63話 緑翠の古宮殿《Fallen Star》
車輪が軋みを上げて止まった。
湿った風が鼻先をかすめ、車体の外でも未だ豪雨が降りつづけている。
俺たちは扉を押し開け、おのおのにぬかるんだ草を踏んで地面へと降り立つ。
草葉が靴の底に張りつく。森の湿気が鼻の奥にまとわりつく。
見上げれば、茂った葉の天蓋が頭上を覆っている。そこから頼りない日光と雨粒がしとり、しとり。滴り落ちている。
「密林の奥に隠された明らかに人の手によって作られた創造遺物ときたかぁ」
到着した先には、石造りの構造物が姿をのぞかせていた。
カイハは腰の剣を軽く揺らし、口角の端を吊り上げる。悠々と、しかし獣じみた鋭さで遺跡を見上げた。
「こりゃなんかなくちゃバチが当たっちゃうねぇ!」
その瞳は、興奮という稚拙なものではない。
獲物を見つけた狼のそれに限りなく近かった。
不思議と道中は平和だった。
魔物の襲撃もなければ、さして大きな問題もない。ただ雨と轍の音だけが、長い道のりを埋めている。
御者の男は、馬車を降りる。しとどに濡れた皮の雨具の襟をゆっくりと解く。
「馬車での接近はここまでにしておこう。私はここに残って馬と馬車を警護しておく」
雨具の下にはパリッと糊の利いた燕尾服を着こなしている。
さらに貫禄のある眼光がカイハとシセルを順繰りに一瞥した。
「ここまでの膳立てはしたのだからお前らは責任をもってクライアントを守り抜くのだ」
「おつかれちゃん! 俺らは楽しい楽しい冒険をしてくるからお留守番よろ!」
「にひっ♪ お土産話と遺跡のお宝ダブルで期待しててねぇ♪」
2人からの返答は風船みたいに軽い。
仲間への経緯どころか、遊びに行く子どものノリだ。
それはそれとして、あちらもそうとうなもの。一方的にイチャイチャと別の意味で湿度が高いことになっている。
「ねえねえ~レーシャの好きな食べ物ってなにぃ~? ちなみにアタシは赤くて濃ゆいのが好きぃ~」
「……はわわ」
町を出発してからというものずっと、こう。
ティラは執拗に勇者ちゃんにまとわりついている。
しかも彼女の手が不用意に触れるたび、勇者ちゃんは肩をきゅっと縮こめて固まっていた。
「こんど町にある美味しいスイーツのお店紹介したげるねぇ! 身体中の血まであますことなくあまぁくなっちゃうんだからぁ!」
「……はわわわわ」
「(すごいな……あの元気な勇者ちゃんがなんともいえない反応をしている……というか扱いに困ってる)」
なんともちぐはぐ。緊張感があるとは口が裂けても言えない。
とはいえ全員が冒険者用装備に身を包む。それぞれが得意とする武器を携えていた。
とりあえず俺は、困惑している勇者ちゃんからティラの意識を引き剥がしてやる。
「ティラの用意した武器はメイスなんだな? やっぱり修道女なだけあって刃物は使わないとかあるのか?」
「使い慣れてるってだけよ。だって刃物なんか使ったらアタシのもらうアレが漏れちゃうし、現場にも証拠が残っちゃうでしょ」
アレとは血のことだろう。
多少嫌みを籠めたのだがティラは気にした素振りすら見せない。
吸血鬼事情も複雑だ。攫うにも現場に血痕を残すわけにもいくまい。
俺も彼女のメイスで影から後頭部をぶん殴られたうちの1人。不本意なことにティラの隠密する手際は折り紙付きである。
「いちおうだけど他の目もあるんだから吸血鬼の力を堂々と使うなよ」
「顔ちかっ!? わかってるわよそんなことくらい!?」
ほんとならいいんだが。
いまいち信用ならないのが俺の本音だった。
「っていうかお前さ……昨日俺のことそれでぶん殴ったこと忘れてないだろうな?」
「昨日の夜のことなんだから忘れるほうが難しいでしょ? アンタって貧弱そうな見た目なのに、ちょー石頭だったし?」
なんか協力したくなくなってきたな。
とはいえここは勇者ちゃんのためだと思って頑張るしかない。
ここは『緑翠の古宮殿』と呼ばれるダンジョンのひとつ。
言ってみれば、ほぼ序盤のダンジョン。だからさほど難易度が高いというわけではない。
加えて本来ならば勇者ちゃんと僧侶ちゃんの2人で攻略するという運び。なのに今回はシセルやカイハがいる充実ぶり。
「(俺の記憶が正しければここには勇者ちゃん専用の神譚遺物が祀られているはず)」
それさえ手に入れれば、あるいは。
勇者のみが扱える装備に感応し、勇者ちゃんが覚醒する可能性だって大いにあり得た。
「(これぞ策謀と策略! しかも危ない橋は渡らない! 完璧な采配ってやつだな!)」
そんな俺の胸のうちなど知る由もない。
勇者ちゃんは落ち着きなさそうに周囲をきょろきょろしている。
「せっかくお休みだったところを無理やりお願いしちゃって大丈夫だったんでしょうか……」
その声は雨音に溶けるほど小さい。
豊かな胸を押さえながら、そわそわとスカートの裾を揺らす。
どうやら彼女は御者の男を気にしているらしい。
「カイハさんとシセルさんは意気揚々としていますけど、御者のかたには迷惑だったのでは……」
可愛い上に気配りまで細やか。
御者の男を見つめる瞳は、雨雫のように揺れていた。
申し訳なさからか、眉尻がかすかに下がり唇がためらうようにすぼまっている。
今回の冒険はいわば突発的。御者の男からしてみれば寝耳に水どころか豪雨だったはず。
しかし彼は眼差しひとつイヤな態度は決して見せていない。どころか蔦が這い苔生す宮殿を勇壮に見上げつづけていた。
「あ、あの……突然のお願いにも真摯なご対応くださってありがとうございます!」
勇者ちゃんが勇気を振り絞って歩み寄る。
すると男は視線のみを動かして彼女を視認した。
「我々ギルドとしても未知なる対象は見過ごせませぬ。歴史に紐解かれず放置された遺跡とあらばティラ様の発見は僥倖と言っても限りない」
「でもあまり無理はなさらないでくださいね。雨も強いですし、体を冷やしたら大変ですから」
「ご心配には及びませんよ。なぜならこれもまた冒険者の務めであり、役目ですので」
そう言って男は勇者ちゃんに深く礼をした。
一言一句に相手への敬意が籠められている。年輪を刻むように声色は低く、聴きとりやすい。
そんななかカイハが2人の間に割って入る。
「だーいじょぶ気にしなさんなって! このおっさんはこういうことにめちゃ寛容だから!」
男の胸板を叩きながらひらりひらりと手を払う。
「冒険者にとって冒険とは徳を積むのと同義であ~る、とかいっつも言っちゃってるしさ! このおっさんはこういうのを世界で1番愛してるタイプの堅物なんだからさ!」
軽薄ぶりたっぷりな似てないモノマネだった。
まるで御者を石像かなにかと考えているかのような扱い。しかも既知の存在を自慢するかのように鼻を膨らます。
「それに昨日だって戦闘には参加してなかったっしょ! ああやって若い連中の尻拭いするのが大好きなのよ彼ときたら!」
それを聞いて勇者ちゃんはふむん、と唇に指を添える。
「確かにシセルさんとカイハさんがお部屋へ説得に向かってすぐ戻ってこられましたよね。最初から話が通っているのかと思ってしまうくらいスムーズでしたし」
「そういうことそういうこと! 実はこのおっさんが足止め食らって1番やきもきしてたまであるってわけ!」
そういえば昨日の戦闘も俺たちに一任してたっけ。
佇まいや表情はダンディーというかより貫禄すら覚えるほど。
後進の育成に進んで参加する。まさに理想の上司像を切り抜いたかのよう。
「(それなら、まあ……いいのか?)」
なんだろう、この拭えぬ違和感の正体は。
例えるなら歯車の歯が噛み合っていないかの如くバランスが悪い感じ。
まず高級な馬車で遠方の村への出迎えさえできすぎていた。しかも若きエースと貫禄ある御者の護衛付き。これではまるでVIP待遇ではないか。
「(なんかはじめからずっと胡散臭いんだよな……とりまカマでもかけてみるとしよう)」
おそらく悪意はない、と思う。
しかし俺の素性がバレているという線も隠しきれない。もし世界の創造主だとバレたなら一生アークフェンの村には帰れなくなってしまう。
それとカイハは性格的に軽い。しかもいまは上機嫌でふんぞり返っている。狙うならいま。
「そんなスゴイ人が一緒に冒険してくれるとかまさに大船に乗った気分だな! きっとカイハよりも冒険者として格が高い人なんだろうなぁ!」
「そりゃそうでしょ! だってこう見えてうちのギルドでいっちゃん――」
「カイハ黙りなさい」
シセルが名を呼ぶとカイハはすぐさま口をつぐんだ。
止めたシセルもあちらを向いたまま、それ以上は語らず。
まるでどこか別の場所でも見つめるているかのよう。断固としてこちらと目を合わせようとしない。
「……え? なにこの空気? ちょー重すぎて髪のセット乱れそうなんですけど?」
ティラは小首をかしげ、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
襲いくるよそよそしい空気に困惑を示す。
一部が戸惑いを見せるなか。わざとらしい肘鉄が俺の脇腹を突く。
「このこのぉ~。ナエさんと喋ってるとどうにも色々余計なことまで喋らさせれゃうねぇ。もしかしたら天性の人ったらしかな?」
「(コイツ……いや、いまの一連の流れでコイツら絶対になにか隠してやがるということだけはわかった)」
とってつけたかのような違和感が満載だった。
わざとらしいにもほどがあるだろ。この様子だとシセルとカイハはグルと見て確定。もしかしたら御者の男も同様か。
「(これは……今回の遠征そのものを考え直してみるべきか?)」
遠征そのものが罠という可能性も考えられる。
俺如きモブを歓待する裏には想像を絶する隠謀が秘められているかもしれない。
しかもこのままでは勇者ちゃんを巻きこんでしまう。
「(万が一にも、いや億が一にだってそれだけは避けないとな)」
そう考えを巡らせた、その刹那だった。
最初は気のせいかと思うほど小さな震え。だが次の瞬間、地の底が突き上がるように地面が跳ねた。
ティラが悲鳴をあげながら覚束ない足どりでなんとか踏ん張る。
「っ!? な、なによこれぇっ!?」
天蓋の如き鬱蒼と茂る葉が雨粒とともに散った。
木々がざわめき、幹ごと左右にうねる。雨粒が斜めに飛び地鳴りが腹の底を叩く。
「地震か!?」
カイハが叫ぶよりも早く、シセルが手を伸ばして勇者ちゃんを庇う。
御者の男は手綱を引き締め、馬のいななきが轟いた。
世界そのものが軋むような衝撃が世界を覆う。
ただでさえ濡れた大地が波打ち、波紋を広げる。苔生した石畳が割れて亀裂を作る。
「(こ、こんなイベント知らないぞ!? だってまだダンジョンにすら踏み入っていない!?)」
思考のすべてが震動によってかき乱された。
突如、大地が怨嗟の如き唸り声を上げる。
それは地震のつづきではない。まるで門を開いたかのようだった。
緑翠の宮殿の目前。濡れた大地がずずず、と音を立てて2つに別れていく。
ひびが走る、というより大口を開ける。崩壊ではなく開門。そこには何者かの意志めいた力を感じた。
「ナエ様!?」
勇者ちゃんの叫びが轟音を裂く。
気づけば俺の足元が崩れ落ち、視界が反転している。
雨粒が流星のように上へと昇っていった。
そしてすんでのところで勇者ちゃんの白い手がこちらへと伸びる。
「――ダメだッ!!」
だが俺は、その手を掴まない。
混乱していたわけじゃない。恐怖でも、諦めでもない。むしろ緊急事態だからこその冷静な判断だった。
彼女を巻きこむわけにはいかない。純粋無垢で、誰よりも優しく、平和の名の下で生きる彼女を、俺は。
「どうして!? ナエ様あああああああああああああ!?」
手が空を切った瞬間、勇者ちゃんの目が絶望に染まる。
絹を裂くような悲痛な叫びが、雨音とともに遠ざかっていった。
身体が光に呑まれる。音が消え、世界が上下を失う。
「それ以上は身を乗りだしちゃダメよ!! このままだと床が崩れてアナタまで落ちちゃう!!」
「イヤアアアアアアアアアア!!! シセルさん離してええええええええ!!!」
墜ちていく。
底知れぬ未開の門の奥へ。
…… …… ……
最後までご覧いただきありがとうございました!!!




