39話 消えゆく魂に、安息を《Sacred Flame》
柩の制裁
消えゆく命
橙の弔い
現出する
凶悪の
災厄
意が紡がれた刹那だった。
勇者ちゃんの伸ばした掌から炎獄が迸る。
それはただの火ではない。触れる者すべてを焼き尽くす、猛火。
生みだされた炎はまるで意思を持つ生き物のようにうねり、絡み合い、炎蛇と化す。
「なにをなさっておられるのですか!?」
アフロディーテの鋭い声が、戦場を裂いた。
「レーシャちゃん!? 止めて!? 止めてよ!!」
シセルが涙声で叫び、駆け寄ろうとする。
だが彼女は、蛮行を止めようとはしない。眼差しは遥か彼方を見据え、微笑みは恍惚のまま。
ただ炎蛇だけが嘶くように咆哮する。彼女の炎は未生の柩を片端から焼き払っていく。
白い繊毛を内に隠していた棺が、黒々とした焔に包まれ、灼熱の悲鳴をあげるかのように爆ぜる。
人を飲みこみ、魔を孕ませるための柩。生命の冒涜はことごとくを、その場で焼き尽くされていった。
「なかで生きている人もいるかもしれないのよっ!? そりゃ心に傷は負ってるかもしれないけれどさぁ!? さっきみたいに助けられた命もあったかもしれないでしょう!?」
「それは無理。魔素を注がれつづけたら二日ともたず発狂する。そして一週間もすれば柩と母胎が粘膜で融合する……すでに人の形すら保っていない」
「っ……!?」
シセルを抉ったのは、そのあまりにも冷徹な真実だった。
「(そうだ、そうなんだよ……! 柩に囚われた女性は悲鳴すら許されず闇に沈む……! だからこれが実は……最善手なんだ!)」
彼女は誰よりも死を嫌う。
新米冒険者ひとりのために自ら命を投げだすほど。命を尊び、命を慈しむ。
だからこそシセルは声を張ってでも勇者ちゃんに抗議したのだ。
けれど、その優しさは、現実の前に容赦なく折られてしまう。
「だから楽にしてあげないとダメなんです。なるべく人の姿のまま、苦しめないように、一瞬で」
甘く、しかし行動に準じて、絶対だった。
シセルの抗議は、もはやつづかない。代わりに訪れたのは、静寂。
轟々とした炎が渦を巻き、未生の柩を次々と灰に変えていく。
「(炎が……弱い? ダークマターのときと違って、これは意図的に調節しているのか?)」
「そうですよねぇ? ナエ様ぁ?」
にゅ、と。突然その恍惚の瞳がこちらを向く。
俺はゾッと背骨を氷で撫でられたみたいな錯覚を覚えた。
驚きのあまり全身が強張ってしまう。
あっけなかった。そこにあった命が炎獄の炎に焼かれて塵芥となって抹消されていく。
陽炎に巻かれながら鼻を鳴らす騎士もいた。さめざめとした空気はまるで弔い。
「シセル、辛いだろうがこらえてくれ。……ここにはもう助かる命はなかったんだ」
ようやく絞りだした声に、シセルは小さく唇を噛む。
やがて、こくんと震えるように頷いた。
「……そっか。じゃあこれは……お葬式なんだね」
「……ああ。そうかもな、たぶん、祈る誰かがいるのならそうなるんだろう」
願いを結ぶように、両手を胸に合わせる。
俺は慰めのひとつも言ってやれない。ただその震える肩に触れながら生きているという意志を伝えるしかできない。
炎が黒煙を裂き、ひとつ、またひとつと柩を送り火のように包みこんでいった。
「おっとっと。供養している間に親玉がきちゃったじゃないですかぁ」
「は?」
それは、一瞬のうちに現れただった。
瞬きの暇さえ与えられず、突風が舞いこむように、世界がいきなり反転した。
「GGGGGGGGGGGGG!!」
突如、地響きが響き渡った。
次の瞬間、ソレはもうそこにいた。
「AAAAAAAAAAAAAAA!!」
赤黒く爛れた皮膚。歪んだ二本の角。
暴力そのものを形にしたような巨躯。
「BUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!」
怒濤の咆吼に騎士たちが固まる。理解よりも恐怖が先に体を縛る。
ようやく秒針が動いたのは、巨体が大斧を振り上げた、そのときだった。
「襲撃!? 戦闘隊形をとれ!!!」
副官の指示によって騎士たちが叩かれるように耐性を整える。
だが誰かが絶叫するよりも早く、その暴力の矛先は先頭の勇者ちゃんへ絞られていた。
「ナエさまぁ!!!」
「レーシャ!!!」
刹那、俺の視界が歪んだ。
勇者ちゃんの手を引き、俺自身が代わりに飛びこむ。
「ぐうううううううううっ!!?!」
凄まじい衝撃が全身を駆け巡った。
大斧が視界を横切った直後、世界が1度ぐしゃりと潰れる音がした。
「があああああああああああああ!?!」
次いで、10メートル近く吹っ飛ばされ、ゴミのようにもんどりを打って転がる。
地面に叩きつけられた全身が軋み、痛みが全身をくまなく叩いた。
たとえ無敵であろうとも、伝わってくる衝撃だけは誤魔化せない。それほどの強烈な暴力が現れたのだ。
「へぇぇ、咄嗟に守っちゃうんですねぇ。格好良くってますます好きになっちゃうじゃないですかぁ」
聞こえてきたのは、嬉しげに弾んだ声だった。
血の匂いと轟音に満ちた戦場には、あまりにも場違い。嬉々として、甘やかすかのよう。
俺は衝撃に脳を揺らされながらも、ぐったり身を起こす。
「お前、元に戻った演技を、しやがった、のか……」
「んー? 演技ですか? もしかしたら演技じゃなかったかもしれませんし、そうじゃないかもしれませんし、そうかも?」
霞む視界の先で、くるりくるり。袖翻して舞い踊る。
勇者ちゃんであって勇者ちゃんではないなにか。唇を吊り上げて俺を嘲笑う。
「でもでも残念でしたぁ! ナエ様が身体を張って助けちゃったのは私のほうでしたぁ! せっかく格好いいところ見せられるかもしれなかったのに見てもらえませーん!」
あ、なんか腹立つ。
可愛いレーシャちゃんの見た目をしているのに、実態はまるでそぐわない。
「演技なんて小細工なマネしなくてもどっちにしろ助けてたに決まってるだろ」
「……。バグっててダメージを受けないからですか?」
「そんなのわかるかよ。気づいたら身体が勝手に動いてただけだ」
ふぅん。勇者ちゃんは興味を失ったように鼻を鳴らす。
しかし俺の健闘も無駄ではなかった。
あちら側では、1発目の不意がこちらに向かったことで、花の隊が体勢を整えることができていた。
「――あれはなんだ!? このダンジョンのヌシなのか!?」
「どっちでもいい、想像を止めろ!! 襲ってくる魔物であれば確実に討伐するまでよ!!」
副官の怒声に似た声が響き、即座に戦闘指揮が飛ぶ。
弓兵が後列から矢をつがえ、一斉に放つ。
槍兵が突撃の間合いを測り、魔術師が詠唱を重ねる。
盾を構えた前衛は互いの間隔を詰め、鉄壁の壁を形作っていた。
花の隊、王都最強の女性部隊は、恐怖に凍ることなく牙を剥く。
「GROOOOOOOOOOOOOOOO!!!!」
魔物の咆吼が、地底に響きわたった。
振動に鼓膜が震え、心臓が一拍遅れて止まりそうになる。
「放てぇっ!!!」
雨のような矢が一斉に放たれる。魔法の光弾が次々と撃ちこまれる。
けれど、
――バチバチバチッ!
黒い巨体に突き刺さったはずの矢は、赤黒い皮膚をかすめるだけで粉砕された。
火球も氷槍も、まるで羽虫を払うように揺らめくなにかに弾かれ、霧散してゆく。
まるで、効いているようで効いていない。かすり傷さえ、残っていない。
「そ、そんな……効いてない!?」
「怯むな! 畳みかけろ!!」
しかし、矢雨を振り払うたび、デーモンの巨躯はますます膨れあがるように見えた。
咆吼が再び轟き、暴力の化身としか思えぬ大斧が振りかぶられる。
「躱せ!! 1撃もらえば戦闘継続は不可能になる!!」
まさに奮戦だ。
怒涛のごとき斧の振り下ろし。地を割り、大気を揺るがす刹那。
花の騎士たちは、盾をかざし、仲間を庇い、命を繋ぐ。
そんな勇敢な彼女たちを、炎の主はただ愉快そうに見下ろしている。
「……健気ですねぇ」
勇者ちゃんは、頬杖をつくような声音で囁いた。
「でも、無駄。まるで意味がないってわかってるのに、それでも立ち向かう。哀れだと思いません、ナエ様ぁ?」
嘲りとも憐れみともつかぬ。
咲いた花は、戦場の絶叫とまるで噛み合わず、いっそう異質に浮かんでいた。
だが勇者ちゃんの言っていることは、俺の考えに同期している。
元々このダンジョンそのものがバグなのだ。あってはならない、本来のストーリーラインに存在しないもの。
であるからこそ1つの帰結点へと集約されてしまう。
「アイツもバグってやがる……!」
この絶望を俺はついこの間も体験していた。
はじまりの村に突如として現れた魔神将・原初の魔胎のときと、まったく同じ。
「ナエナエっち! レーシャちゃん! 大丈夫!?」
駆けてくる音に振り返ると、髪を振り乱したシセルが駆けてくる。
血の気の引いた顔で俺たちに追いつくなり、息も絶え絶えに叫ぶ。
「逃げよう!! あんなの、無理!!」
「元同僚だろ!? 見捨てるのか!?」
「――元同僚だからわかんの!」
俺の反論に、シセルは悲鳴のように返してくる。
「私らが入りこんだって邪魔になる! そもそもここに私たちがいる意味ないっての!」
確かに、それは、そうだった。
花の隊の仲間たちの矢も魔法も通じない。とにかく歯が立たない。
むしろ生半可に突っこめば、彼女たちの背に足を引っ掛けてしまう。
「(でもここで花の隊が全滅すればストーリーが崩れちまう! 王都で花の隊と勇者ちゃんパーティーが出会わなければ魔界を浄化する手段が生まれない!)」
聖なる種。
魔界を唯一浄化する人類最終兵器ともいえる、重要アイテム。
もし花の隊がいなくなることでそのイベント発生が壊滅したら――……最悪の結末まで一直線になる。
「ほら早く! 逃げるときは装備もプライドも全捨てって冒険者のルールにもあるんだから!」
シセルの陽動を「ダメだ!」と、俺は塗りつぶした。
「ここで花の隊を見捨てる選択肢はない! このままだと間違いなくあの子たちは柩と同じ末路を辿ることになる!」
「ナエナエっちのそういうとこ嫌いじゃないけどさあ! 時と場所と状況考えなさいって! このままじゃ全員がやられて全滅だっていってんの!」
飛びだそうとする俺を、シセルが後ろから必死に引き留める。
「離せシセル! 俺は行く!」
「行かせない!! 行かせるわけないでしょ!!」
その刹那だった。
「 G R O O O O O O O O O !!!!」
鼓膜が破れそうな咆哮が暴風を舞い上げた。
次いで、人如きな大斧が振り下ろされる。地面ごと世界を叩き潰すような衝撃が襲った。
轟音、地割れ、土煙。身を焦がすような焦燥と、混乱によって戦場は支配されつつある。
「花樹の杖を」
しかし彼女は、驚くほど、澄んでいた。
混乱など意に介するどころかどこ吹く風と、凛として響く。
姫騎士アフロディーテは、一輪の花のように佇んでいた。
なおも花の君は冷静で、淡々と付き添いの部下へ指示を紡ぐ。
「下がりなさい。ここから先はワタクシが参戦します」
彼女は、差しだされた杖を頂点へと掲げる。
それは白木を削りだした長杖だった。俺と共闘したときの簡素なものとはまるで異なる。
幹には蔦を模した銀の装飾が絡みつき、枝分かれ。先端には水晶を包むように大輪の桜が咲いていた。
まるで春そのものを象ったかのように、杖は仄かに温かな光を滲ませる。
「《花は舞い、花は散り、花は護る。いまここに千の矛となりて、我が道を拓け》」
姫騎士は声を澄ませ、詠唱を紡ぐ。
そして《花の君》は、決して揺るがぬ瞳で宣言した。
「《桜花千舞》」
※つづく
(区切りなし)