65話 精霊の剣《Valkyuria System:Heart Protocol》
ただ当てもなく、廊下を真っ直ぐ進んでいく。
「ねえ、レーシャの好きな食べ物ってなに?」
「あの子ならだいたいの食べ物を美味しそうに食べるよ」
「そのなかでも好物そうなもの聞いてるの!」
「…………。好物の設定はあんみつとハニトーだったかなぁ?」
2つの足音が石畳と白亜の壁に反響する。
存在と声が交わり、いまここに孤独ではないことを教えてくれる。
長く湿りきった古石のにおいに混じり、いつしかどこか清涼な風が頬を撫でた。
「いちおうナエの好物も聞いておいてあげる!」
横目で見やれば、スリットの入った修道服の裾が揺れている。
はためくたび透けるように白い脚が覗いて、いちいち俺の視線を奪っていた。
「(この世界にあるもので答えないとマズいよな)」
ティラが、きかん坊そうな目でこちらを見上げていた。
無言の圧を感じる。答えを待って焦れているのかもしれない。
「シチューとかの煮こみ料理系が好きだ。もちろん肉と野菜がどっちも溶けこんでるタイプのやつ」
「あ! ソレあたしも好き! 歯ごたえないくらい肉も野菜もくったくたに煮こんだやつ! はじめてお店で食べたときほっぺた落っこちちゃうかと思った!」
言葉を交わせば交わすほど、彼女の輪郭が少しずつ見えていた。
ティラは、勇者ちゃんのように真正面から心をぶつけてくるわけではない。
しかも彼女の言葉はどこか遠回しで、照れ隠しのような軽口が多い。
「(優しくて、臆病で、誰よりも人の温もりを求めているのかもしれないな)」
そうした隙間の言葉や仕草から、嫌でも伝わってくる。
この子は、すごくいい子なのだ、と。
「最初ナエと2人きりになったときは損した気分だったけど、レーシャの話がいっぱい聞けて逆にラッキーだったかも♪」
両手を伸ばして、すっかりハイキング気分だった。
しかし陰鬱そうにうつむかれているよりは、100倍マシ。
「(こんどクリームシチューでも作ってやるか。美味しい料理で一緒に食卓を囲めたらきっと勇者ちゃんも喜ぶだろうし)」
思考に勤しみながらも警戒は怠らなかった。
いつどこからなにが襲いかかってくるかわかったもんじゃない。
とりあえずは勇者ちゃんの無事を祈りつつ、彼女を警護するのが俺の務めである。
「ねえ、ナエ?」
「どうした?」
「さっき、血を吸っていいって言ってたのって、ホント?」
本来の赤とは違う。
潤みを含んだ眼がこちらを見つめていた。
このレベルの美少女の唇が首筋に触れるのかだから無条件で承諾するのが男だろう。でも痛そうだからちょっとだけ怖い。
「必要ないときとか理由もないのは勘弁だな。それと調子に乗って貧血になるくらい吸われるのもゴメンだぞ?」
「じゃあじゃあ! あらかじめ許可をとってちょっとだけならいいってことでしょ!」
俺は感情を悟られぬよう目を合わせない。
生前の女性経験が皆無すぎて目が合わせられないといったほうが正しいか。
「まあそれくらいなら……やぶさかでもない」
「やったぁっ!」
ティラは身体を縮こめてぴょんと踵で飛ぶ。
尾の先端がうねり、蝙蝠の羽根先がはたたと振動した。
「(可愛いかよオオオオ!? 勇者ちゃん一筋の俺がここまで信念を揺さぶられるとは!?)」
危うい。あまりの無邪気さに俺の心臓が撃ち抜かれる寸前だった。
さすがメインキャラクターを張るだけのことはある。笑顔の端々から、一挙手一投足にまで、愛らしさと魅力がふんだんに詰まっている。
「と、とにかく進むぞ! レーシャちゃんたちと合流することが最優先事項だ!」
「そんなこととっくにわかってるわよ! そもそも落ちて罠にハマったのってナエのせいなんだから!」
歩幅を広げて、突き当たりの回廊を曲がる。
宮殿の内部はさほど入り組んでおらず、ほぼ道なりになっていた。
古いひび割れた石壁の隙間から外の雨が細く流れ落ちてくる。水滴と足音が重なるたび、古代の建造物がまるで眠りの中で息をしているように思えた。
「ねぇナエ、もしかしてあれって……」
ティラの声が湿った空気に溶けていく。
長い廊下の突き当たり、終端の辺りが淡く光っていた。
風も背を押すように流れを変えている。かび臭い湿気が幕を開くみたいに澄んだように感じる。
「いってみよう。ティラは俺の少し後ろからついてきてくれ」
「う、うん……わかった。でも無茶するのだけはダメなんだから」
俺は前にでて先導した。
ティラも腰のメイスを抜いて援護の姿勢をとる。
2人の足音がやけに響いた。1歩ごとに、胸の奥が小さく跳ねる。
「……なんか、空気が変わってきたね」
囁くような声だった。
いつの間にかティラは唇を結び、俺の上着の袖を摘まんでいる。
それが彼女の意志なのか癖なのかは判別がつかない。しかし頼られているという期待が俺の足を前に押しだす。
そして光のなかへと足を踏み入れると、一気に視界が広がる。
俺たちの前で淡い光がかすかに明滅していた。
たったそれだけのことが、まるで呼吸を拒む合図のように感じられる。
「ここは大広間かなにかかだな。ずいぶんとこみ入った作りをしている辺り重要な場所みたいだ」
「しかもここ、なんだかすごい神秘的で吸いこまれちゃう」
ダンジョンの最奥には、巨大な円形の広間が待ち構えていた。
天井は高く、そこから雨水が垂れ落ち青白い光の筋を作っている。静寂に天使の梯子が降りているような神秘さが網膜に焼きつく。
中央には石造りの祭壇が鎮座していて、床には緑翠色の紋様が走る。部屋中にのたうつラインがどこか脈動するように淡く光を放っていた。
「ちょっと待って! 奥の階段の上にあるのって――まさか!」
ティラの指差す先に、ソレはあった。
階段の頂に、黒い台座に突き立てられた1本の剣がある。
封印の鎖が幾重にも絡みつき、青白い光が刃の周囲を覆っている。
「(せ、精霊の剣だとォォ!? じゃあつまり俺とティラは地盤が崩れたことでダンジョンの大半をショートカットしちまったってことかァァ!?)」
ヤバいオブヤバい事態だった。
だってあれは勇者ちゃんが冒険の果てに手に入れる神譚遺物。
その名も精霊の剣。勇者である証であり、悪を裂いて天を貫く伝説の武器の一角。
「(ちなみに最終進化形は不死鳥の剣! いまでも設定を覚えているが格好いいじゃないかおい!)」
まさかRTAバリのショートカットで先に辿り着いてしまうとは。
しかも勇者ちゃん抜きで。
「あれって古書に書かれていた伝説の武器なんじゃない!? なんの苦労もしないでたどり着けちゃったアタシらってめっちゃラッキーなんじゃない!?」
「(バカヤロウ! ラッキーどころかアンラッキーの役満だっての! そもそもあの剣は勇者の資格をもつ勇者ちゃんにしか抜けないんだよ!)」
戦々恐々とする俺を差し置いてティラのテンションは有頂天だった。
違う、違うんだ。焦っている理由は勇者ちゃんがいないことではない。
俺だけが知りうる、ここからの展開が非常にマズい。
「きゃっほい! このままアタシが1番乗りしちゃうんだからぁ!」
「待てッ!! ティラッ!!」
ティラは俺の声を振り切るように駆けだしていた。
下げられたお宝に目が眩まんばかり。もう聞く耳なんてもってない、完全にスイッチが入っている。
そんな伝説級の武器が簡単におめおめと手に入るわけがないだろ。
この清涼な石造りの大広間を見てみろ。そこらじゅうに古い激闘のあと。そして風化して形が崩れた骨が至る所に転がっている。
「あれを手に入れてレーシャにプレゼントすれば好感度バリあげじゃん!」
幼げな屈託ない笑みの端ににょっきりと牙がはみだす。
裾を流し翼と尾を振りながら一目散に精霊の剣の元を目指していた。
だが、そんな期待はある1点を超えたところで絶望へと崩落する。
ティラの地を蹴る脚がとある境界を踏む。
すると宮殿にのたうつ緑色の光が神々しい輝きを発した。
「……へ?」
彼女の影が丸くなる。
落ちた円は、心音の鼓動を待つことなく巨大に、比類なく、膨張していく。
そして呆気にとられ足を止めたティラの上に圧倒的質量が。生物如きを蹂躙する大柄で無慈悲な物体が。
ズドン。
石床が悲鳴を上げ、宮殿そのものが激動する。
衝撃というより、世界の理が再接続された音だった。
高き空の彼方より、ソレは顕現した。
「《システム・オブ・アルカディア、再起動》」
「《霊脈起動……供給経路、再接続》」
「《封印階層、解錠──守護装置、展開準備》」
「《プロト・スピリタス、コード・アウェイクン》」
「《汝、継承者ト認ム──アクセス承認》」
金属と風と霊気が混じった、無数の声が重なり合う。
男でも女でもない。魂の響きですらない。
光の中から現れたのは、白銀の鎧をまとう。守護者。
滑らかな装甲の継ぎ目から淡い翠光が脈打つ。顔の位置にある仮面には一片の感情もない。
眼窩の奥で揺らめくのは、命令の遂行のみを映す。
「あ、あ、あ……!」
危なかった。
あとコンマ1秒遅れていたら。
この腕のなかで震える温もりを失っていた。
「な……ナエ?」
「よう、まだ生きてるか?」
ティラは、俺の胸のなかで首を小さく幾度と縦に振った。
ギリギリだった。ギリギリ間に合ったからこうしてまだ生きている。
襲来の直前に俺は、スキルを使用し彼女の身体をすくい上げることに成功した。
「……アタシのこと、たすけてくれたの?」
「そうだとしても助かったとは言い難い状況だけどな」
「はうっ……――はうぅっ!」
俺を見つめるティラの瞳がじわりと濡れそぼる。
なんか彼女の様子がおかしいけど、かまっていられるほど暇ではない。
ご褒美の前には苦労があるのは必然。ボス戦をしないで報酬のみをかすめとれるものか。
「コイツは――守護者アルカディア! 緑翠の迷宮最奥に仕組まれたボスであり、精霊の剣の守り手!」
完全にこの存在のことを忘れてた。
霧がかっていた記憶が鮮明に晴れていく気さえする。
だから俺はいままで不安だったのだと理解した。
「(無意識にシセルやカイハをパーティに入れたかった理由はこれか! それは障壁が待ち構えていることだけを覚えていたからだ!)」
なのに見てみろ、この惨状を。
頼みの綱であるカイハやシセルなんていやしない。
「(しかも勇者ちゃんすらいないって、どういうことォ!!??)」
俺には、懺悔し後悔する時間はなかった。
守護者アルカディアの仮面に刻まれた光条が、わずかにこちらを向いた。
翠色のセンサーが点滅し、視線が交わる。
息を呑む。こちらの存在を、確実に認識された。
「《識別信号……未登録個体ヲ検出》」
「《パターン一致率、0.03%──既存データベースニ該当、ナシ》」
巨体が向きを変えるだけで世界が振動した。
無数の電子声がざわめく。命令と分析と予測が同時進行で流れる、異質な合唱がはじまる。
「《判定:不明勢力。排除対象ニ分類》」
「《警戒レベル上昇──プロトコルβへ移行》」
「《戦術演算開始。対象ヲ補足》」
淡々とした音に説得の余地がないことを叩きつけられた。
たぶんというか絶対に問答無用で攻撃してくるつもりだ。
「動けるか?」
「ひ――ひゃいっ! が、がんばれば、なんとか、できまする!」
なに語だ。
ティラはときおり痙攣したように身体を跳ねさせる。
不安だが、いまは生きることしか考えられない。
「動けなくても全力で動いてくれ。動けなければたったいま拾った命が弾き消える」
「でも、どうやってあんなのと対峙するの!? アタシのもってる魔法や武器じゃ相手にならないんだけど!?」
ソレが問題なんだよなぁ。
俺だって超強いスキルの1つでもあれば話は別なんだが。
「(ちなみに裏勇者ちゃんは協力してくれたり?)」
『む・り。だってあのワザは私じゃなくてあの子に刻まれた刻印ですもの』
「(あいふぁいんせんきゅー……)」
なんてこった。
わざわざ答えてくれたことにはいちおう感謝しておく。
打つ手なし。無力。無策。無防備。
まるで泥の底でもがくように、なにもできないという現実だけがのしかかってくる。
「《継承者トシテ認識可能カテスト開始──識別コード走査、対象特定》」
無機質な声が広間の空気を震わせた。
床の緑翠の紋様が再び輝きを増し、光の輪が俺たちを囲む。
「く、くるわよ!? ちょっとこれほんとにどうするつもり!?」
巨大の接近にティラの声が裏返る。
慄くように俺の胸から飛びだして構えた。
ここにきて裏技の裏勇者ちゃんまでもが使い物にならない。
『誰が使えないってぇ~? ナエ様が無能で雑魚なだけですよねぇ~?』
決まってる。
こんな状況でできることなんて1つしかない。
「戦略的撤退だああああああああ!!!!」
※つづく
(次話との区切りなし)
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