24話 中略、波乱の予感しかしていません
チルったところに
現れる
舞いこむ
陽気
波乱の渦中
《花の君》
作業を終えた勇者ちゃんがスカートを翻す。
踏み台からとん、と降りる。
「ああっ! シセルさんじゃないですかっ! いらっしゃいませっ!」
ぱあ、と。花弁が開くような笑みが咲いた。
俺が振り返ると、そこにはいっぱしの軽装鎧をまとう女性が立っている。
「やっほー♪ シセルちゃんがお買い物きましたぞー♪」
明るく手を振って入ってきたのは、自称ベテラン冒険者。
自由奔放な冒険者のシセルだった。
勇者ちゃんは、常連の姉がきたときのように眼を瞬かせる。
「鎧直ったんですねっ! やっぱり冒険者さんは鎧がお似合いですっ!」
「さんきゅさんきゅっ♪ 見た目と装備は冒険者にとってのステータスだからさ、なる早で修理頼んどいたのよ♪」
どうやら前回の騒動で破損した軽鎧は修理が終わったらしい。
龍鱗の意匠を刻んだ軽装鎧は、新米では手の届かない業物。さらに下には、肩口まで覆うハイレッグ仕様のレオタードが密着している。
要所は布地の面積が危ういほど少なく、きわどい装いが相も変わらず目を引く。
なのに彼女はそんな姿でも羞じらいはない。まるで常日頃から鎧ではなく武器としての衣装として着こなしているようだった。
「んで、今日はなにしにきたんだ? 目的もなく日がなふらふらってキャラでもないだろ」
「んふふん、だから買い物だってば。今日はねー、ちまたで有名になりつつある元気100倍パンってのをいただきにきましたよ」
シセルは長く引き締まった脚を繰りだし店のカウンターに歩み寄る。
にこにこした笑みを浮かべながら勇者ちゃんと俺を交互に見た。
「どれが話題の新商品なの~? 冒険者界隈的にここのパンのことでけっこう盛り上がってるのよね~?」
「話題の新作はこちらですよ。あんこっていうあまぁい豆のジャムが入ったパンなんです」
「んじゃ、それ3つちょうだいな♪」
シセルは革袋の口を開き、指先で小さな金貨を三枚つまみだす。
ころん、と。木のカウンターに転がったそれは、日光を受けて鈍く煌めいた。
中世流通の主力たる銀貨よりも重みのある金貨だ。村の市井では滅多に見られぬ代物に、勇者ちゃんが眼を丸くする。
「お釣りはいらないわ。前回色々お世話になったぶんの心付けってことで♪」
冗談めかしてウィンクするシセルに、勇者ちゃんが「そ、そんな! いけませんっ!」と慌てて手を振る。
「ほんの気持ちよ、いいのいいの。たまには洒落っ気ある振る舞いもしてみたい年頃なの」
その間に俺は、焼き立てのあんパンを丁寧に藁包みに包み、麻紐で結う。
小麦と甘い豆の香りがふわりと店内に満ちる。それをシセルは両手で受けうって目端をすぼめる。
「それはともかくとして。そういえばなんだけど……」
つづく言葉に俺は嫌なモノを感じていた。
この2面性のある女がそうそう媚びるようなマネをするか。
おそらく、なにかがある。いや、絶対になんかあるに決まってる。
「いよいよアフロディーテ隊がくるわ」
その言葉に、店内の空気がふっと冷えた。
あれほど和やかに満ちていた小麦と花の香りが、どこか遠くへ追いやられたようだった。
俺は、置きやすい位置にある勇者ちゃんの頭にぽんと手を置く。そして訝しんで鼻頭にシワを寄せる。
「王都から大規模ダンジョン攻略用のエリート部隊がくるっていう話だろ?」
「だから私もそのエリート部隊様の攻略に参加しようと思ってるのよ」
物好きなモノだ。
冒険者の血が危険と財宝を求めているのかもしれない。
「せっかくこの間の襲撃で命からがら生き残ったんだぞ? なのになんだってそんな無謀をするんだ?」
止めて止まってくれたらいいのだが。
せっかく救われた命なのだからあまり無駄にしてもらっては目覚めが悪い。
本来の彼女は、すでに冒険に失敗している。村襲撃時に新米を庇い、剥かれ、巣穴に攫われていたはず。
なのになぜこうして生きているかと言えば、俺がいて、勇者ちゃんが覚醒していないから。
「そうですよ! 鎧も直したばっかりなんですからもう少しゆっくりする時間も必要ですよ!」
傍観していた勇者ちゃんも味方してくれる。
だが、シセルはバツが悪そうに襟足の長い髪を掻き上げた。
「こっちとしても色々と訳ありっちゃ訳ありなのよね。前にちょっと話したでしょ? 私も元アフロディーテ隊の一員だったってさ?」
そんな話してたっけ……してたな。
そもそもシセル・オリ・カラリナというキャラクターは、俺の創造しかけた物語に存在していなかった。
もともと彼女は、モブで、名前すらついていない。世界の円滑であり流動的な理として設定が再構築されている。
「(まったく……これをバグと呼んでいいモノか、悩むな)」
ある意味でシセルは、キャラエンドしていた。
凄惨な末路を回避した彼女は、もはや自由そのものを手にしている。
そんなシセルは、いまこうしてヴェル・エグゾディアの新しい物語を創造している。
「アフロディーテ隊って男禁制の部隊なんだ。その理由わかる?」
試すような笑みが向けられたが、知ってる。
そっちのほうが華やかで、壊滅したときにワンイベントになるから、俺がそうした。
なんとも言えない沈黙を勇者ちゃんの高い声が破る。
「それってつまり女性だけの部隊ってことですよね? 王都の女性は強かなかたが多いんでしょうか?」
「人口も多いし村単位と比べれば私みたいな跳ねっ返りは多いかな。でも、部隊が女性オンリーなのにはもっと別の秘密があるのよ」
ちらちらちらちら、俺を見るんじゃねぇ。
遠回しになにかを伝えようとしている意志が丸見えだった。
「これ極秘情報なんだけど」
あー聞きたくない。あー聞きたくない。
俺はたまらず無表情で耳を塞いだ。
だが、両手が物凄い力で拘束されてしまう。
「おまえ……! はな、せ……! なんだこの馬鹿力は……!」
「せめて最後まで聞きなさ~いっ♪ 聞いてくれないといじけちゃ~う♪」
鼻と鼻がぶつかりそうな位置にシセルの顔があった。
にんまりと胡散臭い笑みを浮かている。
しかも悲しいことに俺の両手が為す術なくこじ開けられていく。
「あの高名な騎士でありながら美の象徴ともされる《花の君》。アフロディーテ・エロイーズ・サクラミアには、生命を魅了する特殊なフェロモンが備わっているの」
その一言に、俺の心臓がどくんと跳ねた。
「(……フェロモン?)」
「せ、せ、せ、生命を!? 魅了ですかぁ!?」
勇者ちゃんはくりくりの目をぎょっと丸くした。
まるで恋バナを聞かされたかのように声を弾ませる。
「それってやっぱり……美しすぎて周囲に恋の病を話ずらせてしまう……とか、そういう感じですか?」
「ふふふ。さぁ? 詳しいメカニズムは本人ところか王宮の偉い人たちさえも知らないのよっ♪」
シセルはわざとらしく肩をすくめてみせた。
けれど、その本当に創造者である俺が知らないという事実こそ、気味悪い。
「(フェロモン? 魔法じゃくて匂い?)」
「ま、でもこれはあくまで私の推測。アフロディーテ隊に男を入れないのは、その女神様に一目惚れして正気を失うヤツが続出したから――とかね」
冗談めかして笑うが、その視線はやけに鋭い。
そしてまた、ちらちらと俺を見るんじゃない。だからそういうのマジやめて。
「うわぁ……え、じゃあつまり、その……男性兵士が同じ部隊に入っていると?」
勇者ちゃんの質問に、シセルは口元に指を当てて目を細める。
「魅了のフェロモンに耐えきれず正気すらも失って襲いかかってしまうでしょうね。でも《花の君》アフロディーテの剣技を前に惨敗。そして軍の規律違反で投獄か、最悪死罪よ」
「ひえぇっ!? 魅了のせいで正気を失っているのに死罪なんてあんまりじゃないですかぁっ!?」
シセルの脅すような声に、勇者ちゃんが怯えたように腰を引いた。
シセルの言葉は、確かに噂の域をでない。さらに事実として公にされていないはずの内容だ。
しかし俺は、その《花の君》を知っている。設定したのは誰でもない創造者である俺なのだから。
「で、お前はいったい俺たちになにをさせたいんだよ。聞きたくもないせってい――他人の素性をべらべら喋ってなに考えてんだ」
十中八九、魂胆がある。
みずから情報を明け透けにし、信頼を損ねる行為をとるとは思えない。
なぜなら彼女は、曲がりなりにも1流を名乗る冒険者なのだ。
「ちょっと顔繋いであげるからナエナエっちとアフロディーテを会わせたいのよね」
「……なんで?」
なんで。
なんで。
なんで。
耳の奥にクエスチョンマークが張りついた。
ここまでまったく意味がわからないのも珍しい。
しかしシセルは晴れやかな笑顔の手をぽん、と打つ。
「あの子、体質のせいで色々苦労してちゃってるわけ♪ だから都を堂々と離れられるこのタイミングで男慣れしてもらおうと思ってるんだ♪」
「……あの子、ね」
俺は言葉を慎重に選ぶ。
アフロディーテ・エロイーズ・サクラミア、通称《花の君》。
都では、尊敬と敬愛を一心に受けるほどの名高き美貌を兼ね備えた姫騎士である。
その名に恥じぬほどの気品と、ひと目で人の足を止めさせる魔性をもつ。正直なところ男として会ってみたいっちゃ会ってみたい。
「(だが、絶対にコイツ俺のことなにかに利用しようとしてるんだよなぁ)」
そんな高名な美女をどこの馬の骨とも知らぬ俺に会わせるものか。
しかも男慣れしてもらうというのもどこか気に掛かる。不快感度数的には、癪に障ると言い換えても良い。
「それにこの役目は私がナエナエっちを信用してるから依頼するの♪ そこいらの男にあの子を任せられないからね♪」
「俺はそこいらの男だぞ。お前とだって別にそれほど付き合いが長いわけじゃない」
やってられるか。たまらず俺は店の奥へと踵を返した。
直後、不意に背後から回された腕が、ぬるりと首筋に絡む。
シセルが俺の肩に頬を預けるようにして、いたずらっぽく囁く。
「私にとっては、ト・ク・ベ・ツなの」
「~~っ!?」
その声は、まるで舌の先で鼓膜を撫でるようだった。
ふっと耳をかすめた吐息が甘い。蜜柑と白檀が混ざったような、柔らかくて艶のある女の香が鼻腔をくすぐる。
わずかに唇が触れたかと思うほどの距離に、体温がぴたりと寄り添う。
「お、お前なぁっ……!」
引き剥がそうと藻掻くも、声すらうまくでない。
身体の芯がじんわり熱を持ち始めるのがわかった。
これは演技か、からかいか、はたまた本気なのか。だが、それを問いただすのは負けだと本能が告げていた。
シセルの指先が、喉元の鎖骨をくすぐるようになぞる。
「まあまあ、穿った見かたばっかりしないでよ。あの子を守るために、私はベストな駒を選んでるだけ」
そう言って、彼女は俺の耳たぶにふわりと唇を寄せる。
「――それが、君ってだけよ」
その一言を残して、腕を解いた。
唐突に離れた体温に、かえって自分の心拍だけが際立って聞こえる。
振り返ると、シセルはもう三歩ほど離れた場所に立っていた。
唇に指を当て、悪戯が成功した少女のような笑顔でウインクしてくる。
「じゃ、あとはよろぴくわん♪ あの子、きっともうすぐくるから♪」
「……は?」
熱に浮かされながら言い返すと、ちょうどそのときだった。
店の外側、ふわりと微風が舞いこむ。
甘い、香り。けれど、さっきまでのシセルのものとは明らかに違う。
もっと深く、濃く、そして理性の奥に火を灯すような。不可思議だが決して悪くはない芳香が流れる。
「……あれ? なんだか、すごく……いい匂いがします……?」
勇者ちゃんが、小さな鼻をくんくんさせた。
次の瞬間。店先から陽光に包まれるようにして、彼女は静かに立っている。
ひときわ映える薄桃色の鎧。花を模した装飾が細部にまで行き届いている。
さらには露出は決して多くないはずなのに、その艶めきは直視に耐えないほどだった。
美しい、などという言葉では足りない。俺と勇者ちゃんの前に現れたのは、華。まるで一輪の花が人の形をとったかのような少女だった。
「この痴れ者がッ」
開口一番だった。
美女の口から一矢、舌打ちの如く放たれる。
その刺すような侮蔑の視線は、明らかに真っ直ぐ俺へと向かっていた。
チルとはほど遠い、波乱の予感が幕を開けようとしている。
〇 〇 〇 〇 〇
最後までご覧いただきありがとうございました!!!