『※新イラスト有り』69話【VS.】緑翠の宮殿 神譚遺物の守護者 アルカディア 4
「……あれ?」
現実に思考が追いつかない。
握っている感触がやけに非現実的だった。
なのに剣の冷たさも、柄の凹凸も、震えるほどリアルに感じられる。
「(抜けたあああああああああ!!! そして俺、抜いたああああああ!!!)」
確かに俺の手には精霊の剣が握られていた。
鋼のはずなのに、生き物のような脈動が伝わってくる。剣のまとう光が呼吸しているかのよう。
「す……っ!」
勇者ちゃんは、俺と剣を交互に見つめてた。
それからぱっと口元を押さえて息を呑む。
「すごいですっ! 伝説の剣にまで選ばれちゃうなんてやっぱりナエ様はすごいですっ!」
豊満な胸の前で、小さく、控えめにぱちぱちと拍手をする。
俺を肯定するのは場違いなほど無垢で、まっすぐで、曇りのない瞳だった。
「ち、違う、聞いてほしい! これは、きっとなにかのすごく大いなる間違いが起こっているんだ!」
慌てて否定しようとするも、説得力がない。
現に抜けてしまったのだ。だからなにを言っても現実を否定する材料にはならない。
「(えええ!? 俺またバグってるのかああああ!?)」
精霊の剣に問うも、応えてはくれなかった。
なんたる無慈悲。そして無道徳。勇者ちゃんが覚醒するとかそういう希望は吹いて消える。
「(待て……じゃあなんでさっき勇者ちゃんが挑戦しても抜けなかったんだ?)」
本当にこれはバグなのか、俺のせいなのか。
まるで噛み合わせが合わない。ちぐはぐとした違和感があった。
しかし時の流れは奔流に俺を乗せたまま置いていってくれない。
『アナタが抜ちゃったんですから戦うのはアナタですよぉ? はやく守護者を止めないとぉ、お仲間どころか遺跡そのものが崩落しかねませんねぇ?』
声は、脳髄の奥を指でつつくように響いてきた。
まだいやがったのか。愉快そうで意地の悪い、小悪魔みたいな音色が意識を逆撫でる。
だが裏勇者ちゃんが言ってる通り、窮地であることに変わりはない。
守護者の暴走は、すでに臨界を越えていた。
天井から崩れ落ちた岩塊が砕け散り、床に走る裂け目が蛇のように伸びる。
そこに最初に飲みこまれたのは、シセルとカイハだった。
「クッ!! こっち向けってんだよ化け物がァッ!!」
守護者の腕が振り下ろされる刹那、カイハが弾く。
衝撃だけで石畳が爆ぜる。
宙に巻き上げられた破片がシセルの頬を切る。
「見境なんてありゃしないわね! 古代の神々に創造されたにしては品がなさすぎるわ!」
「そもそもこんなのに守らせてるって時点でヤバみっしょ! そんな神譚遺物っていったいなんなのさ!」
2人は激闘の最中にいた。
「ここが正念場、踏ん張るわよ! たぶんもうそろ外でも事態の重さに気づくころだから!」
「トーゼン!! ここまでコケされておいて手ぶらってなわけにはいられないっしょ!!」
どうみても防ぐので精一杯の状態だった。
反撃など夢物語。それでも決して後退しない2人の姿は、焦土に立つ戦士そのもの。
しかし暴走した守護者の手は別の場所にも波及している。
「きゃっ、きゃああああああ!!!」
勇者ちゃんの悲鳴が、廃墟に高く響いた。
崩れかけた柱が地響きとともに倒れる。
それを彼女は身軽な動作で回避した。
「このままで遺跡が崩れます!! ここにいたらぺしゃんこになっちゃいますよぉ!!」
近辺では、ティラに破滅が迫る。
「ちょ、うそっ……待って待って待ってぇッ!?」
守護者の腕がぶん、と横薙ぎに振られた。
空気が爆ぜ、ティラの身体が紙切れみたいに宙を舞う。
「ぎゃっ――!!?」
修道服の裾が翻り、無防備な身体が石床へ叩きつけられた。
反動で転がり、粉塵を巻き上げながら壁にずざっと衝突する。
「いっっったぁぁ……! なにあれ、まじでヤバいって……!!」
息を荒げ、震える手で地面を探ってようやく身を起こす。
顔には恐怖がありありと刻まれていた。
仲間が次々と追い詰められていく。
逃げ惑う勇者ちゃん、ティラは地に伏せ藻掻く、シセルとカイハにも余裕はない。
「(抜けちまったのなら俺がやるしかない!)」
ここで動けずしてなにが仲間か。
友が痛めつけられているのに怯えて見過ごすバカがどこにいる。
俺は、精霊の剣をしかと両手で握りこむ。
「せめてこの場だけでも勇者レーシャ・ポリロの代わりに成りきってやろうじゃないか!)」
気迫に呼応するよう剣身にコバルトブルー迸った。
そして守護者は、照準を合わせる。
巨体が影を落とす先。振りかざされた右腕の下に彼女がいた。
地に倒れたティラは、顔を引きつらせながら恐怖に喘ぐ。
「や、やだぁぁ!! ちょっと待ってよぉっ!!」
瞳が絶望に染まり、胸がひくりと縮む。
吸血鬼とて耐久力は人とさして変わらない。
もしあのまま巨大な腕が振り下ろされれば形すら残さないだろう。
「いま助けますっ!!!」
「レーシャ!? どうして!?」
咄嗟の行動かったのかはわからない。
しかし勇者ちゃんがティラを守らんと間に滑りこむ。
手には、とてもではないが頼りになるとは思えぬ苦無を構えていた。
「アナタは逃げてェェ!! アタシなんかを庇って死ぬなんてダメェェ!!」
「昨日約束したじゃないですか! 私たちはお友だちです! お友だちを守るのはお友だちの役目なんです」
勇者ちゃんは断固として譲らない。
彼女はいざというとき決して屈しない。それは勇者を冠するより彼女の原点の部分にある。
優しく、明るく、ひたむきで、誰からも愛される。俺の望んだ光とは、慈愛の勇者そのものなのだから。
しかしこのままでは確実に2人とも悲惨な結末を迎えことになる。守護者の豪腕によって同時に押し潰され、生命をここで終える。
だから身体は、考えるよりも先に動いていた。
「《疾走!!》」
床を蹴った瞬間、視界の世界が狭まる。
考えも覚悟もないぺらぺらな正義心だった。
ただ一直線に。ただ愚直に。救いたいという思いのみが身体を突き動かす。
ガキィィィンッ!!
蒼き閃光が煌めき、大袈裟な火花が爆ぜる。
ティラを狙っていたはずの右腕が無機質な岩畳を粉みじんに破砕した。
そしてさらにもう1度、俺は精霊の剣を振りかぶる。
「させてたまるかぁぁぁぁッ!!」
渾身の咆哮とともに、蒼光の刃が守護者の攻撃と交差した。
肉でも鉄でもないなにか硬いものが裂ける。一刀両断された断面から黒い霧が噴きだし、巨体がぐらりと傾く。
「悪い、遅れた」
俺は振り返る。
できるだけ優しく、怯えをひた隠しにする。
「なえ……さま?」
たぶん張りつけたかのように下手くそな笑みだっただろう。
勇者ちゃんはただ立ち尽くしている。
口元が小さく震え、目を見開いたまま、瞬きすら忘れているかのようだった。
「ティラのほうは大丈夫か?」
「う、うん。……ちょっと打ったくらいだから、平気」
2人の無事が確認できれば、それで十分だ。
俺は2人を置いて精霊の剣を構え直す。
怯えも怒りも胸のざらついた感情をすべて押し殺す。
「(どうやら俺は絶賛バグってるらしい。お前の待つ継承者じゃなくて悪いな)」
毅然と振る舞いながら守護者を真っ向から見上げた。
本来ならコイツは、ただ役目を淡々と果たす存在なのだろう。
幾度となく勇者ちゃんと出会い、剣を渡し、その旅立ちを見届けてきたはず。
「(ごめんな……無責任に役割を与えて、放棄して、本当にごめん)」
この気高き守護者は、幾度とその運命を繰り返したのか。
ただ俺にできるのは、心のなかで、深く詫びることだけだった。
すると守護者は妙な動きで首を右へ、左へ、傾げる。
まるで理解不能のエラーが走ったかのように、胴体の段差がガクガクと震わせた。
そして四足の前部をゆっくりと折り曲げ、重い身体でかしずくように地面へ沈める。
「《モウ、問題アリマセン、カ?》」
「!?」
雑音混じりだったが、鮮明に聞こえた。
聞こえたというより胸の奥にグサリと刺さったかのような錯覚さえある。
この展開さえバグなのかもしれない。でも、削げた仮面の裏にある瞳は、俺のことを確かに見つめている。
「長い間、待たせてちゃってごめんな」
微笑むと、一拍置いてノイズがひとつ跳ねた。
「《オカエリナサイ》」
守護者の巨大な腕が、ぎしり……ぎしり……と鈍い機械音を立てながら伸びてくる。
敵意のある動きではない。それどころかこちらのみを案じて触れようとする、そんな所作にすら思える。
「(…………)」
言うべきことがあるだろ、朝倉苗。
お前がいま口にするべきことは謝罪ではないはずだ。
拳を握る。蒼光が腕にまとわりつき、空気がビリビリと震える。
「ただいま」
守護者の拳と俺の拳がわずかに触れた。
すると巨体の内部でなにかが砕けるような轟音が鳴り響いた。
守護者は大地を震わせながら崩れ落ちていく。黒い霧を吐き散らし、やがて静かに横たわった。
「おやすみ」
触れた守護者の身体は、先ほどまで動いていたとは思えぬほど、驚くほど冷たい。
倒れ伏した姿には、どこか哀愁が滲んでいた。
灯火を消した目は、時を越えて再会できた満足を浮かべている。
そんな風に見えたのは、たぶん俺だけだ。
「(そろそろ俺もこの世界について覚悟を決めないといけないのかもしれない)」
これはきっと責任なのだ。
悔やみきれぬ過去の清算。
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