4話 ヒシの実のパンと役《Bug》
はじまりの村
アークフェン
作者の手を離れた
自由の証
無慈悲
確定イベントの
発生
青空の下、少女が草履を履いて石畳の道を軽やかに駆け抜ける。
「とうちゃくでーす!」
わあ、と両手を広げて大鞠がたわわに弾む。
勇者ちゃんの鈴のような声が響くと、竹林の奥から姿を現したのは、小さな集落だった。
朱塗りの橋の上で、風にそよぐ花柄の着物の裾。遠くでは子供の喧噪が賑わっており、どこからともなく料理の香りが鼻腔をくすぐる。
「おぉーっ!」
俺は、想像以上の光景に感嘆の吐息を漏らした。
和風と西洋をごちゃ混ぜにしたような面妖な風景につい見とれてしまう。
村全体が、息づいている、生きている。人々が笑い、語らい、暮らしている。
石畳の路地には人々の笑い声が響き渡り、木組みの家々からは暖かな煙が煙突越しに空へと昇ってゆく。鐘楼の小さな鐘が、正午を告げると、広場の市には新鮮なパンと果実の香りが立ちこめた。
「(てっきり村の入り口に棒読みの人間が立っているのかと思えばだ。小さいながらに活気があってモブなんてひとりもいないじゃないか)」
人がいて、文化があって、それらは文明と呼べるものだった。
牧草地の囲いのなかでは羊やヤギが草を食んでおり、羊飼いが口笛を吹きながら犬と共に見守っている。
風が吹くたびにラベンダー畑が波打ち、村は草の匂いと焼きたてのパンの香りに包まれていた。
「(なんていうか全体的にバランスが悪いな、住んでる人と家は和風なのにラベンダー畑と牧草地って……。でもここは架空の世界なわけだしいちいち指摘するのも無粋ではある)」
「如何ですかここが私の生まれ故郷アークフェンです! さらにアークフェンという名前には古き守りの地という意味がこめられているんですよ!」
知ってる、だってそれつけたの俺だから。
しかし勇者ちゃんは太陽の如き笑みを浮かべながら誇らしそうにつづける。
「見てくださいあの風車! 村のシンボルなんです! ラベンダーの香りが風に乗って、季節になると村全体が紫色に染まるんですよ!」
言いながら、俺の手をぐい、と引いて小道を駆けだす。
まるで観光案内だ。しかも彼女からのお誘いとあれば付き合わぬわけにもいくまい。
自己紹介でもするように解説付きで村を巡る。自分の生まれた場所を俺に自慢するかのように、無邪気だった。
「そういえばレーシャちゃんの家ってパン屋を営んでるんだっけ?」
「それとお花屋さんもしてますし、季節によっては染め物も売ったりしてます!」
こう聞いておけば自然に知らない感がだせるはず。
ここまで予定が狂いまくってるんだ。少々小癪だがメインキャラ相手に色々手を回しておく。
「さっき木の実だけじゃなく花も摘んでたのはそういうことだったのか」
「はいっ! それとヒシの実をパンに混ぜるのはお母さんのオリジナルなんですよ!」
その設定はちょっと知らない。
ストーリーを円滑にするため独自な進化でもしているのだろうか。
「ちなみに季節限定のヒシの実パンは栄養満点で村の人たちに大人気なんですっ! あとは山羊のミルクとチーズのパンもあとでごちそうさせてくださいねっ!」
「へぇ、それはお世辞抜きに楽しみだ!」
華やぐ様子にうっかりつられて口角が和らいでしまう。
設定通りとはいえ、いい子過ぎるくらい、いい子だった。
明るくはきはきとした口調、無駄に元気な声量、他人の目をまっすぐに見て話すその目は、どこまでも澄んでいる。
少しでも人が困っていれば手を貸すし、落ち込んでいる者がいれば、励ますための言葉を探す。
「おーい! ゴブリンを捕獲したぞー!」
「やれやれ! さっさとトドメ刺しちまえ!」
だから後に勇者と呼ばれるはずだった。
すべてを赦す、レーシャ・ポリロは、贖罪の勇者。
騒ぎの渦中となっている人だかりの向こうから汚い悲鳴が木霊する。
「Geryaaaa!! Gyagyagyagyagya!!」
突如、平穏な村の空気を裂いた。
その声は、まるで下水に詰まったヘドロを引き伸ばしたかのようだった。
「Geeeeeee!! Kiiiiiiiiiiiiiieeeeee!!」
鼠、それもドブネズミが死に際に発する奇声。
濁って、ぬめって、耳の奥にべっとりと張り付くような異音。聞かされた村人の全員が眉をしかめ口を閉ざす。
「うるせぇぞこの盗人がよぉ! 人の畑に入りこんで丹精こめた野菜を食い散らかしやがって!」
「こいつ道具も盗もうとしてたから余計にたちが悪いわ! さっき怪我させられた人も村の倉庫にあったクワで襲われたらしいわ!」
棒をもった男が簀巻きにされたゴブリンの頭を引っ叩く。
当然そこに教育という愛はない。ただ暴力を奮うためのみで振り下ろされている。
即座に俺は、私刑を受ける1匹の魔物を睨み付けた。
「(……これは確定イベントだな。あれを逃がすと数日後に襲撃がくる……)」
ここはたしか心優しい勇者ちゃんが逃がそうと提案する場面でもある。
魔物に慈愛をかけたところでしょせんは相手は魔物。その逃がしたゴブリンが復讐のために仲間を引き連れ、ここアークフェンへ押し寄せるという流れ。
なお、それを勇者ちゃんが覚醒した力で相殺するのが、正史だった。
「このォ、このォ! 雑魚で1匹じゃなにもできないグズが!」
「Gye!? Gyehye!? Gyaaaaaaaa!?」
もし、逃がさないと、どうなる?
あのゴブリンが逃げることでイベントの発火点へと繋がる。
なら、あのまま私刑になってゴブリンが生命を終えたとしたら、どうなる?
「あ、あの! っ……ナエさま?」
俺は、踏みだしかけた勇者ちゃんを、制していた。
まだ考えは固まっていなかった。だが反射的に手がでて彼女の行く手を遮っていた。
「あのままじゃあの子が殺されちゃいますよ!?」
正直に言うと俺は、怖かった。
覚醒していない勇者ちゃんのいるアークフェンへ敵がくることが怖かった。
「あれは魔物だ。あのまま生かしておけばいずれこの村に危険を及ぼすかもしれない」
「盗みを働いたのはダメだと思います! でもそれだけで殺されちゃうのは可哀想です!」
「じゃああのゴブリンを逃がして増えて襲ってきたら、どうする?」
俺の言葉に、勇者ちゃんの肩がひくっ、と揺れた。
目はきょどきょどと踊っており、ゴブリンと俺を交互に確認している。
「で、でもそれは……あくまでもしかしたらという話ですよね?」
「現に今日キミも襲われる寸前だったんだよ。あの魔物なら大丈夫だ、なんて。万が一にも例外があるとは思わないことだ」
「……で、でも……あれじゃ弱いものいじめ……」
勇者ちゃんは、うつむいてしまう。
自覚があるからこそ、もうこれ以上言い返すことができない。
「キミはそのときもゴブリンに向かってこういうのかい? 蹂躙されて尊厳さえ失う村の人たちが可哀想じゃないか、って? それで1度屈辱を与えられたゴブリンたちは憎んでる村の人たちを解放し見逃してくれると?」
「そんなこと……わからないけど……」
んー、お願いだからこんなイヤなことをいう俺のこと嫌いにならないでぇ。
こうでもしないと優しいキミは絶対に助けてしまう。なぜならそういうキャラクターだから。
ストーリーラインを変更することは俺にとっても賭けだった。勇者ちゃん覚醒イベントを踏んでいないため、先に進めてしまうわけにはいかない。
だがそれは同時に歪みを生む。俺の知っているヴェル=エグゾディアの世界線から外れ、未来予知が難しくなる。
「オラアアアアアアアア!!」
「Gye!? ………gg」
そして最後のひと振りがゴブリンの頭を割った。
これでイベント完了だった。俺という異端が勇者ちゃんを止めたことで、間に合わないという結末を迎えたのだ。
死骸処理が骸を担ぎ、野次馬たちが次々に掃けていく。
「…………」
「…………」
そして残されたのは、俺と彼女の2人だけだった。
あれほど嬉々と輝いていた勇者ちゃんの笑みは陰り、下を向いてしまっている。
でも先ほどのイベントを進めなかったのは、彼女を死なせないためでもあった。優しくて無力で愛らしいキミを守るために決断したのだ。
だから俺は、ここまできたら最後まで、徹底して、俺という役を執行する。
もしゴブリンが帰還しなくてもフラグが折れなかったとしたら。アークフェンに襲来が訪れるのならば。
「この美しい村をそう簡単に壊させてたまるかよ」
俺は迷わず、勇者ちゃんの手を引いた。
急な転身に彼女はよたよたと足を踊らせる。
「どちらへ向かわれるのですか!? そっちは私のお家と別の方角ですよ!?」
「冒険者斡旋所」
餅は餅屋に頼めば良い。
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