20話 祀りの跡で
赫炎の魔龍
救われた村に
平穏沁みる
九死に一生
祭りの痕
朝は、あっけないほどに静かだった。
村の穏やかな賑わい、往来を横切るように流れる水のせせらぎ。死が眼前に迫っていたというのに今日も変わらぬ日常がやってくる。
「………………」
俺は店の裏手にある水場の湧き水で顔を洗っていた。
肌に触れる冷気が、どうにかして目覚めた実感をくれる。
『子宮の底から、憎んでいます』
あのときの勇者ちゃんの声が耳から離れない。
恍惚とした表情。なのにいまにも泣きだしてしまいそうな。陰と陽、裏表とかそういうのではない。闇があった。
「(ちなみにあれ以降、勇者ちゃんは唐突に倒れてしまった。体力、というかこの場合MPが切れたってところだな)」
俺が彼女に与えた刻印は、魔法――《獄門の番人》。
轟く魔炎の龍が敵とみなすほぼすべてを焼き尽くすというもの。
ちなみに分類は、極大魔法にあたる。このヴェル・エグゾディアの魔法ランクとしては最上位よりもレアリティの高い代物となっている。
「(《終律魔法》。万象をも灰燼と帰する終焉の命令、終末魔法)」
あったなぁ、そんな設定。
いまさらになって朧気な記憶を呪うしかない。
あの場面で最強スキルを引けたのは、豪運か。それとも創造者としての能力の一部だったのか。
どちらにせよ九死に一生を得たのはいうまでもなかった。
「ほれ、タオル♪」
突然、頭上からふわりと柔らかくて白い布が降ってくる。
「おっ、さんきゅう」
俺は、受けとったタオルで水滴を拭う。
そして違和感を覚えて見上げると、そこには。
「にしし~♪」
シセルが前屈みになって、どこか勝ち誇ったように笑っていた。
歯を見せつけるように大輪の花を咲かせているも、未だ傷の治療跡が痛ましい。
「お前もう起きて、って。……なんつー格好してんだよ」
俺は、彼女の姿に思わず眉をひそめる。
シセルが身に帯びているのは、普段の鎧ではなかった。というより帯びるという表現すら過剰かもしれない。
黒く光沢のある薄地が、まるで肉の起伏をなぞるように密着している。肩から太腿にかけても露出と曲線の主張が激しい。女性的な造形のすべてが明け透けな格好だった。
「朝だから人目が少ないけど昼間だったら露出狂認定されるぞ」
「だって昨日の戦いで鎧、ボッロボロにされちったんだもん♪ いちおうコレでも普段鎧の下に着てるヤツのスペアなんだから♪」
シセルは悪びれる素振りすら見せようとしない。
俺の隣に膝を抱えるように背を丸めてしゃがみこむ。
「むしろこの展開はそっちのほうがラッキーっしょ! ほれほれもっと近くで見るかえ!」
「見るかバカ!! 脇のとこ捲りあげんなアホ!!」
たまらず彼女の顔にタオルを叩きつけた。
朝の清廉な静けさが一瞬で砕け散ったような気分だった。
とはいえ――なんの感慨もないが――昨日の騒ぎから互いに生き残っている。こうして村ともども無事に朝を迎えられたのは奇跡としか例えようがない。
「……んで、調子のほうはもういいのか?」
「おお? まさか私のこと心配してくれちゃうってる感じ? この王都の肝いり冒険者であるところの私を?」
「茶化すな。鎧ぶっ壊されてそんな格好してるのにいまさら強っても説得力ないだろ」
「んふふふっ♪ 痛みには慣れてるほうだから心配ご無用っ♪ ちょ~っとチクチクするけど、基本的には平気かなっ♪」
元気そうだ。いや、元気すぎるかもしれない。
昨日の死線をくぐり抜けたばかりの負傷者とは到底思えないテンションだった。
「(冒険者ってのは女とか関係なく、雑にできてるんだな)」
彼女をみていると、そう思わずにはいられなかった。
ほんの数時間前まで、生死の境を彷徨っていたとは思えない。レオタードまがいの装備で、村のなかを闊歩してる時点で、説得力も緊張感もすっ飛んでいる。
しかし辺りの空気は確かに戦後だった。
焼け焦げた平原の向こう、木々の縁には黒ずんだ煤と灰。
ゴブリンの残骸はというと。まるで最初から存在しなかったかのように、影も形も残っていない。
どこか焦げくさい。けれど、それ以上の気配はない。あの魔炎が通った軌跡は、すべてを呑み干していた。
「……でさ」
「ん?」
俺が物思いに耽っていると、すぐ隣から、吐息が鼓膜をかすめた。
風に乗って届いたのは、かすかな香草の香りと、ほんの少し甘い女子の匂い。
ふと横を見ると、シセルがじっ、とこちらを見ていた。
「これから私とパーティ組まない?」
「はぁ?」
素だった。
あまりにも急で、脈絡のない誘いだった。
俺は、完全な素の反応を返してしまう。
「いやいや、なんで? というか、いま?」
「いや~、だって~?」
シセルはわざとらしく肩をすくめ、両手を広げてみせる。
肌着が余計に女性的な部位を主張して、若干眼のやり場に困る。
「今回みたいに最後まで一緒に戦ってくれる仲間って、ほんっと貴重なんよ。なにより、ナエナエっちってさぁ……」
いつもの調子で冗談めかして笑っていた彼女の口調が、そこで不意に止まる。
そしてその瞳が、ぐっと俺に近づく。
「……妙に、全部を知ってる顔してるんだよね」
低く静かだった。
まるで、仮面がはがれたようだった。
「あの黒い魔物を見たときもなにか知ってるっぽかったし。私のベテラン冒険者の勘ってヤツが、こう――嘶いてたまんないのよ」
細められた目に、もはや愛嬌はなかった。
朗らかさも、気さくさも、ひとつ残らず消し飛ぶ。
そこにあったのは、研がれた刃のような戦士の眼差しだった。
「血肉のひとつも残さず、犠牲者も最小限、戦場はまるで業火に焼かれたかの如く墨色。いったいなにをどうやったらこんな結末が迎えられるのか」
俺を見透かすように、観察するように。
そして、なにかを確信しようとしている。
「きみ、普通じゃないよね?」
思わず息が詰まった。
それは冗談ではなかった。明確な探りだった。
さすがは幾たびの死線を乗り越えた1流の冒険者といえる。普段はあんなにおちゃらけているのに、油断も隙もあったもんじゃない。
「(ここでネタバレしてもどうせ頭おかしいヤツと思われるのがオチだしなぁ)」
この世界の創造者です。
あらやだ素敵抱いて。
「(……バカか)」
雑な脳内妄想が脳裏によぎって弾けて消えた。
それこそ課すべきもの。
「(俺は、この世界の住人に決して正体をばらしてはいけない。暴かれてはいけない運命にある)」
なぜなら最悪の結末を創造した張本人だから。
この世界のキャラクターからすれば破壊神のようなもの。もしバレれば世界レベルで非難されることになる。
もっともヒドければ極刑、あるいは未来永劫日の当たらぬ場所に軟禁されかねない。
「なーんか色々と言えないモン抱えてるっぽいね」
「男って生き物には言えることと言えないことが半々くらいあるんだよ」
シセルは、しばし俺の沈黙を、眺めていた。
詮索するでもなく、追い詰めるでもなく。ただ、じっ、と。
「とりま、さっきの誘いのこと考えておいてちょ♪」
それからまるでスイッチでも切り替えたかのようだった。
さっきまでの鋭さは霧散し、いつものやんわりとした笑みが浮かぶ。張りつく。
「私も装備直したり、体の具合整えたりってあるからさ。しばらくはこの村で、ゆっく~りするつもりなんだっ♪」
そう言って、シセルはすっくと立ち上がる。
両腕を天に向かってうーんと伸ばし、薄布の服が張って背筋のラインがくっきり浮かぶ。
「ん~~っ♪ 朝の光って、なんかちょっと、まどろっこしくて良いよねぇ~♪」
「……お前ってやつは。中身があるんだかないんだか……」
俺は、ため息混じりに髪をかく。
とりあえず見逃してくれた、といったところか。
ずっと村にいるということはその間、ずっと監視しているという事かもしれない。
「ま、返事はすぐじゃなくていいよん? しばらくは、ほら」
シセルは悪戯っぽくウィンクして、ついとそちらを目で示す。
「あっちのお姫さまにべったりしとく時間、必要でしょ♪」
家の勝手口のほうに気配があった。
顔を半分だけ覗かせるように。そして見られて引っこんで、また半分だけこちらを覗く。
どうやらあの可愛い生物に俺たちは監視されていたらしい。
「あ、あのっ! お、おはようございますっ!」
ぱたぱたと駆け寄ってきたのは、間違いなく勇者ちゃん――レーシャ・ポリロだった。
胸元に赫い印はなく、瞳もいつものまっすぐな澄んだ色をしていた。
喉で下卑た音を鳴らすこともなく、そこにいたのは、ただの女の子の顔だった。
「(……戻ってる。完全に、元の勇者ちゃんに)」
一瞬だけ息を呑む。
が、すぐに頬を緩めて平静を装う。
「おはよう、レーシャちゃん。体調のほうは悪くなさそうだけど、あんまり無理しちゃだめだぞ」
「あーっ! なんか私のときと対応ちがーうっ!」
すかさずシセルがジト目で叫ぶ。
「ひどーい! 私、身体の心配とかしてもらってなーい!」
「お前のときもはじめは体調のこと心配しようとしてただろうがぁ!」
「でもどうせ胸ばっか見てただけだもん!」
「見てねぇよ!! もし見られてる自覚あるならもっと装いを改めろやぁ!!」
言い合いになる俺とシセルを見て、レーシャちゃんは口元を手で押さえる。
くすくすと笑う。その笑いには、疲れの色も、不安の気配もなかった。
「ふふっ。おふたりが元気そうで、本当に良かったです!」
ぱっと咲いたような笑顔で、そう言う。
しかしすぐさまその笑顔は、夏の暮れの朝顔のように静かにしおれていった。
「……私、昨日のことほとんど覚えてなくって」
しゅん、と。しょげたように俯いてまつげの影が伸びる。
「でも……おふたりが、私のことを命懸けで守ってくださったことだけは、覚えていて……」
胸元を握る手に、力がこもる。
まるでそこに、なにかが残っていて、探しているかのよう。
「(記憶喪失……なのか?)」
俺は思わず、彼女の顔をじっと見つめる。
澄んだ眼。迷いのない声。昨日の豹変ぶりは残滓すら見つけられない。
なによりこの子が嘘をついているようには見えない。少なくとも、本人に自覚はなさそうだ。
「ま、元気ならそれで良かったじゃん! ほんじゃ私はそろそろ斡旋所にいって昨日あったことのあらましを事細かに調べにいくから!」
シセルが颯爽と身を翻す。
その直後、ふとよぎる。
「(あ、やっべ。このあとの展開なにも用意してなかった)」
俺の脳が警笛で埋め尽くされたのだった。
シセルは気を失っていて昨日の結末を知らないはず。
このはじまりの村を救ったのは、俺ではない。
たった1人の無力にしか見えない少女が大勢の前で焼き尽くしたのだから。
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最後までご覧いただきありがとうございました!!!
計画通り約1巻ぶんの文字数で章末です!!!!