足についてくるのは難しいかもねぇ! 一般人と違って私らは冒険慣れしてるしぃ!」
おっと。考えこんでいたせいでどうやら遅れてしまったようだ。
離れたところかモブ男とモブ女が足を止め、こちらへ振り返っている。
よく口にされる油断していたというのは結果論に過ぎない。油断をしているときに油断をしていると気づくことはないのだから。
こちらへ気をやっている2人に向かって、急速に接近する影があった。
「Grrrrrrrroooooooo!」
風を切るほど早い、4足。
剥きだしの歯茎から生える獰猛な牙。そして鎧の如き銀の毛皮を誇る。
「あれは――ッ、ドレッドハウル!? 昨日戦った群れの生き残りか!?」
「おふたりのもとへ真っ直ぐ向かっています! 早く知らせないと!」
俺とレーシャちゃんが声を荒げる。
しかし距離が開きすぎていた。モブ男とモブ女はその存在にまったく気付いている様子はない。
2人の完全に意識の外側から猛獣が迫っている。
「このままでは間に合いません! おふたりともいますぐ防御態勢を!」
「早く逃げるか構えるかしろ! 右側から魔物が向かってきてるんだぞ!」
呼びかけるも、応答はなかった。
ただ首を傾げるだけ。己の命の危機にさえ気付いていなかった。
「(この距離じゃ疾走のスキルを使っても割りこめない!)」
次の瞬間、俺の視界はコマ送りとなる。
ドレッドハウルが高速のままモブ女の首筋に鋭利な牙を突き立てた。
唐突な衝撃に彼女は倒れる。ドレッドハウルは追撃とばかりに彼女の上に覆い被さる。さらに牙を深く彼女の首筋に食いこませた。
噴きだす血飛沫にモブ男は愕然と佇むばかり。腰の雑な剣すら抜けず、パートナーを守ろうともできず、ただ立ち尽くすのみ。
「ダメぇ!! 戦ってぇ!!」
たまらずレーシャちゃんが大地を蹴りつけた。
疾走するのと同時に魔物に向かって苦無を投擲する。
「Garuuuuuuuu!!」
苦無は虚を裂く。
飛来に気付いた敵は巧妙なステップで回避した。
しかしこれで一瞬でも猶予が生まれる。敵はモブ女から離れてこちらに意識を向けている。
「ナエ様! これを!」
届かなくてもいい。
俺はレーシャちゃんが宙に投じた苦無を受けとる。
「《疾走》!」
そして一気に風をも超えた。
いまの俺ならば魔物の牙さえ耐えられる。敵の狙いがこちらにあれば……犠牲は増えない。
「Gaaaaaaaaa!!」
「くしっ!? コイツ昨日のやつらと比べて警戒心が異様に高い!?」
野生の勘とでもいうのか。
俺の接近に気付いた魔物は即座に間合いをとりはじめた。
2秒ほど遅れて勇者ちゃんも合流する。
「この個体は昨日の群れの魔物ではありません! たぶんより凶暴化したはぐれだと思います!」
「1匹狼ってやつかよ! おい聞いたろ護衛役! 早く剣を抜いて戦闘態勢をとれ!」
ひとまずモブ男とモブ女の間に割って入ることに成功した。
だが肝心の護衛役である片方は負傷。もう片方の様子もどこかオカシイ。
「おいなにそんなところで這いつくばってるんだよ!? さっさと武器を抜いて戦えって!?」
怒鳴るも、モブ男は背を丸く屈んだまま動かない。
「血がぁ!? コイツの血が全然とまんねぇんだよぉ!?」
モブ女の首から吹きでる血を手で止めようと必死になっていた。
「つっ――」
素人目から見ても彼女はもうダメだ。
しどとあふれる鮮血が轍の土に染みこんでいく。呼吸も浅く瞳の光さえ消えかかっている。
おそらく牙による咬傷は首の頸動脈まで至っている。ここで手に負えるような浅い傷ではない。
「ナエ様! 敵から目を逸らさないでください! このままだと私たち全滅しちゃうかもしれないんです!」
「止まれよぉ!! なんで血が止まんねぇんだよぉ!!」
阿鼻叫喚とはまさにこのこと。
どちらも事態は一刻を争う。
「(どうする!? モブだからって切り捨てるのか!? 慈愛の勇者ならどうするのが正解だ!?)」
審判の刻が訪れる。
迷う余裕も余地すらもない。ただ反射的に背に手を伸ばす。
俺は、咄嗟に精霊の剣を引き抜いていた。
「ッ――そう簡単に死なせてたまるかあああ!!」
たとえモブであっても構いやしない。
ぜんぶ救う。そう、決めたのは俺じゃないか。
「被害を最小限に抑えつつ臨機応変に行動する!」
呪われた運命を、ぶっ壊す。
※つづく
(次話との区切りなし)
最後までご覧いただきありがとうございました!!!




