6話 ヒトリノ、フタリ
死してなお
生きるからだ
矛盾
既定路線を変える
歪み
歪む
「ふぅ~……風呂も天然温泉で最高、ご飯も絶品、寝床もふっかふか……ここが天国かぁ?」
ベッドに腰を下ろしながら火照った汗を拭う。
思わず口から漏れた言葉は、感謝というよりも感嘆に近い。
旅の埃を洗い流し、空腹を満たす。ようやくこうして身体を横たえられる場所があるというだけで、心の芯までほどけていく気がする。
「これが別世界の家じゃなくて引っ越し先のアパートだったら良かったのに……」
不意に汗を拭う手が止まっていた。
気が緩んだことがトリガーとなる。この身は1度死んで、再びこの地に生まれたのだ。
知り合いも、家族も、友人も。財産も、ツテも、アテも。なにもかもが一瞬で失われる。
「はは。考えないようにしてたのに、急にくるんだもんな」
吐息が漏れると、魂でさえ吐きだしてしまいそうなほど、深かった。
昼の間は混乱していただけ。ひと息つけばこのザマだ。
現実は、スクリーンの向こうの物語でもなければ、ねている夢で見る幻想でもない。
ここは、本当に――別の世界だ。
「……戻れるわけ、ないよな。俺の身体はとっくに死んでるわけだし、いまさら戻っても脳みそがぶっ壊れてるはず」
誰に言うでもなく呟いた声に返事はない。
朴訥とした壁に音もなく吸われて、すぐに静寂へと消えていった。
俺のなかに残っている概念は、空虚のみ。
しかし後悔という痛みだけは、確かな存在感を放っている。思い出そうとするたび、生きていたときの記憶が、もう会えない家族の顔が、霞んでゆく。
俺は、ざぶん、と飛びこむ。仰向けにベッドへ身体を放り投げる。
「無駄だ無駄だ後ろ振り返るのはこれでオシマイにしとけ! せっかくモブ子がくれた2回目の命なんだからうじうじするな、朝倉苗!」
鼻を啜る、微かに滲んだ涙を腕で隠す。
それでも、自分は生きている。ならば、生きていくしかない。
少なくとも、今夜の屋根と、温もりと、眠る場所はあるのだから。
「初日はなんとかなったけど、明日からはゴブリンより現実が敵だぞ。それに職探しとか寝床の調達もしないとだな」
現実がすげ替えるられたのならば、やるべきコトだ。
これでようやくはじめの1歩を踏みだせる。
「モブ子を助けることを軸にするとして勇者ちゃんの覚醒は絶対条件だ。そもそも旅にでなくちゃならんのに力がないとか話にならんぞ」
あるべき物語をはじめなければならなかった。
勇者ちゃんの覚醒イベントを潰してしまったことで俺が物語を止めている。
ゴブリン襲撃イベントを回避したとして、このままでは旅そのものがはじまらない。
「そういえば現実世界からきた俺にスキルってあるのか? だいたい創造主だってのに裸一貫のモブって……」
ステータス。なんとなく仰向けに天井へと唱えてみた。
ステータス画面なんかでるわけがない。そもそもこの世界は開発者にプログラムされたゲームではない。
だが、スキルや才能は―たしか―存在していたはず。
「たしか……才能屋とかいう占い師がいるんだった。勇者ちゃんもそこで贖罪の勇者だと判明するんだよな」
試してみる価値は、大いにある。というか試す以外の道はない。
しかも勇者ちゃんをそこへ連れていけば覚醒する可能性があった。潜在する勇者の才が明かされれば切っ掛けが立つかもしれない。
俺は、瞑想するように瞼を閉ざす。
「とりま金を貯めて才能屋にいくことを第一目標としておこう。斡旋所にいけばベテラン冒険者辺りが場所を教えてくれるだろ」
再度世界を映すと、掲げた手を握りしめた。
しん、と。静まりかえった屋内で、蝋燭の柔らかな灯火が揺らめく。
寝台へ身体を沈めた俺は、橙を映してから世界を閉じた。いまはとりあえず順応しなくては、身体を休め明日に備える。
「……にしても生身の勇者ちゃん可愛かったなぁ。小っちゃいのにおっぱいが大きくて性格もいい。そのうえ子犬っぽく人懐っこくて……」
微睡む瞼の裏に浮かぶものは、まだなにもない。
前世の現代日本を思い出へ追いやるには、もう少し時間がかかりそうだった。
代わりに中2時代に作ったはずのキャラクターばかりが脳裏をよぎっていく。
触れた暖かさ、肘に当てられた胸のほろ甘い感触。小躍りする足どりに短いスカートがふわりと浮いては気を揉ませてくる。
彼女が名を呼びたび、微笑むたびに、俺は目が離せなくなっていた。
「ヤバい……ぜんぜん眠れん! あああああん勇者ちゃんが好みすぎて明日からどう立ち回っていいかわからん!」
考えただけ眠気がどこかに吹き飛んでしまう。
モヤモヤというか悶々というか……とりあえず元気になっている。
俺は、行き場のない感情のコントロールを失う。ベッドの上で頭を掻きむしり悶えて狂う。
「よく考えたらこれ、勇者ちゃんとひとつ屋根の下で寝るってイベントじゃねぇか……! 遊び人を連れた同室で爆睡できるほど俺の精神力はクエストしてないぞ……!」
これは恋か、はたまた変か。
中2のころに創造したはずのキャラに不貞の感情を滾らせてしまう。
コン、コン。
すると控え目なノック音が雑念に満ちた俺の鼓膜を震わせた。
俺は疾風の速さで飛び起きると、音のした扉のほうを凝視する。
「あの、まだ起きていらっしゃいますか?」
扉越しにくぐもった絶賛睡眠妨害中の声だった。
俺は深呼吸をしてから何気なく「どうぞ」と、理由もなく応じる。
わずかな間を開けてから染みついた木目の扉がぎぃ、と開かれた。
「す、すみません……お邪魔だったでしょうか?」
おずおずと覗く姿も奥手で愛らしい。
まるで妄想から飛びだしてきたみたいなタイミングだった。
「こんな時間にどうしたんだい?」
低く、悟られぬよう、必死だった。
ここは男の部屋。おいそれと少女が招かれていいはずないだろ。
しかも相手は勇者ちゃん。中2のころの俺が欲望をふんだんに創造した傑作である。
「ちょっとだけ、もう少し、ナエ様とお話がしたくて……ダメです?」
「ま、まあ……少しくらいなら、いいんじゃないかなぁ?」
「――ありがとうございます!」
足音さえも忍ばせて、彼女は部屋のなかへと身を滑らせてくる。
同時に俺の心臓は、ロックな悲鳴をあげながら破裂する寸前で耐えていた。
甘く揺らめく蝋燭の橙が彼女の輪郭と陰影を、そっと浮かび上がらせる
「そ、その、あまり人に見せる格好ではないので、ご無礼をお許しくださいっ!」
「!!?」
身にまとうのは、薄い生地の単衣だった。
合わせからは眩しいほどに白い胸元が、窮屈そう。ふわりと香るのは風呂上がりの余韻。薄い桃色の生地を梳かす肌は色気がむんと弾ける。単衣の布がなめらかに揺れて、裾からはみでるおみ足が艶めかしい。
そして勇者ちゃんは迷わぬ足捌きで俺の隣、寝台に腰を据える。
「そ、それって寝間着なのかなぁ!? やっぱり寝るときは動きやすい格好のほうがいいって言うもんねぇ!?」
しかもちょこんと座る彼女の位置は肩と肩が触れ合うほどの超接近だった。
こちらの羽織も薄手ということもあって体温が直接伝わってしまう。
「(なんだこのプレッシャーはァァ!? 距離感がバグってんぞォォ!?)」
据え膳、否。冷静になれ馬鹿野郎。
こんなあどけなく、慕ってくれる少女に手を上げるなどとは、言語道断の極み。
しかし直前まで妄想に耽っていた勇者ちゃん本体が、手の届くところにいる。
手をだしますか?
はい
→いいえ
「(いいえに決まってんだろ!?」
ええ~……いいじゃんやっちゃいなよ?
はい
→いいえ
「(抵抗してくんなよ俺の性欲?!)」
どうやら俺の心と脳は乖離しているらしい。
雑念が悪魔のように鼓膜の奥から囁いていた。
だが、自制心と理性が最後の牙城を守り抜いている。
「は……話ってなにかな?」
帳の降りた静寂に男と女が、1人と1人。
蝋燭の柔らかな光が、静まり返った部屋をほのかに照らしていた。
枠に閉じこめられた空は、夜と星空のみを切りとっている。
「さすがになにか俺に訊きたいことがあったんじゃない? でないと女の子1人で男の部屋にこようとは思わないはずだし?」
しばし開けて、勇者ちゃんはこくりと頷く。
「どうして、村を救おうとしてくださったのか、って。どうして、危ない目に遭いながら、助けてくださったのか、気になってしまいまして」
不安げに、けれどどこか期待を秘めた瞳だった。
闇の中で光を集め、じっとこちらを見つめてくる。
「そ、それは……」
「救わないという選択もありましたよね? もっと楽なほうに逃げてしまうこともできましたよね?」
俺は、卑怯にも熱のある視線から、目を背けた。
すぐに言葉はでてこない。ただ、鼻先で笑うように短く息を吐いた。
「そうだな。逃げることだって、違う選択をとることだって、たぶんできた。見て見ぬふりして、知らないふりして……俺は、ただの旅人なんだから」
勇者ちゃんは黙って、俺の言葉を待っていた。
手のひらを膝の上で握りしめたまま。まるで祈るかのように。
「でも……この村が、アークフェンというみんなの築いた世界が、壊れてほしくなかったのもある」
俺は、ようやく彼女を見つめることができた。
まっすぐに。嘘ばかりつづけてきたが、いまだけは偽りなく、心を紡ぐ。
「この村を放っておいたら一生後悔するな、って。それだけだよ」
勇者ちゃんの肩が、すっと小さく揺れた。
「そんな……理由で?」
「そんな理由じゃダメかな?」
見つめ合うと、1秒が10秒だった。
幼げな瞳の奥には、俺がいる。きっと俺の中にもキミがいる。
「じゃあ、これからも……救ってくださいますか?」
「俺にできることならなんとかしてみる」
心が捕まってしまいそうな気がした。
だから俺は不意に視線を逸らす。
だが一瞬の隙をついて、彼女はふわりと身体を寄せた。
そしてためらいもなく頬にそっと唇を押し当てる。
「あっ……」
俺が驚いて目を見開くと、すでに彼女はそこにいない。
勇者ちゃんは去り際に少しだけ照れたようにはにかむ。
「………………でね?」
肩越しに見せた彼女の笑顔は、不完全だった。
それでいて大人っぽくて、セピア色で、まるで色褪せた情感を孕む。
追いかけようとしたが、足が張りついたように重かったし、もうそこにはいない。
なぜかその刹那の光景が、俺には、ものすごく印象的だった。
〇 〇 〇 〇 〇 〇
主人公:朝倉苗 未来予想
勇者ちゃん:レーシャ・ポリロ 贖罪の勇者