61話 ひとりぼっちの女の子《Crimson Vow》
おっぱいが触りたい。
そんなこと言えるか、バカか。
言いかけた瞬間ぎりぎりで素へと戻る。
「(やべぇ……よく考えたらとくに望みとかないわ)」
ないんだよ、夢が。
こういうとき女の子にしてほしいこと。いわゆる刺激的ボキャブラリーが絶望なまでにない。
「わくわくっ! わくわくっ!」
「(乳揉まれそうだったっていうのに、すっごいキラキラしてる)」
いっぽうティラは踵を浮かせながら文字通り期待で胸を弾ませていた。
よほど勇者ちゃんと親密になりたいらしい。俺ていどからだされる条件なら必ずやり遂げるという自信が見てとれる。
どうしよう。己のはじめた取引だというのに流れが停滞してしまった。
「どしたどしたぁ? シセルちゃんがおはようって言ってるのに返さないとかありえないぞぉ?」
「――っ!?」
突如、そこそこいい女が視界を占拠する。
鼻先がかすめるほどの距離で俺を覗きこんでいたのは、シセルだった。
俺は驚いて咄嗟に後ろへと飛び退いて身体を逃がす。
「いきなり現れんな!? 心臓が飛びでるかと思ったぞ!?」
「はっはーんさてはねぼすけねぇ? 昨夜はレーシャちゃんと同室で眠れなかったってことですか、うひひ!」
「(逆に寝過ぎてなにもなかったんだよ!)」
突然現れたかと思えば、笑いかたがまた小狡いのなんの。
片目を細め、口の端を吊り上げる。
まるで悪戯が成功した子どものよう。だが挑発めいた大人の余裕も漂わせていた。
人をからかって気が済んだのか。シセルは「ふむ」吐息を零し、俺の横にいるティラに視線を滑らせる。
「わおっ!? なにこのめちゃカワ美少女シスターは!? 肌の透明感とか髪の滑らかさとかヤバくない!?」
うちのパーティーってチャラいのしかいないのか。
シセルは、ティラを認識するなり瞳に星を泳がせた。
「アンタ……誰?」
温度差が顕著すぎる。
ティラは、シセルを睨むとじっとり目を細める。
こそこそ話していたところに図々しく入りこんできた女。いい印象をもつはずがない。
しかしシセルはこれ見よがしに鼻高々と腰を突きだし背を仰け反らせた。
「私に聞いているのであれば教えてあげちゃいましょう! この私こそがちょうえりぃぃと冒険者のシセルちゃんなんだから!」
ほどよく孤を描くブレストプレートを自信満々に押しだす。
悪いやつではないのだが、この自信はいったいどこに源泉があるのか。はなはだ疑問だ。
空気をとりもつという意味で俺は間に割って入る。
「そういえば昨日はギルドへの報告もすっぽかしてどこにいってたんだ?」
「装具の点検とか足りない食材調達。それから大ギルドへの報告とか色々あったのよね」
意外とまともな回答だった。
てっきり町酒場でしけこんでいるとでも思っていたが。
シセルは小悪魔のようにニヤつき、下から覗きこんでくる。
「なになにぃ? 私がいなくて寂しかったとかぁ?」
「うん」
食道の空気とシセルがピタリと止まった。
ニヤつく笑顔の端がヒクヒクと小さな痙攣を繰り返す。
「え、うそ……ちょっと正直すぎない?」
「うん」
「……か、からかってる?」
「当たり前だろ」
「からかってんのかい! ちょっとドキッとして損したじゃん!」
なぜ肯定されて照れるのに問うてくるのか。
目には目を歯には歯を。からかいにはからかいを。
あちらもそうであるように、こちらも彼女とはほどほど付き合いは長いのだ。そろそろ扱いのほうも慣れてくる。
「(それはともかくとして大ギルドのへの報告って言ったか? あれだけテーブル作業嫌いを自負してるくせに? コイツの性格なら別の誰かになすりつけるだろ?)」
「ところでこの子とどんな話してたか教えてよぉ。レーシャちゃんとカイハに聞いてもわかんないって言うしさぁ」
思考していると、急に腕で首を絡め捕られてしまう。
女性特有の甘い香りが鼻腔をぐすぐった。体重と一緒に軽装具が押しつけられて若干痛い。
「重いし暑苦しいからダル絡みしてくんな。それに別に中身のあるような話をしていたわけじゃ――」
俺がシセルを押しのけようとすると、滑りこむ影があった。
「その出で立ちに自信に満ちた立ち振る舞い! さぞ高名な冒険者様とお見受けいたしました!」
ティラ、だったものがいる。
脳天を貫かんばかりの甘え声、しかも目をうるうると滲ませ、豊満な胸の前で祈り手を組む。
「短い間だけでもいいのでワタシをアナタのパーティに加えていただけませんか!?」
なに言ってんだコイツ。
まずシセルがパーティーリーダーなわけないだろ。
しかも媚びを売っているのは日の目を見るより明らか。そんなわかりきった演技に騙されるようなやつが。
「(いるな……しかもその場のノリで決めるやつが2人ほど)」
「きゃわゆううううううううう!! きゃわきゃわのきゃわわわわ!!」
嫌な予感のクリティカルだった。
シセルは飛びつかんばかりにティラを抱きしめる。
言葉ならざる猛りを叫びながら棘のある毒花と知らずに思い切りハグをした。
「やわこいやわこいぃ! こんな美少女となら魔王領にだって一緒にランデブーしちゃーう!」
「きゃっ! ありがとうございますっ! 高名な冒険者様と冒険をご一緒できるなんて光栄ですぅ!」
秒で骨抜きにされる女がいた。
まるで魅了されるような速度でシセルは陥落する。
「ナエナエっち! この子は私のだかんねっ! ちょうだいって言っても渡さないからねっ!」
「そんなおっかないもの頼まれてもとらねーよ」
シセルに抱きすくめられたティラは、影でニヤリとほくそ笑む。
なるほど、外堀から埋める作戦か。俺からの肯定が得られなかったから路線を切り替えたのだ。
パーティーに食いこめば結果的に勇者ちゃんと場を共有できる。
「みんなー! 新しいパーティーメンバーよー!」
そんな思惑を知る由もない。
シセルは、意気揚々とデカい尻を振りながら去って行ってしまう。
おそらく勇者ちゃんとカイハは参加を拒否することはないはず。理由は違えど、2人とも社交的な部類だから。
しかし俺は、未だ納得がいかずにいる。腕を組んでティラへ問い詰めの姿勢をとる。
「ひとまずのところ聞いておくが、レーシャちゃんのどこに惚れこんだんだ?」
「……。そんなの知る必要ある?」
「性別は女だけどやってることはただのストーカーだからな。俺らにとって危険因子じゃないことを証明してくれ」
なにせこちらは勇者ちゃん愛好会名誉会長と言ってもいい。
俺の勇者ちゃん好きは確固たる地盤の上に築き上げられた、いわば堅牢な城の如し。昨日今日仲良くなったばかりのティラていどに負けはしない。
「吸血鬼なのに怯えたり阻害したりしないとこ」
「む? 確かにレーシャちゃんは優しいが……」
田舎者ということもあるだろう。
勇者ちゃんは外の風を浴びずに村のなかのみで生きてきた。そのため他種族への差別心が皆無のまま育っている。
ティラはふいに視線を落とす。横顔に射す陰影はどこか薄く冷たい。
「アタシは人間のこと大好きよ。集団で作り上げる文化も文明も歴史も芸術もとても素敵で尊敬している。でも……人間は吸血鬼と聞いていい顔はしないの。必ずといっていいほど怯えるか、すくむか、険しい表情で考えこむ、いじめてくることだってあった」
声のトーンが、ほんの少しだけ落ちて聞こえた。
それでも表情は、見えない。髪の陰に隠れたまま、唇の動きだけが微かに見てとれるていど。
「でもあの子は吸血鬼のアタシじゃなくてアタシという実体に語りかけてくれた。種族が違うだけで迫害してしまうのが普通でしょ。なのにあの子は生まれも育ちも種族さえ違う、このアタシ自身に友だちって言ってくれたのよ」
「(ふむ……この一面は俺の造った設定に存在しない補填部分だな。物語の流れに新訳が追加されてるのか)」
さながら1人ぼっちの孤独な吸血鬼少女。
そこへ勇者ちゃんという穢れなき無垢が語りかける。
これはもしかすると本編中に明かされぬ彼女の本心なのかもしれない。
「だから……もっと知りたい。今後絶対に会えないかもしれないなら無理矢理にでも絆を結びたい。わがままって言われても関係ない。ここでわがままを押し通すことはアタシにとって勇気だから」
ティラは肺から絞りだすように熱い息を吐ききった。
同時に胸元にかけた修道服の布をぎゅっと握りしめる。
指先が白くなるほど力が籠められている。濡れた生地がわずかに皺を寄せ、掌にしっとりと吸いつく。
「(敵意でも、打算でもない。見て知って繋がって相手を理解したい想いそのもの、か)」
彼女が掴みかけているのは、孤独の果て出会った誰かを想う覚悟だった。
彼女の意志が、確かに伝わってきた。紅の瞳がまっすぐにぶつかってくる。
俺は静かに頷き、その心をしかと受けとめる。
「じゃあひとまず条件は置いておくとして、パーティーへの参加と協力を俺がバックアップしてやろう」
「――ほんとっ!!」
ぴょん、と。喚起に抑揚ある胸がたわわに弾む。
その様子を俺は薄目で見つめつつ提案する。
「つっても俺たちの目的は大ギルドに向かうことだ。仲良くなるにももう少し別のクエストかイベントがないと心許ないぞ」
「むむっ! 確かにそうね……ああ煩わしいどうしましょ!」
馬車のなかでお喋りだけというのも味気ない。
せっかくこんな世界なのだから友情を育むための冒険くらいあってもいい。
「かといってそんな都合のいい展開があるのかぁ? さすがにゴブリンやトロール退治なんて血生臭いことは俺だってイヤだぞ?」
「お花や薬草の採取……は、こんな土砂降りじゃダメだしぃ~」
「そもそもレーシャちゃんの日常に採取は含まれてるから刺激がないと思うが」
「ぬぬぬ~ぅ……」
2人して腕を組みし、身体を横に傾けた。
今回の件、ティラと戦ったときも、そう。勇者ちゃんにはもっと場数という経験を積ませるべき。
勇者に目覚めてはいないが、彼女は決して弱くはない。
俺が勇者覚醒イベントを潰してしまったのだ。責任をもって目覚めるポイントを踏ませねば。
「なんかこう……お宝の眠る装備強化ができそうなスポットが近くにあったり……しないかぁ」
俺の記憶にも限界がある。
さすがに物語の細部に至るまでを網羅しているとは言い難い。
書かれぬまま放置された物語。終わらせてもらえず停滞してしまった世界。
これは責任だ。
俺がもし、あのときもっと早く目覚めてさえいれば。
重大なミスを犯さなければ、この世界は。
「おいおいおーい? なーに2人して考えこんじゃってんのさ?」
「カイハとレーシャちゃんの説得のほうはとっくに終わってるわよぉ。それと今日は大雨だからもう1泊この町に足止めだってさー」
並行を辿る思考に軽い声が2つほど、横断した。
あちらを見れば、カイハとシセルがこちらへと近づいてきていた。
※つづく
(次話との区切りなし)
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