59話 旅は道連れ世はKE・NA・GE《Pretty Girl》
意識近く、星の光が遠退くころ。
目覚めた朝日は分厚い布団を被るように雲の向こう側で今日を迎える。
屋根を叩く雨音が屋内へと染みこむ。木の梁を伝ってわずかに響く低音に眠り阻まれ瞼を開く。
「…………?」
朧に紗がかる視界の端からにょっきりと。
今日のはじまりに勇者ちゃんの顔がデカデカと映しだされた。
「なにやってんの?」
乾燥してヒドくしわがれた声だった。
脳に血流が回っていくと状況の節々がわかってくる。
勇者ちゃんが膝立ちで俺の横たわるベッドに肘を乗せていた。
「予定よりちょっと早く目が覚めちゃったのでナエ様観察してますっ」
しかもいつも通り、可愛い。
ふわふわのほっぺを両手で包むようにしながら笑顔を浮かべている。
大きなバストを布団の上に乗せているため谷間が顕著に影を作っていた。
「楽しい?」
「はい、とってもっ」
「そっか」
俺は他人のような身体に鞭を入れつつ起き上がる。
昨夜はひと騒動あったし、慣れぬ旅のはじまりということでなかなかハードスケジュールだった。だから宿へ帰ってくるなり泥のように眠ってしまったのだ。
半分開きかかった眼で、乱れた髪を手櫛するよう掻きむしる。
「(せっかく勇者ちゃんと同室だったのに、俺としたことが不覚をとってしまった。すやすや眠る勇者ちゃんを網膜に焼きつける予定だったのに……)」
旅のはじまり、冒険者たちの救助、そして吸血鬼娘の襲来。
1日にイベントが詰めこまれすぎて胃がもたれてしまうではないか。
それにしても。
「今日は雨が降ってるのか。馬車で移動するにも体力を使いそうだなぁ」
窓の外はどんよりと薄暗く、雨音が絶えず降りしきっていた。
こればかりは誰かを呪ったところで、しょうがない。自然様は人の暮らしに寄り添ったことは、かつて1度もないのだ。わがままな自然様に人が合わせて生きているだけにすぎない。
「(たぶん自然をキャラ化したら荷物もちを強制してくる傲慢なお嬢様だろう。甲斐甲斐しい勇者ちゃんとはまったく真逆の性格になる)」
ちら、と。そちらを見れば勇者ちゃんがいる。
寝ぼけている俺をニコニコしながら見上げていた。
いったいいつからそうしていたのだろう。気にはなったが尋ねるほどでもないか。
「朝食がでるらしいし食堂に降りてみようか」
「はいっ! 楽しみですねっ!」
勇者ちゃんは景気の良い返事とともに立ち上がった。
細長い足を交差させ橙の襟足とスカートをひらり、翻す。
蝸牛のようにのろのろ部屋から這いだすと、宿の廊下が奥までつづく。
床にはゴミひとつ落ちていないし、花瓶の花も水が与えられて活き活きしていた。大ギルドの経費で落ちるということもあってか安くもなければ高くもないといった光景だった。
「そういえばあのあとティラさんは教会に戻ったんですかね?」
「さあなぁ。宿の前までついてきたときは部屋のなかに入ってくるかと思ったが」
ティラは、やけに勇者ちゃんに懐いていた。
あのまま一緒に泊まるとか言いだしそうだったが。宿を確認するなり教会へと戻っている。
昨夜あれだけの問題を露呈させたのだ。少しくらい大人しくしていてもらわねば。
「~♪ ~♪」
木板の軋む音と、宛てのない旋律が鼓膜をかすめる。
雨だというのに勇者ちゃんの歩調は軽い。手足を真っ直ぐに伸ばしながら楽しそうに首を振っていた。
「やけに機嫌良くて楽しそうだけどなにかいいことでもあったの?」
「なんでもないですよぉ。ただこれから先にも冒険や新しい出会いが待ってると思うと自然にほっぺがほころんじゃうんですっ」
女子特有の頭頂部から突き抜けるような鼻歌だった。
肉付きのいい脚で短なスカートを左右交互に蹴るように前へ進んでいく。
「レーシャちゃんってけっこう旅好きだったりする?」
「もしかしたらそうなのかもしれませんっ! それに一緒に旅をする人がナエ様だからかもですっ!」
やだこの子、ほんと好き。
満足げな笑顔でさらりと殺し文句を言ってのける。それだけで俺の充足感は青天井だった。
見た目だけじゃなくて性格まで可愛いとか。もうどうしようもない。
そのまま廊下を抜けると、突き当たりが明るく開ける。
吹き抜けになった広々とした空間には、すでに香ばしいパンとスープの匂いが立ちこめていた。
長いカウンターには色鮮やかな食事が皿盛りで提供されているらしい。
冒険者たちが思い思いの皿を手に、湯気を立てる鍋や籠に群がっている。
「(へぇ、バイキング……じゃなくて、こういうのはビュッフェっていうんだっけかな?)」
卵料理や肉の香りがたまらず、寝起きの腹が目覚めつつある。
にぎやかな朝のざわめきに包まれながら、俺とレーシャは自然と顔を見合わせて笑った。
「わ、わわっ! 朝からお腹いっぱいになっちゃいそうですねっ!」
「まんべんなく食べないとシェフに失礼だ。浅く広く攻めていこう」
はいっ。戦う相手には申しぶんない。
起きがけ1番。今日をはじめる戦のはじまりだった。
…… …… …… …… ……
皿はすっかり空になり、卓上には満ち足りた余韻だけが残っていた。
高級宿というほどでもないが、ここの食事は値段以上に満足できる。
焼き立てのパン、香草を散らしたスープ、そして絶妙な火加減の肉料理。どれもこれも見た目以上に手がこんでいた。
腹ごなしに、俺はロビーの片隅にある来客用の長椅子にもたれかかる。
「ふぅ~……食ったぁぁ」
冷えた水をひと口ぐびりと煽った。
胃の底で心地よい波が広がっていく。
「お腹いっぱいで幸せですねぇ~……」
隣では勇者ちゃんもが小さく伸びをして、だらりと力を抜ている。
血色が良くなり頬はうっすらと桜色。満腹と幸福の相乗効果でとろんとした表情だった。
「なんでローストビーフってあんなに魅力的なんだろうなぁ~。よく考えればただのビーフの叩きなのにさぁ~」
「ナエ様ってけっこう肉食さんですよねぇ」
「否定はしないぃ~」
腹が満たされ満腹中枢が刺激されまくる。
幸福感が脳の芯にまで染みわたる。
なにより人の金で飯を食うことへの背徳感も手伝っていた。
なにせこの宿は大ギルドの推薦、つまりは奢りである。
「安宿でも良かったのに、気配りができてる辺りさすが大企業だぁ」
「これもう大ギルドさんに足を向けて寝られませんよぉ~」
2人して頬がほころび、ゆるゆると緩みまくっていた。
前日の怒濤だった披露も、朝食の魔力でとろけて消えてしまうほど。
「(とはいえたかが講師役だろ? ちょっと待遇が良すぎやしないか?)」
貴族用の馬車に、プロの冒険者2名の護衛付き。
そこにシセルまでおまけでついてきたのだ。
どう考えても、少々リッチすぎる。
「やっほやっほ。マジ旅のほう満喫してんねぇ、おふたりさん」
軽い。朝の挨拶すら綿菓子のように軽い。
トゲトゲのブロンド色した髪も軽いし、将来有望そうな整った目鼻立ちも軽い。とにかくスーパー軽い。
「カイハ……か」
「え? なになに? なんでちょっちナーバス?」
なんでねぇやい。無意識で鼻頭にシワが寄った。
先日の勇者ちゃんNTR未遂事件を忘れてなるものか。
しかもカイハの嫌疑が晴れたというわけじゃない。金輪際勇者ちゃんとの関係をつつがなく探らねば。
「ところでおふたりさん? 昨日の夜なんかあった系?」
どきり。俺と勇者ちゃんの背筋が同時に伸びた。
さすがに吸血鬼被害を冒険者へ明かすのはマズい。
「な、なにか思い当たるようなことでもありましたかぁ?」
隠し事下手か。
勇者ちゃんの目が8方向に泳いでいる。
「いやいや、そんなだいそれたことじゃないんだけどね?」
カイハは肘をテーブルに預け、コーヒーカップを軽く揺らす。
トパーズのような瞳がにやりと光った。
「冒険者の勘っていうのかな? なんか不穏な空気とか、妙な気配とか……そういうのに敏感になっちゃうんだよねぇ?」
口調は柔らかいが、その視線だけは冴え冴えとしていた。
さすがは若きエース。細々と油断できない。
「ソ、ソソソ、ソーソ、ソンナコトーハ……」
ダメだ。くるみ割り人形みたいになっている。
このまま勇者ちゃんに任せておいたらいずれ絶対100%ボロがでる。
「夜道ばたで出会った迷える子羊をなにごともなく助けたってだけだよ。相談の内容も人生という道に迷ってたから助言をあげたくらいだ」
こういうのは現実からそれるほど乖離が目立つ。
だから真実をかすめるていど明かすだけで、嘘は言っていない。
するとカイハはふぅん、感情の読めぬ吐息を漏らす。
「つまり夜ご飯食べて宿に戻ろうとした帰りに修道女を意図せず助けちゃったってこと?」
「ああ。まあ端的に言えば――……なんでそれを知ってる?」
俺が言ったのは迷える子羊だ。
修道女なんてクリティカルな単語はひとことも伝えていない。
まさか。俺のなかにある嫌な予感が警笛を鳴らす。
カイハは護衛約。もしかしたらあの現場を影から盗み見ていた可能性も否定できない。
もしそうなればティラの存在も危うい。彼女がこの町にいられない、あるいは磔刑に処される未来も見えてくる。
「ん? なんでって……だってほら、あそこの窓に?」
窓に? 俺と勇者ちゃんは彼の指し示す方角に緊張の面持ちを向けた。
やつが、いる。食堂の端にある小窓の外にソイツはいる。
いつからいたのか。あるいは、ずっとそこにいたのかもしれない。
俺と勇者ちゃんは同時に恐怖を覚えて震え上がった。
「ああ! 窓に! 窓に!」
「なんてこった! オーマイゴットだぜ!」
雨降りしきるを背景に、びしょ濡れの修道女が窓に張りついていた。
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