23話 前略、はじまりの村でのんびりしてます
フラグブレイク
バグった世界
小さな村に
小さな幸せ
生きる世界
見上げる
空
瓦屋根に煙が上がっている。
和の意匠を残しつつ、洋の趣をまとった小さな店構えが心安らぐ。
開店と同時に開け放たれた店の扉の奥からほかほかと小麦の香りが立ち昇る。
炉の奥では石窯の火がまだ赤く、いましがた焼き上がったばかりの丸パンが並ぶ。
腰をかがめて品定めをするのは、質素な柄の着物を着こなす村の主婦たち。傍らでは、剣を下げたまま腕を組んで佇む冒険者風の男たちも腹と相談している。
「いらっしゃいませぇ! 新作は小豆と砂糖を煮てから生地で包んだあまぁいパンでーす!」
「ごいっしょに今朝絞ったばかりの山羊乳も如何ですかー! 新作のあんパンとマリアージュするコト間違いなしですよー!」
小麦と花の香りが朝の風に乗って村のなかへと飛び立っていく。
それを見送るように俺と勇者ちゃんの景気よい呼びこみが響き渡る。
時がゆるやかで、日常だった。まるで生地が発酵するかのように時がのんびり流れていく。
アークフェンの村にある『Flour & Flower』は、本日も営業中だった。
「ナエ様が考案した新作の売れ行き絶好調ですねっ! 大人気すぎて村の外から買いにくるお客様までいらっしゃいますよっ!」
ぴょん、と。兎のように跳ねると栗色の気が踊った。
勇者ちゃんは、白いおみ足を交差させながらくるりと振り返る。
膝上ていどしかないスカートの丈を花弁の如く舞い上がる。幼げな大きい目をぱちくりとさせ、ぱあっと笑う。
「あんパンは、もううちの看板メニューといっても過言じゃないですっ! このままいけば村の名産品になりそうなまさに破竹の売り上げですっ!」
回った拍子に、麦色の髪が揺れてきらめいた。
花咲くような所作に少女という一瞬の季節の香りが付随する。スカートの裾がふわりと宙を描けば、白く滑らかな足が覗く。
春風のような彼女の軽やかさで、俺の世界が明るく染まる。
「そりゃもう、うちの看板娘が可愛いからなぁ」
「うぇ!? うへへぇ……そ、そんな、べ、べつに私なんて……」
頬を染め、わたわたと手を振って否定する。
が、明らかに嬉しそうで、可愛い。
晴れやかな栗色の外ハネの髪が活動的で、彼女の愛らしさを加速させている。
しかしその実、レーシャ・ポリロは、勇者である。勇者である才能を秘めた物語の主人公だった。
「(なんか平穏無事だから忘れてたけど、そろそろ勇者に覚醒させないとマズいよなぁ)」
ゴブリン大襲撃以降、アークフェンの村は平和そのものだった。
人の噂もなんとやら。数日も過ぎれば崩壊寸前の危機だったはずの村も危機を忘れて安穏とする。
勇者ならざる勇者ちゃんの放った《終律魔法》さえ遠き記憶の果てと化していた。
「はぁぁ……」
なにもかもが想定外で、上手くいかない。
思わず俺の口から長く冷えたため息が漏れてしまう。
このバグ世界は、狂ってやがる。
俺の創造しかけた、中途半端な創作世界。
書きかけで投げだされ、77777回目のループを繰り返す、輪廻世界。
「(こんなところであんパンなんて発明して売ってる場合じゃないよなぁ。しかも普通なら覚醒した勇者ちゃんが冒険をはじめているころだし……)」
レジ先で黄昏れていると、不意に視線を感じた。
横顔を見上げるようにして、勇者ちゃんの澄んだ瞳がぱちくりと瞬く。
「先ほどから、ため息ばかりついてますけど……なにかお悩みごとですか?」
首を傾げる動作が、またいちいち可愛い。
まるでなにも知らない小鳥が、枝先からこちらをのぞきこんでいるかのよう。
「私で良かったらお力になりますよっ!」
勇者ちゃんは、自信満々に胸を押しだす。
細身で幼顔のくせに不釣り合いな立派な膨らみが主張する。
「お店のお手伝いとか新商品の開発とかとか、ナエ様には常日頃お世話になっているんです! だから私にできることならなんでもお力添えしちゃいます!」
どん、と。叩かれて、胸元が起伏する。
内側から押し上げられた布地がゆっさりと重量たっぷりに揺れた。
「(中2のころの俺センスあるなぁ。なんて可愛い物体を創作したんだろう……!)」
君が悩みの元凶だ、なんて。
こんなに可愛いんだぞ。言えるわけがないじゃないか。
俺は、軽く片頬を張ってから彼女のほうを向く。
「そろそろナエ様って硬い呼びかた止めない? 居候だけど、一緒に暮らしてだいぶ経つんだし敬語とかもさ?」
「はえ? ではなんとお呼びすればいいのでしょう?」
己で定義しておきながら難しい問題だった。
勇者ちゃんは、どこぞ2面性格冒険者女みたいに軽薄ではない。
俺は、しばし中空に視線を逸らして、指を立てる。
「とりま俺の名前は朝倉苗だから……普通にナエとか?」
「な、なえしゃんっ!」
「……可愛いかよ」
お互いに爆発しそうだった。
勇者ちゃんは顔を真っ赤にしながら眼をぎゅっ、と瞑る。
「だ、だってナエ様は私の命の恩人なんですよっ! そんな御方をを呼び捨てにするなんてバチが当たってしまいますっ!」
「いやだってそれは、偶然の産物っていうか……覚醒イベントを俺の尻が潰した前科の事故っていうか……」
「それにそれにっ! この間のゴブリンの大群が襲ってきたときだって気絶しちゃった私のことを最後まで守ってくださったじゃないですか!」
事件後のここ数日、平行線だった。
魔神将』・原初の魔胎を屠ったのは俺ではない、彼女のほう。
しかし勇者ちゃんはその時の記憶を一切もち越していないのだ。
「私はナエ様のことを恩人としてもお友だちとしても心から尊敬しているんですっ! だからナエ様はナエ様なんですっ!」
カワイイ顔して意外と強情だった。
まあ別にイヤというわけではないからどっちでも良いんだが。
でもどうせならもっとカジュアルに接して欲しいという欲もある。
「(尊敬されてるのも嬉しいし、なにより可愛いからいいか)」
君が笑ってくれていればそれでいい。
本来ならバッドエンドを迎えるはずの子が幸せになれば良い。それが2度目の生を得た俺の収束点だから。
俺が創造し、エンディングを迎えず放置された世界。それがここヴェル・エグゾディア。
しかし77777回ループを経て、バグった世界で、俺という特異点が発生してしまった。
序盤で覚醒する勇者ちゃんは、未覚醒。旅にもでないし、主要キャラがはじまりの村から動くこともない。
いまのところ上手く立ち回れている。が、この先創造者である俺でさえ予測不能な世界が広がっている。
「あっ! ナエ様、棚の上に在庫を上げるの手伝ってください!」
「小麦粉をあげるだけなら俺だけでもできるけど?」
「じゃあ私が踏み台に上がって小麦粉を上で受けとります! だからナエ様は下からもちあげて、それから台が傾かないように押さえてください!」
勇者ちゃんは軽やかな動作で、ちょんと踏み台に乗った。
俺は言われた通り、小麦粉の詰まった袋を膝に力を入れ両腕でもち上げる。
「重いから、気をつけて」
「んっ、しょっ!」
小さな掛け声とともに、彼女はバランスをとって体を伸ばす。
この程度の軽作業なら、もうすっかり阿吽の呼吸だった。
俺は台がぐらつかないよう、しかと足元を押さえにかかる。
「すぅぅ……」
見上げれば、視界全体に天国が広がっていた。
無防備なスカートの裏側はむっちりしている。白く肉付きの良い満月2つがまざまざと姿を現す。
本日は橙色が目覚ましい。日によって替わるデイリーショーツも眼福を手助けしている。さらに食いつきの良いニーハイソックスが太ももを否応なく強調する。
「よいしょ、よいしょっ! もうちょっとだからっ!」
荷物を押しこもうと動くたび、波打つ。
そして俺はそれを網膜に焼きつけんと見上げ、窃視する。
「(勇者ちゃんは俺が守護らねば。このままプロット通りにバッドエンドなんか迎えさせるものかよ)」
幸せは、ここに在った。
生きていたころよりも、ずっと。もっと。
なによりこの世界は俺の手を離れて生きている。
美しく、時に理不尽で、それでも確かに脈動し、意志をもって転がりはじめている。
誰が望んだかもわからない奇跡が起きて、
誰もが忘れたはずの運命が、いまもどこかで息をしている。
創造者としての自負など、とうの昔に剥がれ落ちた。
今あるのは、この世界に触れ、巻き込まれ、そしてほんの少しだけ救いたいと思う自分がいる。
俺が己の創ったこみ上げる幸福を噛み締めていると、軽率な声が店内に響き渡る。
「やっほー! はろはろはろー!」
ちっ。馴染みのある声に思わず舌を打った。
※つづく
(次話への区切りなし)
最後までご覧いくださりありがとうございました!!!