68話【VS.】緑翠の宮殿 神譚遺物の守護者 アルカディア 3
俺たちは、元きた道を全力で駆け戻った。
宮殿の回廊は、もはや先の逃走劇の余波で見る影もない。
かつて荘厳と呼ぶにふさわしかった白大理石の壁は、いまや砕け散り、天蓋の装飾も半ば崩落している。
「走れ! 遅れるな! 守護者が破壊した瓦礫や柱に気をつけろ!」
「ひ、ひどい……! 素敵な建造物をどうしたらこんなボロボロにできるんですか……!」
「アタシらのせいじゃないわよアイツが勝手に追いかけてきてぶち壊し回ったんだから!」
この惨状を、いったい誰が想像できただろう。
数千年も静かに祀られてきた聖域は、いまや廃墟そのもの。
古代の神々とて予測できるものか。まさか自らが遣わした守護者の手で宮殿が瓦解させられるとは。
床を蹴るたび、粉塵が舞い上がる。
神々の沈黙を踏みしめるように、俺たちは走りつづける。
「シセルさんたちにお任せしちゃいましたけど、大丈夫でしょうか……」
勇者ちゃんは疾走しながら不安そうに振り返った。
紅葉のような布地の裾がひらりと舞い、青い帯が風に流れる。
その隣には、白い脚を惜しげもなく晒した修道女が寄り添う。
「アタシらがいたって結果は変わらないわ! むしろ足を引っ張っちゃうかもなんだから!」
「たしかにそうですけど……でも、任せっきりというのは、やっぱり心苦しいですぅ」
ティラの叱咤が飛び、ようやく勇者ちゃんは辛そうに前を向く。
瓦礫が無残に散らばった廊下を越えていく。崩れかけた柱の間をすり抜けていく。
目指すはただひとつ。守護者の守っていた大広間。精霊の剣が奉じられていた聖域だった。
「ところでナエとあの女冒険者ってどういう関係なの?」
「どうって……どういうことだ?」
俺は、唐突に投げられた質問に質問で返す。
「だってこの場所を頼むー、だなんて信じられる? なのにあの人はあっさりオッケーだしちゃうしさ?」
息――と豊かな胸――を弾ませながら邪気のない瞳が瞬く。
ティラにとって純粋な疑問、あるいは好奇心のようだ。
おそらく彼女はシセルのことを言ってる。俺はしばし思考ながら倒れた石柱を飛び越す。
「(アイツとはなんども死線を越えてきたからなぁ……)」
本来なら即退場のモブ。
なのにいつしかシセルはメインキャラ並みの出現頻度となっている。
危険な戦いのたびに背中を預け戦ってきた。そしていまや彼女とは縁を切っても切れぬ仲にまで進展していた。
「ティラさんはご存じないかもしれません! ですが実はナエ様とシセルさんはなんとアークフェンの村を救った英雄なんです! しかも花の隊にだって信頼されているくらいスゴイ御方なんですよ!」
「げぇぇ~……なにその遍歴ヤバくない? しかも花の隊って王都きっての精鋭じゃないの?」
「ナエ様は身を挺してあの花の君、アフロディーテ様をお救いになったことがあるんです! あのときはもう本当に格好良くていまでも光景が目に焼きついています!」
まるで自分の功績を自慢するかのよう。
俺を紹介する勇者ちゃんは、やけに饒舌だった。
褒められて悪い気はしない。なのだが、俺の貢献度が高いほうに錯綜している。
「(俺ってそんなに活躍してないんだけどなぁ……)」
魔神将ダークマターのときだって、そう。
最強悪魔グレーターデーモンも、そう。
「(裏勇者ちゃんが焼き払ってくれただけぇ……。俺は見てるか焦げてるかのどっちかだしさぁ……)」
当然、勇者ちゃんにはそのときの記憶がない。
だからこうして彼女から俺に対しての好感度が凄まじい。尊敬が青天井のうなぎ登りになってしまっていた。
「ふぅ~ん?」
視線を感じて横を向く。
するとティラが端で睨むかのような目つきでこちらを見つめている。
「ナエってけっこうスゴイやつなんだぁ~?」
「なんだよ? 湿度高めの含みを感じるぞ?」
「べっつにぃ~?」
ふい、とティラの視線が逸れた。
走っているからか頬がほんのり桜色を帯びている。
「(この功績、本来なら勇者ちゃんの伝説になるはずだったんだけどな)」
胸の底で重い息が漏れた。
「心苦しいよなぁ……」
「やっぱりナエ様もおふたりを残してきたことに後悔の念が! 私と同じお気持ちなんですねっ!」
「なんかコイツはちょっと違う感じするんだけど? 気のせい?」
回廊を駆け抜け、大広間を全力で目指す。
そう長くはもたない。刻一刻と、悪い予感が背中を押してくる。
どこか遠くで、瓦礫の崩れる乾いた音が腹の底に響いた。急かすように心拍が速まっっていく。
「ここ! この奥にお目当ての剣がある!」
ティラが呼吸を乱しつつ元気な声で叫んだ。
駆け抜けた先には、はじまりの大広間が広がっていた。
しかし荘厳だったはずの空間は無残な姿をさらしている。壁は裂け、天井は穿たれ、砕けた柱が床に散乱している。
つい先ほどまでここで何が起きていたのか想像に易い。守護者による破壊の爪痕が痛ましさを物語っていた。
「守護者は起動したあとだ! レーシャちゃん急いで精霊の剣を解放するんだ!」
「は……はいっ!」
そんな荒れ果てた景色の中心に、ぽつりと異質な静けさがあった。
瓦礫と粉塵の中、一本の剣だけが揺るがぬ気配で鎮座している。
光を孕んだ銀の輪郭が、まるでまだ終わっていないと語りかけてくるよう。
「ところで……なんで私なんですか?」
勇者ちゃんは、ピタリと足を止めた。
なにもわかっていない表情をくたりと横に倒す。
「いま流れで剣のところまで走りかけましたけど……どうしてなんです?」
言われてみれば、そう。
彼女にとって初見もいいところ。なのに発破をかけられてはいそうですかとなるものか。
ティラと勇者ちゃん、2人の視線が俺に集まる。
「普通の流れで言ったらアンタかアタシじゃないの?」
「それに私ここきたのはじめてですし、そもそも剣なんて使ったことありませんよ?」
おっと流れが変わったきたぞ。
あれだけかんかんに熱されていた空気が一気に冷めていくのを感じる。
やらかした。まさかここにきてボロがでるとは。しかし精霊の剣は勇者ちゃんが抜かねばならない。
「あ……足の早い順で順番に挑戦すればいいかなぁ、なんて?」
ちょっと弱いか。
まさにいま思いついたみたいに指を立てて申告してみた。
するとしばし呆けていた勇者ちゃんが晴れやかに手を打つ。
「おふたりは走りつづけてお疲れでしょうし、まずは体力のある私からということですねっ!」
「そう、それ! 部分的にそう! だいたい合ってる!」
「しかも女性を優先するれでぃふぁーすとっ! さすがナエ様は紳士でいらっしゃいますっ!」
勇者ちゃん、チョロくて、助かった。
心が痛まないかと言われれば、少し痛い。
こんな純粋で信頼してくれている子を騙すことになるとは。しかしこれで精霊の剣は勇者ちゃんのものとなる。
「(これで勇者ちゃんが精霊の剣を抜けば、もしかしたら真の勇者に目覚めるかもしれない!!)」
ついに、そのときがきたのだ。
苦節数ヶ月のも及ぶ葛藤があった。この世界に降り立ったその日から追っていた罪に終止符が打たれる。
あの日、俺は覚醒イベントであるゴブリンを尻で倒してしまった。そのせいで勇者ちゃんは勇者に目覚めなかった。
だが、勇者ちゃんはいまこの瞬間に精霊の剣の持ち主となる。
「で、では――」
おそる、おそる。
艶やかな手が封じられし剣の柄に近づいていく。
そしてしなやかに手が柄を掴んだ。
「参ります!!」
しかと両手で握りこむ。
勇者の血を宿し賜う。その穢れなき意思によっていま世界は新たな1頁を迎えようとしている。
「んむぅぅぅぅぅ! ぬぬぅぅぅぅぅぅ!」
勇者ちゃんは両足をぐっと踏みしめた。
足元の石畳に細い靴底が沈みこむほど、ぐぐっと全身に力を込めている。
肩が上がり、腰が落ち、背中の筋がひと筋きゅっと張る。
華奢な身体に似合わないほどの必死さで、全力で剣を引き抜こうとしていた。
「んーーーーっ!! ぬぬぬぬぅぅぅーー!!」
顔を真っ赤にし、きゅっと歯を食いしばる。
その短い前髪までぷるぷる震えるほどの踏ん張りようだ。
剣はまるで石そのものと同化しているかのように、微動だにしない。
「ふぅ~……どうやら私じゃダメみたいですっ」
どういうことだ。
「じゃっ! 次はアタシのばんっ!」
「……待て、落ち着け。ティラ、それは勇者にしか──」
聞いていない。
彼女は一直線に剣へ駆け、勢いよく柄をつかんだ。
「てやぁぁぁぁぁ! こんちくせうぅぅぅ!!」
筋力任せに全身全霊で引っ張るティラ。
修道服がばさばさ揺れ、羽根の先までぷるぷる震えている。
「っ! ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ! 悔しいけどアタシでもないみたいだわ!」
当然だ。
逆を言えば、あれは勇者ちゃんだけに扱える。勇者の証明のはずだ。
「(じゃあ……なんで抜けないんだよ……)」
胃の底がさあと冷えていくのがわかった。
心臓がひとつ脈打つごとに、胸の中の空洞が広がっていくようだった。
額と頬にじわりとぬめるような汗が滲む。
自分が積み上げてきたはずの筋書きそのものが、音を立てて崩れ落ちていく。
勇者しか抜けない聖剣。
それが、抜けない。
そんなはず、あるわけがない。
「(ここもバグってるっていいたいのか……?)」
ぞくり、と背筋を氷でなぞられたような感覚が走った。
こんな前提すら否定するような破綻があってたまるか。
「(77777回? 途方もなく繰り返つづけた世界? いったいここはどこなんだ?)」
認識が間違っていたことを痛感する。
ここは気が遠くなるほど、途方もないループを繰り返したヴェル・エグゾディア世界。
だからこれは俺の知っているチープで幼稚な物語ではない。
そのときだった。
ドゴォォォォン!!!
思考を断ち割るように、大広間の側壁が内側へ、風船みたいに弾け飛んだ。
瓦礫が爆散し、砂塵が荒波のように押し寄せる。衝撃が空気を突き抜け、脳ごと鼓膜を殴りつける。
「《……反応……誤差……補正……不能……》」
「《視界ノ………構築ニ……失敗……》」
「《対象……識別……不能……再試行……失敗……》」
「《……守護……命令……上書キ……上書キ……上書キ……》」
「《全テノ妨害因子ヲ……排除スル……排除……排除……》」
ゆらり。揺らぐ粉塵の奥に巨影が蠢いた。
言うまでもない。守護者アルカディアだった。
声はひび割れ、まるで壊れた賛美歌のように濁りきっている。
「なんでコイツがここにいるんだよ!? 足止めしていたシセルとカイハはやられたのか!?」
最悪の結末が一瞬で予測できてしまった。
だが、粉塵の奥から小さな影が大広間へと滑りこんでくる。
「まだ生きてるっての! 勝手に殺さないでよねェ!」
「コイツ急に私らを無視してナエのほうに向かったのよ! たぶんそこにある剣に反応してるのね!」
カイハに遅れてシセルも飛びこんできた。
どうやらやられたわけではないようだ。2人とも傷ひとつ負っておらず、別れたときと同じ姿をしている。
しかし2人ともが、戦場で鍛えた猛者らしからぬ焦りの表情を張りつけていた。
「クソッ! 攻撃がまったく通らないんじゃ話にならない! 何回殴っても押し返せる気がしないねぇっ!」
「アンタが弱腰になるとかずいぶん珍しいもの見せてくれるじゃないの! でもここまできて崩れるなんて絶対許さないわ! もう少しで解析が終わるはずだから耐えなさい!」
カイハとシセルが再び戦闘行動に移行した。
だが暴走した守護者は、ずるり、と。こちらへと頭を傾ける。
血濡れて見えもしない眼で、それでも執拗に俺という生体反応を追っていた。
装甲の奥で、割れた光学機構が血のような火花を散らす。
見えていないはずの眼で、それでも確かに勇者ちゃんを視ている。
「《……継承者……反応……捕捉……》」
「《優先順位……最上位ヘ……格上ゲ……》」
「《排除対象……ナシ……継承者ノ……確保……》」
「《……継承者……ミツケタ……》」
いや、本当にその目は彼女を見ているのだろうか。
壊れた祈りのような声が、傲慢な足音と一緒にこちらへ這い寄ってくる。
「ひぃっ! ど、どど、どうしたらいいんでしょう!」
「なんでこっち向かってくんのぉっ! アタシら反撃されるようなことしてない……あ、1回だけやったかもっ!」
勇者ちゃんとティラは顔面蒼白で固まっていた。
腰が引けて後ずさるばかり。次になにをすれば正解なのかまるでわかっていない。
守護者の足下ではシセルとカイハが絶え間なく攻撃をつづけている。
「なんで俺らアウトオブ眼中なわけぇ! そっちいってもいいことねぇっつの!」
「3人とも逃げて!! コイツ私たちのことまったく見えてない!! このままだとまとめて殺されちゃう!」
地割れの音が踏みしめられるたび、悲痛な声が明確に染まっていく。
それは、迫りくる破滅そのものの足音だった。
冒険。
ひとつ間違えば、誰かの身体が粉砕されて地面に叩きつけられる。
次の瞬間には、別の誰かがその肉片の上に折り重なる。
そういう終わりが、この場の全員に同時に訪れようとしている。
最後の結末が見えてしまう。
「……なえさま?」
なのになぜか足だけは進んでいた。
勇者ちゃんが震える唇で、俺の名を呼んだ。
しかし止まらない。
予測も、憶測も、希望も、未来さえない。
なのにまるで結末を踏み抜くみたいに、前へ。
そして俺は。
「クッ――
オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
その手で、精霊の剣を引き抜いていた。
※つづく
(区切りなし)
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