3話 ちょっとここらでラヴなロマンス、ひとつまみ
地軸のズレ
羽音の歪み
理想の彼女は
勘違い
未覚醒勇者ちゃんと
春の匂い
澄み渡る青空の下、柔らかな日差しが木々の葉を通して地面に模様を描いている。
新緑の香りが鼻をくすぐり、鳥たちのさえずりがあちこちから響く。時折、そよ風が木々を揺らし枝葉が囁いてくる。
俺は、静けさと生命の気配に包まれながら生きているという素晴らしさを実感していた。
「近場の川で水浴びをしてたらいつの間にか装備がなくなっちゃってさ。ろくな持ち物をもってたわけじゃないからいいんだけど、まさか服まで盗まれるとは思わなかったよ」
「それは、なんというか、ご愁傷様です。ですがあまり安全ではない場所で身ひとつになるのはどうかと思います」
むん、と。尖らせた唇が山なりになった。
「あはは。初めてきた土地だったから自然の豊かさに負けて、つい」
「大胆といいますか剛胆といいますか」
俺は、生を実感している。
「? どうかしました? 先ほどからこちらを見てらっしゃいますけど、私のお顔になにかついてます?」
「イエ、ナニモ。今日はとても良い天気だなぁ」
「……?」
なにこの子、超かわいいんですけど。
好みのタイプっていうかドストライク。きょとん顔だけでも道に花が咲くレベル。
頬っ被りをとった顔が可愛い。恋に落ちそうなくらい可愛い。
想像を絶するくらいに可愛い。語彙力がなくなるくらい可愛い。
声も十分に可愛いかったが、見た目は十二分に可愛い。
モブ子の器量も目を見張るものではあった。しかしこの勇者ちゃんに関しては桁が違う。
「そういえばキミもあんな辺鄙なところでなにをしていたんだい? 俺ほどじゃないにしても魔物がでるようなところに丸腰なんて物騒じゃないかな?」
「木の実や種、染料に使えるお花なんかを探していたんです」
ほら、と。バスケットのなかにある結びを解く。
なかには色とりどりの花弁や種と思わしき粒、木の実やらが詰まっている。
俺は、木の実博士というわけではない。だが、そのなかにゴツゴツとした棘のある実も混じっていた。
「それで咄嗟にヒシの実を掴んで投げたってコトかぁ」
あれは痛かった。
ようやく手に入れた衣服の下では、まだ肌がひりひりしている。
なおゴブリンのまとっていた服は、どうやら予想通り周辺から奪われたものなのだとか。奪い返すという名目で丈長のチュニックと肩当てのみ拝借した。腰巻きは、病気が移りそうなほど腐臭がしていたので置いてきた。
「ご、ごめんなさいっ! でも本当に驚いてしまって手元にたまたまあったから……」
しゅん、と。しょげる横顔まで愛らしい。
俺は爽やかな笑顔を作り「気にしなくて良いよ」慈愛で彼女を許し給う。
「あのへんは小さなころから歩き慣れていたエリアだったんです。なので、まさか魔物がでるなんて思いもよらず、警戒すらしていませんでした」
この子の名前は、レーシャ・ポリロ。通称、勇者ちゃん。
片親である母と実家暮らしで、家はパンとお花屋さんを営んでいる。
たしか店の名前は小麦と花をかけて『Flour & Flower』だったか。我ながら安直だが記憶に残りやすくてありがたい。
なおいまのところまだ自己紹介はしていない。そのため彼女の設定を知っているというのは極秘となっている。
もしうっかり漏らしでもしたら偶発的出会いが崩壊するだろう。一方的に背景を知っているということは、ストーカーと同義なのだ。
出会っちゃったからには、いちおう儀式くらい済ませておくとするか。
「俺の名前はナエ。あんな変な出会いかたになっちゃったけどよろしく」
「私の名前はレーシャです、レーシャ・ポリロ。村ではパン屋さんとお花屋さんをお母さんと2人で営んでいます」
すげぇ、ぜんぶ知ってる。
だが、ここはあたかも初対面を装わなければならないのが辛いところ。
「へぇ、レーシャちゃんっていうんだ。お母さんと2人だけっていうと、まさかお父さんになにかあったの?」
「あ、いえ」
幼いころ村を襲った大災害があった。
そのせいでレーシャを守るために命を失ったのだ。
「お父さんは冒険者をしているので、いまはお家にいないだけです。たまに帰ってきては遺物の換金で得たお金とお土産話をもって帰ってきてくれるんですよっ」
「……おっと?」
想定外の回答に思わず口から吐息が漏れてしまった。
オカシイ。その設定は知らない。断言できる。
だって主人公の家庭に知らぬおっさんが混じってるとか最悪じゃないか。面倒なイベント引き起こす存在はプロット時点で抹消しているはず。
「数年前、村に魔物の群れが襲いかかってきたことがあるんです。そのとき父はやけになって剣を握ったんですけど才覚があったらしくばったばったと魔物を倒し村の大勢を救ったんです。それ以降、父は人の命を救いながら剣とともに生きたいと夢を追っているみたいで……どうかしました?」
レーシャは振り返ると、身体を横に傾ける。
いつの間にか俺の足が意図せず止まっていた。
「いやなんでもないよ、村を目指そう。まさか剣を握って獅子の血が目覚めるなんて英雄譚みたいだねぇ」
「獅子……ライオネルのことですか? ところでナエ様はいったいどちらのご出身です? ここら辺はあまり旅人のこない土地なので商人以外のお客人はとても珍しいのですよ?」
「えーっと……3番目くらいの街からかなぁ。根無し草みたいな生活しているもんだからあまり土地に執着がないんだよぉ」
「ということは吟遊のようなことをなさっておられるんですねっ! 私、村をでたことがないので他の土地の伝承などに興味津々ですっ!」
ラスダンの構図を教えてあげようか。
なんて、いえるわけがないだろ。
手足を伸ばして意気揚々と歩くレーシャ。俺は華奢な背をつかず離れずの距離で見つめている。
「(マズいな。このままだとラスダンの構図どころか数歩先の予測すらできない)」
モブ子のいっていた予定外の意味に恐怖していた。
77777回目のループといっていたか。その周回のさなか地軸がズレるような異変が起こっている。
この集会でレーシャの父は死ぬはずだった運命を回避していた。そしてバグは旅立ち次のバグを伝染させている。
「(なによりマズいのはこの周回で俺という存在そのものがバグだ。そのせいで旅立ちという条件である勇者ちゃんの覚醒そのものが止まってしまった。このままだと物語を進めるどころか物語が序盤で止まっちまう)」
予想以上に予定外で、厄介な事象だった。
これは日本のくしゃみがブラジルで大嵐に化けるようなもの。バタフライエフェクト。
旅だったレーシャの父が誰かを救う、死ぬはずだったキャラは救われたことで別の行動をとってしまう。その時点で存在し得ないはずの永遠の螺旋が伝搬し絡み合う。
「(こうなるともう創造者としての道理は通用しないことになる。この先、俺の想定していない、いわば創造していない物語が展開し、なにが起こったって不思議じゃない)」
「怖い顔してますよ? なにか考えごとですか?」
「うーんいまやめましたー。いまさら考えても手遅れ臭いからもう考えるのヤメー」
目の前に可愛い子がいるから良いじゃないか。
俺は、暫定勇者ちゃんに最高の微笑みを送った。同時に思考を丸めて路傍に投げ捨てる。
とにかくいまは勇者ちゃんの村にいってゆっくりしよう。それからのことは明日以降の自分がなんとかしてくれるはず。
「村に戻ったら是非お母さんに会ってくださいねっ! それから、それから、助けていただいたお礼に焼きたてのパンも食べていただきたいです!」
「おおそれは楽しみだなぁ! じゃあ俺は英雄のみが扱えるという超聖剣エグゾディアの伝説を話してあげよう! ……括弧実在する」
明日は明日の風が吹く。
どうにもならないなら、どうかしなくても別に良いじゃないか。
そう、楽観視していた時期も、ありました。
だって勇者ちゃんは、俺のせいで、覚醒していない。
重要な主役不明な状態で、物語上必須が起こるのだから。
… … … … … …
あぜ道のように細く、苔むした森の奥へとつづく。小径は、まるで誰かの足跡を辿っている記憶のようだった。
枝の重なりが空を隠し、かすかな陽光だけが地面の落ち葉に模様を描いている。けれど、不思議と怖さはなかった。むしろそこには、春先のようなやわらかな温もりに満ちていた。
「最近都会のほうでは魔物が増えて各地にダンジョンが形成されているらしいです。この辺は田舎なんですけど強い魔物がいないから静かに暮らせて素敵なんですよ」
なんというか、なんというか。
「実は私も学校で体捌きや忍術を習っているんです。なのに初めて出会った魔物になにもできなくて……心底不甲斐ないです」
この子が話せば、日常でさえ桜色になりそうだった。
勇者ちゃんが隣にいてくれるだけで俺の身体にバフがかかる。
命を捨ててでも守ってあげなくちゃいけないという過激な衝動めいたものが体内に満ち満ちていく。
「(そそっかしく、ドジっ子。人々に愛される太陽のような笑顔と、優しい慈愛に満ちた性格。設定のおかげか一挙手一投足がこの子の魅力を形作っている)」
自然と頬がほころぶ。
カリスマとは違う、マスコットともどこか異なる。勇者ちゃんというそのものが周囲に幸せを与えているかのよう。
「(なにより身体は小さいのに……しっかりしてる)」
モブ子も精巧な美人だった。
だが勇者ちゃんにはメインキャラとして圧倒的な箇所が、ある。
その着物に似た合わせのところから微かに覗く。彼女が歩くたび、微笑むたび、影を踏むたび、サラシの下の突起物がゆさゆさ重力に逆らう。
童顔なのに非常にわんぱくな体型だった。魅力という詰まりからむせかえるほどの色気がむん、と香る。
「先ほどから私のことじぃって見てますけど……」
さすがに見過ぎたらしい。
なにより女性は、視線という気配に敏感らしい。
俺は、急ぎたわわな実りから目を逸らす。
「あ、ごめんっ! つい、その、キャラデザ……じゃなくてぇ! 格好とかが珍しくて、可愛いなとか思っちゃてさ!」
見ていたのは胸ではない、服だ。
ちなみに彼女の格好は、羽のように裾の軽やかな着物と、ミニスカートという如何にもな衣装を召している。
派手すぎたりすることはないが現実的でもない。ファンタジーという幻想世界ならではという感じの衣装だった。
勇者ちゃんはぷっくりとした桃色の頬に両手を添える。
「え、えへへ! そんなこと言われたの初めてでちょっと照れちゃいますね! 実はこの格好も村独特の伝統なんですよ!」
太ももを交差させながらくるり、と回ってみせた。
風を孕んだ薄布が花弁の如く広がって優雅に膨れ上がる。
俺の心臓が1撃を喰らって飛び跳ねた。若干照れを隠しつつ後頭部を掻く。
「やっぱりゴブリンが見逃さないわけだなぁ! そう考えると本当にあのシーンは危なかったんだなって実感するよ!」
あはは、あは、あはは。
勇者ちゃんとのひとときは、お世辞抜きで超幸せな時間だった。
なにより可愛い。そしてこんな俺という不審者との会話を心から楽しんでくれている。こんな少女に出会って心ときめかない男がいるものか。
「その、あらためてありがとうございます」
浮かれ上がった頭に冷水を被るような気分だった。
勇者ちゃんは立ち止まる。おもむろに俺の正面で頭を腰の高さまで下げた。
「はじめは驚いちゃいましたけど! す、すごく格好よかったです!」
喉元から罪悪感がせり上がってくる。
あれは事故なのだ。俺が不幸中の幸いで、ゴブリンには不幸のみがあっただけ。
「い、いやいやいや頭上げて! 俺は、俺にできることをしただけだし、そんな評価されるようなことなにも――」
「初めて会ったときの格好はともかくですけどっ! 武器すらもっていない状態なのに私を助けてくれたじゃないですかっ!」
勇者ちゃんの耳は紅葉したかのように真っ赤だった。
さらには恥ずかしさを隠すように、まるで言い訳を並べるかのように早口でまくしたてる。
「普通の人だったら怖くて怯えて逃げだしちゃう場面でしたっ! 私だって怖くて頭が真っ白になっちゃって――っ! なのにナエ様は文字通り身をお挺しになってまで私のことを守ってくださったんですっ!」
あの場面だと被害者側の目にはそう映るのか。
これは含蓄があるな。まあ勘違いなんだが。
ひとしきり怒鳴り終えて、彼女は気がすんだように深呼吸を入れ直す。
「その……いきなりごめんさい。私って昔から鈍感で、不器用で、ドジで弱いから。ナエ様の勇気がちょっとだけうらやましいかも、です……」
「……それ、俺が邪魔しなかったら超強くなる予定だったんだよ……」
「なにかいいました?」すかさず「いいえなにも?」。
そろそろ自重したほうがいいかもしれない。しかしここら辺はしっかりと設定通りでもある。
勇者ちゃんは勇者に目覚めるまで普通のか弱い女の子だった。
「それと、守ってださったのに、痛い実を投げちゃって……ごめんなさい」
頬は桃色に、指を編んで腰を揺らし、もじり、もじり。
俺は叫びたい一心を押しとどめる。紳士的に彼女の肩にそっと手を添える。
「それに関しては謝罪されたし許したからもういいんだ。俺も咄嗟に身体が動いてしまっただけだから。これはもう生まれながらの正義感だから。見返りとかちっとも求めてないから」
もらえるものはもらうつもりだけど。
すると勇者ちゃんは滲んだ瞳で俺を見上げる。
「あとで私のお部屋にきてください。痛まないよう優しい塗り薬を塗って差し上げますから」
「はいよろこ――もう傷のほうは大丈夫だから気にしないで」
「でもダメですよ……ばい菌とかが入ったら化膿しちゃうかもしれません」
それとも。
「大切な御方に気を使っちゃいけないのでしょうか?」
はい落ちた、いま落ちた。陥落だぜ。
城壁ボロボロ天守閣ズタズタ。上目がちの美少女にそんなこといわせる罪な男がここに参上。俺の現状は、上々で、内心ハラハラのいざ惨状。
これほどにないまでほどの恍惚だった。自分の創造しかけた世界に生まれ変わって本当に良かったと。いまなら胸を張って豪語できる。
「(ありがとうモブ子。俺はここで勇者ちゃんと一緒に幸せになり申す。青空の向こうで見守っていてくれ、フォーエバー)」
ん? ふと違和感といえないほどに些末な感覚がよぎった。
ただよぎったというだけ。確信ではない。なんとなく意外だったということのみ。
「ナエ様、どうかなさいましたか? そんな真剣に空をお仰ぎになって?」
たぶん、気のせいだ。
正直、どこに疑念があったのかさえよくわかっていない。
しかもそれは喉に残った小骨ほどに些細なもの。最近死んだりして幸せ恐怖症になっているのかもしれない。だから幸せを否定したくなったのだ。
「もう少しで村に到着しますよっ! 村のみなさんにナエ様のことをご紹介させてくださいねっ!」
やや戸惑いがちに握られた手が暖かく、柔らかい。
その感触と温もりだけで、ちっぽけな思考は欠片となって砕け散る。
「こっち、こっちですよっ! 早くしないと日が暮れちゃいますっ!」
「ちょ、そんなに引っ張ったら――意外と足速ェ!? さすが忍者だッ!?」
俺は、勇者ちゃんに手を引かれながら春のように暖かい木陰を駆け上がっていくのだった。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
勇者ちゃん『レーシャ・ポリロ』=天真爛漫ロリ巨乳忍者(着物ミニスカ
主人公『ナエ』=前向きかつ口の上手い変態(肩防具有りのノーパンチュニック1枚着
最後までご覧いただきありがとうございました!
是非、ここまでお読みになって覚えた新鮮な評価や感想をよろしくお願いします!
……たぶん読者さんの反応も含めてこの作品になっていくと思うので