29話 流転と機転、まあそんな日もあるでしょう
友思う
気持ち
《花の君》の呪い
人が裏切る香り
例外中の
例外存在
「はーなーれーてーくーだーさーいぃぃっ!!」
甘ったるい香りが鼻先を撫でる。
「これはあくまで実証のための行為です。どれほどの距離まで近づいても本当に呪いが届かぬのか、調べねばなりませんので」
そう言って、アフロディーテは俺の腕にぴたりと身体を寄せてきた。
まるで絡みつくようにしがみつく。表情は真剣そのものだった。
「いーやーでーすぅぅっ!! いますぐ離れてくださぃぃっ!!」
泣きそうな声で叫ぶのは、勇者ちゃんだった。
彼女は真っ赤な形相でアフロディーテを引き剥がそうとしている。
「はーなーれーてぇぇっ!!」
「ご覧の通りこれは検証するための儀式行為なのです。ナエ様ももう少しこちらに身をお寄せになってください」
むにゅり。柔らかく、弾力に富んで、やけに温かい。
とんでもなく度し難い感触が、ワンピースの薄い白地越しに肘を通じて、脳へとダイレクトに響いてくる。
「わた、私の! 私の目の前で! なにを、あっ、あぁもうっ!!」
勇者ちゃんの目尻がぎゅうっと吊り上がった。
赤面のままアフロディーテの腰に縋りついて強引に引っぺがそうとする。
だが、妖艶な姫騎士は断固として離れない。身体能力の差がモロに実力を決めつけていた。
シセルは、そんなリビングのあべこべを傍観しながら、楽しげに目を細める。
「いやー、やってんねぇっ!」
「やってねぇわ。これ以上事態を悪化させること口走んな」
「まさかまさかっ! こんな短時間で隊長格堕とすとかナエナエっちやばたんすぎでしょっ!」
シセルに限っては、すべての事態を知った上ではしゃいでいた。
なにしろ先ほどの光景をずっと背後から見ていたというのだ、隙がないにもほどがある。
「頼むからこの状態なんとかしてくれよぉ……」
「そんなこと言って男冥利に尽きるってもんでしょ。村の素朴な美少女に《花の君》まで侍らせてるんだから」
断じて、はべらせてはいない。
真顔で身を寄せてくるアフロディーテ。
それをなぜか躍起になって剥がそうとする勇者ちゃん。
こんな混沌的な風景をはべらせるという単語で済ませていいわけがない。
「それにしてもやっぱりナエナエっちには《花の君》の香は効かなかったねぇ♪ 予想通りの展開におねーさん大満足じゃよぉ♪」
シセルは手を打ちながら、からからと笑う。
まるですべてを見透かしてでもいるかのよう。アフロディーテの変わりようにまったく意に介した様子もない。
それどころか現状を予定調和の如く受け入れている。
「まず説明をしろ。そして説明が終わったらなんらかのトラップにハメた俺に謝罪しろ。もし要求が通らない場合はお前と絶交することを視野に入れる」
十中八九。ハメられたのは俺のほう。
策士シセルによって貶められているのだけは確か。
「おけおけぇ♪ さすがにこのままじゃわけわからんちんだろうし♪ じゃあそろそろ私の描いた絵図の話でもしてあげましょう♪」
ぶいっ。ウィンク決めてピースサイン。
その軽さが俺の神経を逆なでるのだった。
「ナエナエっちって異常に防御力高いじゃん? この間のゴブリン襲撃のときだって矢も剣も、棍棒の打撃すら効かなかったしさ?」
バグってるからな。
喉元まで出掛けて飲み下す。
「だから《花の君》の香も効かないんじゃないかなって思ったんだよね。以上」
シセルはずず、と紅茶を啜った。
それはさながらもう説明を終えたとばかり。さっぱりとした表情をしている。
「おいちょっと待て誰が3行で説明しろって言った。もっと詳しく行間の説明もちゃんとやれ」
「いまナエナエっちにとり憑いてるその子は、生まれながらにして特異な体質をもってることは説明したっしょ」
おそらくその件に関しては、創造者である俺のほうが詳しい。
しかしシセルの理解もおおよそは正しかった。
アフロディーテの香は、香ではない。魅了という常時発動能力であり、呪いですらない。
「うん、説明されたし理解もした」
「だから私もアフロディーテ隊にいたころなんとかしてあげたくって、色々な文献に手をだしたり努力してみたわけ」
「うん、お前って意外と友だち思いというか情に暑いよな」
「で、冒険者になってからもいろいろと調べてたんだけど、けっきょく治しかたがわからなかったの。そんな手詰まってる状態で、ついに香の呪いが効かない男が現れた」
「うん、それは俺のことをいってるということはわかる」
そこまで言ってシセルは再び茶を啜る。
ことり、と。受け皿に薄い陶器の軽やかな音が響く。
「お願いします、あの子を治すために力を貸してください」
結論からいえば、平伏だった。
シセルは土下座でもするかのようにテーブルの上へ額を貼りつけた。
元上司である騎士隊の隊長のため七難八苦する元部下の女性。たとえ冒険者となって歩く道は違えても、心は常に寄り添いつづける。これは女性と女性の友情だった。
そんなの答えは決まっているようなものじゃないか。ここまでお膳立てされて悩む必要が1秒としてあるはずもない。
「絶対にイヤだ。おとといきやがれ」
いったん、あらゆる事象が、停止した。
誰がそんなはた迷惑で面倒くさい爆弾を好き好んで抱えこんでやるものか。
「なんでよおおおおおおおおおおお!!? いいじゃんちょっとくらい協力してくれたっていいじゃん!!? 私とナエナエっちのマブい仲でしょおおおおお!!?」
「平穏な日常を送ってるところで勝手に渦中に巻きこんでんじゃねぇぞおおお!! 俺はそんなこと知ったことか、まず名実ともに関係がないッッ!!」
俺は、アフロディーテを振り払って、立ち上がる。
そして追いかけてくるシセルから一定の距離を保つ。
テーブルを中央に置いての決戦が開幕した。
「だってアフロディーテが可哀想じゃん!! 言い寄ってくる連中の全員が身体狙いとかなんだからね!! 女としては日常を魔物と一緒に暮らしてるようなもんなんだから!!」
「だったら全員ぶっとばせばいいだろ!! そもそも俺に効かないってだけで俺がどうかできるような案件じゃねぇ!!」
「アホスケベ鈍くさいそこそこいいヤツ!! そこからいまそこそこいいヤツがなくなってもいいってことね!!」
「うるせぇ尻でかナチュラル痴女第2モブ!! 安請け合いするほどお前とそこまで仲良くなった覚えは断じてない!!」
ぐるぐるぐるぐる。舌技の追いかけっこ。
どちらも譲らないだけに、バターにでもなってしまいそう。
するとシセルは「ええいままよ!」テーブルの上へよじ登った。
「あっ! お前ショートカットとかずるいんだぞ! ご飯食べるところに上がるとか育ちが悪い!」
「フッフッフ! なんとでもおっしゃいなさいっ! 捕まえたらやるっていうまでたっぷりなぶってあげるわよぉぉ!」
シセルが上空から襲いかかってくる。
俺は、たまらずリビングから外に繋がる店舗のほうに逃走した。
「そもそもなんでそんなアフロディーテを助けたいんだよ! 普段からサバサバ系気どってるお前らしくないじゃないか!」
「昔のよしみよ! それにあの子の心がぽっきりいっちゃったら知らない脂ぎったおっさんに抱かれちゃうかもしれないのよ! 目覚めが悪いじゃないの!」
店舗を抜け、やがては外へ。
俺の足も遅くはない。しかしシセルの健脚は冒険者というだけのことはある。
「それにしたってだろ! ここまでの醜態さらした上で頭下げて助けを請うのは病的だぞ! しかももう同僚ですらない相手だってのに!」
「知りたい!? 知りたいのなら教えてあげてもいいわ!? だから止まれやあああああああああああああ!!!」
「ぎゃああああああああああああああ!!??」
彼女の姿は、ガゼルを追う猛獣かなにかだった。
軽装とは言え彼女は鎧を帯びている。それをしゃなりしゃなりと金擦れ音を奏でながら疾風の如く追う。
そして俺もまた恐怖のあまりに、実力以上の足でシセルを巻こうと必死だった。
そこからも走った、叫んだ、逃げた、叫んだ。
しかしやがて限界はくる。全力で走っていたせいで肺が焼けるように熱く、心臓が背中から飛びでそうだった。
息が切れて、俺の足が、ふっと止まる。数歩ほどよろめきながら膝から崩れ落ちる。
「……はぁっ……はっ、くそ……マジでどんな体力してんだよ……!」
すぐ後ろでも足音と鎧の擦れる音が止んだ。
振り返らずともわかる。あの恐ろしい追跡者も、さすがに息が上がったらしい。
「はーっ……はぁっ……あ、あんた……なんで……こんなに、逃げ足だけ……速いのよ……っ」
シセルも両膝に手をついて、ぜえぜえと息を吐いていた。
美人は3秒間はなにしても美人というが、全力で走った後の汗まみれ姿はなかなかどうして。しかしやはり色気というより迫力のほうが勝る。
とはいえ、鎧の隙間から白い肌が覗き、首元から流れ落ちる汗が鎖骨を伝う。
「必死、すぎだろ……やっぱお前、なんか変だぞ……」
息も絶え絶えだった。
脳が酸素を求めて肺というポンプをフル回転させ、なお足りない。
しかしそれはシセルも一緒のこと。
「へん、ってなによ……ナエナエっち、だって、私のことそんな、知らないくせに……」
胸甲が絶えず上下を繰り返す。
しばらくは、ただ呼吸の音だけがあたりに響いていた。
それでも彼女の前へ前へと歩む姿は、勇敢と言うより無謀にも思えてくる。
「ねぇ、ナエナエっち……ちゃんと、聞いて」
シセルは、もう逃げられない俺の裾を掴んだ。
決して強くではない。触れるくらいに手祖を得ているだけ。
それにいつもの冗談混じりじゃない、真っ直ぐな目をしている。
シセルの眼差しがまっすぐこちらを射抜く。
「アフロディーテ、あの子……ああ見えて、本気で人を好きになったこと、1度もないの。騎士としても、女性としても、たぶん子供のころからも、ずっと孤独だったはず」
とてつもない眼力だった。
男勝りと言ってそれを上回るほど。本気の色をしている。
「あの子の呪いは人と人の繋がりのすべてを偽りに塗りつぶす。なにをしても香りがすべてを拐かす。努力して実力で打ち立てる栄誉も武功もすべてあの子への情念となって襲いかかってくる」
アフロディーテ・エロイーズ・サクラミアのエンディングの話をしよう。
それは俺のみが心の奥底に仕舞いこんでいる禁忌。
やがてアフロディーテは、能力のせいで人との関係を恐れ、嫌うようになる。
それでも人類のために戦場へと身を投じることは止めない。だが騎士団ではなく、魔物を使役し戦うようになる。
だが彼女の能力、 《花の祝宴》は、魔物にさえ作用してしまう。
「私は……あの子が、心配なの! あのままだと人の優しさすら知らず、いつかとり返しのつかない壊れかたをしちゃうかもしれない! 人は転んだら立ち上がれるし間違っても誰かが手を差し伸べてくれる! でもあの子に差し伸べられる手には必ず呪いが付随するの!」
シセルの懸念はおおよそ正しい。
使役された魔物は、やがて彼女に愛を求めるようになっていく。
はじめは触れ合うていど。しかしル・ブーケの力に求める愛は底を知らぬ。
最後は、愛憎に脳を焼かれたグレーターデーモンという最強悪魔によって、アフロディーテは没落する。
優秀な騎士の母体と魔物種最強個体による終わりのない交わり。悲鳴が止まぬ暗い深い闇の奥で、永遠がつづけられる。
そして永遠の孕み袋となった彼女の墜ちる地は、彼女の産み落とす魔物によって、禁断の地と成り果てる。彼女の存在こそが世界災厄と成り果てるのだ。
いつの間にか風が、止まっていた。
鳥の声すら、虫の囁きさえ、ぴたりと鳴りを潜めたように思えた。
「なえさまーー! どこいっちゃったんですかーー!」
勇者ちゃんの声が、少し遠くから聞こえてきた。
なにも知らない。この場にはそぐわないくらいに、軽くて明るい声だった。
俺もシセルも、声のするほうをちらと見た。しかしすぐに視線を戻した。
「だから、今回だけは私、ズルをするよ」
シセルは静かに、深く、息を吸いこむ。
その仕草が、思いのほか緊張していることを物語っている。
「ほんとはこういうの、好きじゃないけど」
まっすぐな、真っすぐすぎる目が、そこにあった。
茶化しもごまかしもない、純粋で、あまりに真剣な光が宿っている。
「もし、あの子を救ってくれたら……私の処女をあげる」
「……え?」
しばらく、言葉の意味が理解できなかった。
なにかの冗談かと思って、思わず笑いそうだった。
なのにそう、できなかった。
だって、彼女は真顔だったから。
まるで、それが契約であり、祈りであり、償いであり、願いであるかのよう。
揺らぎすらない瞳から目が逸らせぬ。冗談を挟む気配など一片もない。
その宣言は、間違いなく彼女の本気だった。
「お、おい……なに言ってんだよ、そんな急に……っ」
「本気だよ。もしそっちが望むのならば、私の生きている間なら何回でも相手してあげていい」
シセルは、裾を握ったまま、俺の腕に額を軽くあずける。
「いまなら、まだ……救えるかもしれない。変わらず人を信じて、笑っていられるかもしれない。もし助けられなくてもいいからちょっとだけ……協力してよぉ」
懇願、藁にも縋る思いとはこのことか。
このさいシセルの馬鹿な発言は1度忘れよう。
「(アフロディーテのあの変わり様は孤独だったから。《花の君》の香は、存在がバグってる俺にだけ効いていない。そこに彼女は生まれてはじめて人との平等を見つけた)」
これは己への贖罪なのかもしれない。
いない神が俺に罰を与えているのだろうか。中途半端に投げだした無責任へ、責任をとらせようとしている。
救うと決めた。可能な限り俺の創った世界に生きるキャラクターたいに幸せな終わりを与えてやりたいと思っている。
ならば、もう迷う道理はない。
「協力は前向きに考えるけど、治せる保証はないからな」
「ほんとっ!?」
シセルの顔が、ぱぁっと輝いた。
もしこれが猫だったら耳も尻尾もぴんと立ち上がってたに違いない。
ついさっきまで泣きそうな目をしてたくせに、今はもう笑ってる。ほんと、調子がいいやつだ。
「ただし無理だったときは俺のせいにするなよ。あくまで前向きに治療法を探すってだけだ」
「わかってるわよぉ♪ ちゃんと前向きにだから♪」
わざとらしくピースを作って、俺の胸元に突き立ててくる。
ちょっとだけ、ムカつく。
けど、不思議と悪い気はしなかった。
「ところでどうしてそんなにアフロディーテのことを大事にしてるんだ? 言っても昔いた騎士団の同僚とかなんだろ?」
「騎士団にいたころ付き合ってたから」
不意な現実が爆弾だった。
シセルはあっけらかんと言い放ったが、逆に俺は呼吸を忘れるほど衝撃を覚えている。
「お前の設定濃すぎだよ……1番野放しにしたらヤバいやつじゃん」
「なんのはなしぃ~?」
シセルがとぼけたように笑う。
その瞬間だった。
「し、しし、シセルさんまでなにをしてるんですかぁぁ!?」
勇者ちゃんの絶叫が辺りに木霊する。
俺とシセルを遠巻きに見つめながら、ぎょっと目を皿のように丸くしていた。
それもそのはず。肌が触れ合うどころか、もはやこれは抱き合っていると言って差し支えない距離にいる。
「なーえーさーまぁぁ!! 女性なら誰でもいいってことですかぁぁぁ!!」
「ち、ちが――誤解だっ! お前もいい加減に離れろよ!?」
慌ててシセルから距離をとろうとした。
が、彼女はまるでわざとやっているかのように離れない。
すると勇者ちゃんの顔はどんどん赤くなっていき、やがて湯気が噴出する。
「なにがあったのかを説明してくれないと許しませんからぁ! 私のスカートのなかを覗いていたことだって色々話があるんですよぉ!」
しばらくの間、俺は必死で宥める役回りだった。
アフロディーテの治しかたを模索する以前に、気力を使い果たす羽目になる。
けれどその喧騒の向こうで、俺はふと、シセルのほうをちらと見る。
彼女はもう、なにも言わずに、ただ俺と勇者ちゃんを見つめていた。
どこか、安心したような、微笑みだった。
〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇
最後までご覧いただきありがとうございました!!!