53話 等価値《ALL EVEN》
「野郎……人質のつもりかよ」
耳をつんざく女の悲鳴に、カイハは舌打ちをしながら唾を吐いた。
女冒険者はもうボロボロだった。
破れ切った上衣の裂け目からは痣と血が覗き、荒縄に吊り下げられた姿はあまりに惨めで、直視すらためらわれる。
それでも彼女は生きていた。だからこそ悲鳴が鋭く突き刺さる。
「ひどい……まるで命を命と思わない残虐さ」
勇者ちゃんは真っ青になって胸を押さえていた。
御者の男が低く呟く。
「それは若干違います」
「……え?」
「餓鬼が知能をもつ。それすなわち道徳や倫理さえ侵しはじめるということなのです。あの魔物は命を命と理解しながら冒涜を迷っていない」
声音には怒りとも諦観ともつかぬ響きがあった。
だが静観する姿勢は揺らがずにいる。瞳は常に動きながら銀閃越しに戦場全体を読み解く。
「我々人間と魔王の生みだす魔物の違いは客観的な視点の差異にあります。我らは瞳は生を重んじ未来を望む、だがヤツらの眼は死と滅びに美徳を絶やさない」
「もしその垣根となる視点の差異がなくなってしまったのなら……」
「我々も魔の物と成り果てるのでしょうな」
「そんな……」
勇者ちゃんはピクリと震えて視線を落とす。
人は本来、生を分かち合い、支え合うことで未来を繋ぐ。
だが魔は生を奪い、蹴落とすことでしか己を保てぬ。
その差異こそが、本能と知能の狭間に生きる者の、決して埋まらぬ齟齬となる。
「ですがご安心くだされ。我ら大陸冒険者統一協約機構に属する勇士は決して目前の滅びを受け入れない」
ご覧なさい。銀閃が風を切って戦場を示した。
「肉盾とかマジでダリぃわぁ。オメーら魔物には1mmも効かねぇ戦法だし人間様特攻つーの?」
カイハは高めるように軽く屈伸をする。
「だからってよ……苦しんでる仲間を眺めて品評会してるわけにもいかねーよなぁ?」
人質を掲げられた光景に萎えるどころか、逆に眼光は鋭さを増していた。
彼は堂々と1歩を踏みだす。臆することなく、戦場のど真ん中へ。
「Kirururu」
「Karururu」
咆哮を上げ、別のノームが飛びかかってくる。
しかしその刹那。刻印を宿す剣が閃き、易々とその体を刻み、裂いた。
血飛沫すらも意に介さず、カイハは歩みを止めない。
「ソイツにも帰る場所があって、俺にも帰りを待ってるやつがいる。だったら命ってのは等価値なわけよぉ」
次の瞬間カイハは剣を手放した。
手放すというより投擲したと言うべきか。剣はまるでレーザーの如く大気を貫く。
そして掲げられた女冒険者と魔物の連なりである拘束ようの器具を粉砕した。
「Riruru?」
魔物は倒れた落ちた女冒険者に手を伸ばす。
しかしそれは許されない。超高速で間合いに入ったカイハが魔物の下顎を拳で抉る。
「させねぇってのオ!!」
「――RUBゥァ!?!」
魔物は奇声を発しながら宙を踊った。
顎骨ごと下半分の顔面を粉砕され、血飛沫と破片を撒き散らす。小さな身体は後方へと弾き飛ばされる。
拳を大きく振り抜いたカイハは、なおも1歩も退かずに立ちはだかる。
「手甲や盾っつーのは、己を守るもんじゃないんだよ。剣手放しても敵をぶん殴ってそこにある命を守るために使うんだ」
覚えときなァ。若き身でありながら勇姿は歴戦の修羅に並ぶ。
恐怖に萎えるどころか、むしろ修羅場を糧に鋭さを増す。その眼光は、まさに勇敢そのものだった。
「(…………?)」
なにも心配はない。この戦場は熟練冒険者たちが支配している。
シセルの実力ならばあのていどに引けをとることはない。カイハの実力だって超1級品。
だから俺と勇者ちゃんは傍観しているだけ済む戦い。
「……ん~?」
「ナエ様? どうかしたんですか?」
「いやちょっと、なんだかこの展開に既視感があるというか……」
あるはずがない。なのに喉に小骨が刺さったような不快感。
だってこれは勇者ちゃんが勇者にならなかった世界線。いわば路線変更なのだから。
「さて、と。おーいまだ息してんなら助けてやるから安心していいぞー」
ノームを遠ざけたカイハが女冒険者に歩み寄っていく。
ざわつく、ざわつく、ざわつく。なにか、なにか、なにか。
助けられた女冒険者は、なおもぐったりと地べたに横たわっている。
ざわめく、ざわめく、ざわめく。脳がちりちりと針で刺激されるような不安が止まらない。
「ふぉ……《遠視》」
俺は指で円を作り奥を覗きこんだ。
そして次の行動は、決まっている。
「――《疾走》ッッ!!」
「ちょちょ、ナエ様ぁ!?」
俺は勇者ちゃんを置いて飛んでいた。
肉体が勝手に動いた。考える暇もなく唱えていた。
初速から最高速の刻印を使用し、俺は銃弾の如く戦場を横切る。
「ま、まさか……落っことされたときの衝撃で夢の橋渡ったとかシャレにならないんだけど……?」
「止まれェ!! その冒険者は――」
カイハの伸ばした手が、わずかに彼女の影へ触れようとした瞬間だった。
ぐるん。
女冒険者の首が、不自然に、いや人間の限界を嘲笑うように。
後方へと180度ねじ切れる。頬の皮膚が引きつり、髪がばさりと翻る。
「――もう人間じゃないッ!!!」
女冒険者だったモノの外れた顎ががぱぁ、と裂けた。
口腔の奥からは、舌や喉の代わりに禍々しい筒が覗いている。
それは臓器ではなく砲身。丸い筒が唸り、光が1点に収束していく。
このままでは間に合わない。そう、悟った俺は、賭けにでた。
「《疾走》!!!」
重ねがけ。
疾走の発動中にさらにもう1つ疾走を重ねる。
太ももの筋肉が裂けんばかりに悲鳴をあげ、血管が破裂しそうな痛みを訴える。
だが、無茶の甲斐あって俺の身体は、カイハとソレのあいだへと滑りこむ。
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
絶命のごとき咆吼が鼓膜を引っ掻く。
同時に、漆黒の光線が砲身から解き放たれた。
視界が光に塗りつぶされ、世界の輪郭が消える。
全身が焼き焦がされるような錯覚のまま、ごろごろと地面を転がって、ようやく止まった。
「大丈夫か!?」
慌てて跳ね起きると、カイハがいた。
その手には近くに転がっていた彼の剣が握られている。
すでに刃は、女冒険者だったモノの胸の狭間を深々と貫いていた。
「え、それってこっちのセリフっしょ……いま、モロだったじゃん?」
カイハは、控え目に言っても、青ざめていた。
死骸から剣を抜くことさえ忘れ、呆然と俺を見つめている。
いっぽうで俺はといえば。衣服の上半身部分が弾け飛んでしまっていた。
だが、皮膚にはかすり傷ひとつありはしない。当然ながら被弾の痛みはあった。しかしそれはもう昔の話。
「ギリギリのところで防御が間に合ったぜ!!」
「防御とかそういう次元の話じゃなくない!? 俺のこと庇って上半身まるっと敵の攻撃に晒されたてたじゃん!?」
「いやぁ防御が間に合わなかったら危なかったなぁ!! 危うく防御しなかったら致命傷を負って大変なことになるところだった!! ほんと防御じゃないと危なかった!!」
危険だったとはええ軽率だった。
でもカイハを救うにはこの手段しかなかった。でもやっぱり、やりすぎた。
俺はいま内心バクバクである。よりにもよって大ギルドの連中にバグってるところを見られるとは。
「Riruru……」
「ちょ、生き残ってるし!? 危ねぇ!?」
慌てるカイハを横目に俺の後頭部へ衝撃が走った。
視界が揺らめき、粒が弾ける。
「いってーなボケェ!!」
「RYUI!?」
俺は、振り向きざまに握っていた苦無でぶん殴る。
ノームは側頭部を貫かれて、そのまま動作を停止した。
激動のあとは静寂が待っている。やったあとにやっちまったという後悔しか残ってない。
「…………」
「おい。露骨に目を逸らすなよ」
「ぼ、防御が……だな」
もはやなんの言い訳にもならなかった。
このままでは非常にまずいことになる。直感が脳内で警笛を鳴らし伝えてきている。
もしバグっていることが大ギルドにバレれば。あらゆる解析が行われ、創造主と断定されかねない。
だからといってあそこでカイハを見捨てるのも、間違っている。
俺はあらゆる後悔を噛み締めながら沈黙のなかで佇んでいた。
「お、れのこと……守ってくれたんだろ?」
するとカイハは目を伏せていた。
俺を直視せずちらちらと上目遣いを繰り返している。
「い、いちおう? やっぱり人が目の前で死ぬのは気分悪いからさ?」
「そ、か……やっぱそうなんだよな、うん」
なんだコレ。なにこの空気。なんか、なんだコレ。
チャラチャラしていた少年が、いまは1輪の花のように淑やかだった。
「(まさかバレてないのか? 俺がバグってることに?)」
混乱する俺の背中に汗か戦慄か、よくわからないものが伝う。
しかしそんなオカシな間をぶち壊すかのよう。遠巻きにシセルの絶叫が木霊する。
「こらー! そっちがなんとかなったのならこっちに加担しろー! 美女1人に重労働をまかせっきりにするんじゃなーい!」
あ、やべ。忘れてた。
その後、シセルとカイハの活躍により襲撃は、労せず片がついた。
冒険者の生き残りははじめの見立て通りに3人ほど。俺たちはいったん彼彼女らを近隣の村へと送り届ることとなる。
そう、なんとかなったのだ。バグってることさえ疑われなければ世はこともなし。
「(本当に、なんとかなったのか?)」
「もう! ナエ様すぐに飛びだしちゃうんですから! いつも言ってるじゃないですか危ないことはやらないでくださいって!」
道行く馬車のなかで俺はしばらく勇者ちゃんに怒られ尽くした。
いっぽうでカイハは、ずっと不機嫌そうに窓の外を見つづけている。
「…………」
村に着くまで、1回も俺と目が合わなかった。
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