19話【VS.】旅の途中、冒険のはじまり 魔神将ダークマター 5
最大の難敵
窮地に賭ける
目覚めの
予兆
この物語の
主人公は
荷からは商品だったであろう武器が乱雑に散らばっている。
そのなかから俺は1本を拝借し、抜き放つ。
眼前には、すでに甲高い金切り声をあげながらゴブリンの群れが迫ってくた。
俺は、新品同様の刃を振りかざす。黒く濁った目に殺意を滲ませる。
「きてみろよォォ!! どっちが化け物かハッキリさせてやるぜェェ!!」
振り下ろされる棍棒を、俺は正面から迎え撃った。
だがその1撃は、無駄。まるで紙を撫でたように俺の肩口をかすめ、粗末な棍棒は無力に弾け飛ぶ。
「Gyagya!!?」
バグの恩寵。それはいまこの場でもっとも死を遠ざける。
ゴブリンは、ひしゃげた己の棍棒に呆然と佇む。
「この子はなぁ!! てめえらが如きが触れていい女じゃないんだよ!!」
そこへ一閃が銀光となって横切った。
しょせんは素人刃。しかし首筋をかすめた刃は容易く喉と動脈を切断する。
「――Gェッ?!」
ゴブリンの首からおびただしい量のどす黒い血が噴きだす。
やがて悪臭の耐えぬ口から血と泡を吹いて溺れるように草原へ横たえた。
決して時間をかけて身につけた実力ではない。ただバグって半無敵状態とかしているだけ。
だが、いまはこれでいい。足下で眠っている少女を守れれば、それで良い。
「Gyaaaaaaaaa!! Gyagyagyagya!!」
女だ、女だ。
「Keeeeeee!!」
邪魔者は殺せ。
「Gogo! Gogogogo!」
剥いて、嬲って、弄んで、もいでしまえ。
奇声から幻聴が耳鳴りのように聴こえてくる。
「やれるもんならやってみやがれエエエエエエ!!!」
俺は感情のままに吠え、猛り、踏みだす。
それを合図のように殺気だった群れが反射の如く飛びかかってくる。
だが、それが失敗だったと気づく間もなく、斬撃は閃く。
「Kya!?」
二体目。
跳躍しながら両手の斧を振り下ろしてきたゴブリンを、剣の腹で受けて、真上へと斬り上げた。
刃は顎から頭頂をまっすぐ裂き、斧は無力に空を切って地面に突き刺さる。
「Heeeeee!!」
「Byaararara!!」
三体目と四体目は、左右から挟みこむようにしてきた。
俺は、半身を沈めて突進してくる個体の片方に肘を叩きこむ。
背骨が悲鳴をあげたように曲がり、のけぞった喉元を、今度は真横に薙ぐ。
「Heeeeeeeeee!!!」
背後から欠けた刃が俺の後頭部を襲った。
兜すら被らぬ生身で、通常ならコレで終わっていただろう。
しかし俺は狂気に口を歪めている。
「バァカ」
「Heaaaaa――Gyoッ?!?」
鼻先に剣の柄が襲いかかって骨が砕け血が噴きだす。
返す刃で鼻を押さえるゴブリンの手ごと剣を突き立てる。骨が割れる嫌な感触とともに後頭部から頭蓋と脳漿がこぼれた。
「……どうした。仲間がやられてるっていうのにこないのか?」
残った群れは、未だに包囲の陣形を保っている。
だが誰ひとりとして攻めようとはしてこない。空気は濃密に固まり、ただ血の匂いだけが重く漂っていた。
その中心には、赤黒い返り血を浴びたまま、にやけた俺が立っている。
「H、Hyaaaaa!」
「Grrrrrr……!?」
まるでこっちが魔物扱いだった。
俺は、血を滴らせた剣の先をわざと土に打ちつける。
カキン、と乾いた音が鳴るだけで、ゴブリンたちはその場で硬直した。
群れる視線のすべてが怯えを孕んでいる。まるでこの世ならざるものを見ているかのようだった。
「(よし、これでひとまずは……)」
威嚇と時間稼ぎは済んだ。
こちらが無敵とあればそうそう下手に攻めてはこないだろう。
俺は横たわるシセルの肩に腕を回す。ずるずると荷の影へと、彼女を安全な場所へ導く。
「(おも……そろそろ強化バフが切れる頃合いってことか)」
そのとき叫び声が鼓膜を通して脳にまで響いた。
「いやぁあああっ!!」
叫びに呼応し、視線を向ける。
すると勇者ちゃんが涙で顔をぐしゃぐしゃにしている。
「どうして……そんな、なんで……! 私のためにっ、この子、そんなにボロボロに……っ」
俺は、泣きじゃくる勇者ちゃんになにも言えなかった。
置いていってしまったのは事実だし、シセルに無理を強いたのも俺自身だったから。
涙で濡れた瞳が、俺と、そして俺の腕の中でぐったりとしているシセルを交互に見つめている。
勇者ちゃんの肩は小刻みに震えていた。叫ぶように吐いた息が喉で詰まり、幾度とも咳きこむ。
「だって……こんなの、ひどい……! 私だけ……なにもできなくて……!」
彼女は膝から崩れ落ちた。
地に手をつき、拳を握り、泥に爪を立てながら涙を噛み殺す。
「ナエ様だって……無茶して……この子だって……っ、命を賭けて……!」
言葉は次第に熱を帯びていく。
彼女の震える声の奥に、なにかいいえぬものが灯りはじめていた。
「(まさか――このタイミングで!?)」
なにかが変わった、変化した。
それは大きな変化ではない、とても小さく世界の片隅がほんの少しだけズレるみたいなもの。
木々の囁き、風のそよぎ、河のせせらぎ、雲の揺らぎに些細な芽吹きが生じるような。
「……なに、これ?」
あどけなさの残る顔立ちと反比例して豊満な隆起が輝いていた。
もっというと胸元がちょうど重なる谷間の辺りに紋章が浮かび上がっている。
覚醒。かと思えばまったく俺の予想していない事態だった。
「(なにそれぇ?)」
未知の現象に頭が真っ白だった。
本来であれば彼女はゴブリンに追い詰められ、危機を察知し、覚醒する。
現状であればシセルの奮闘と窮地がトリガーとして濃厚だった。己を守るために傷つく他人に衝撃を受け感情を昂ぶらせた。そう、考えれば覚醒の条件として妥当であろう。
「(たしか勇者の紋章は、蒼だった。しかも荘厳で勇壮な龍を象ったもののはず)」
しかしいま勇者ちゃんの胸元で煌々と輝いているのは、別だった。
まるで夕日のように赫く、艶やかで、どこか妖しげに揺れている。
「(……紅? 勇者のモチーフである蒼じゃなく、紅? ってことはこれは覚醒じゃないのか!?)」
俺は至極戸惑っていた。
これは覚醒ではないのか。ではいったい彼女の身になにが起こっているのか。
燃えさかる炎のような色ではなく、熟れた果実のような紅。あるいは、滴る鮮血のような赫。
その紋章は、まったくの初見だった。つまり創造者である俺でさえ知り得ない現象で間違いない。
贖罪の勇者レーシャ・ポリロの身体に浮かび上がっているのは――六弁の花だった。
「……あったかい。それでいてどこか懐かしい……」
勇者ちゃんは胸元を両手でそっと覆う。
頬に涙の跡を残しながら慈愛の如き笑みを讃えている。
俺は呆然と彼女を眺めながら、ハッとした。
「(まずい! まだ渡してなかった!)」
握りしめたソレを確認して慌てて彼女に駆け寄る。
「レーシャちゃん!」
思わず声が上擦った。
だが躊躇ってはいられない。ここから逆転するにはもうこうするしかない。
俺はその刻印を勇者ちゃんの胸元にためらいもなく押し当てた。
「えっ、ちょ、ナエ様!? なに、急に……え、ええええっ!?」
案の定、勇者ちゃんは真っ赤になってのけぞる。
動揺が目に見えて走り、わたわたと両手で俺の腕を押しのけようとする。
「い、いまこんなところで、だめですってば! あの、気持ちの整理とか、覚悟とか、全然まだ……~~~っ!」
紋章が赤々と輝きを増していた。
刻印を押し当てると、それはまるで花弁が広がるように彼女の肌へと浸透していく。
「(主人公は俺じゃない! どう足掻いたってこの世界を救えるのは、この子なんだ!)」
俺のなかで、ひとつの決意が確かにあった。
それは、戦う覚悟でも、犠牲になる覚悟でもない。
もっとずっと、静かで穏やかな、それでいて抗えない想いだった。
「あっ……! 頭のなかに知らない文字があふれてくる……!」
この世界は、美しい。
バグだらけで、矛盾していて、歪んでいる。
理不尽すぎるくせに美しい。救いたくなるほど、どこまでも美しい。
「(こいっ! レーシャ・ポリロ! 77777週目のこの世界を救って見せろオオオオオオオオオオオオ!!!)」
刹那に、変わった。
世界を呑みこむようなソレは眩しいだけの光じゃなかった。
目を灼くような白でも、神聖な金でもなく、赫い。深紅とも、紅蓮ともつかない赫光が、世界を塗り替えるように広がっていく。
「くッ、お……――おおおおおおおおおおおお!!?」
全身が衝撃と暴風によって煽られて転げ回った。
地面が震え、空気が軋む。木立の木々がざわめきを通り越して軋む。
突如として発生した暴風が渦を巻き、彼女を中心に展開していく。
そして暴風は時間を止めたようにぴたりと止まる。残響の余韻すらない、完璧な無音が世界を支配する。
俺は、手放しかけた意識をかき集めるようにして身を起こす。
「なにが……覚醒は、成功したのか?」
頭がぐらつき、視界は輪転する。
けれど、その中心に、彼女がいた。
森羅万象の中心に、ただ一人、凛として立っている。
「………………」
彼女は、そっと、手をかざした。
白く細い指先が、空へ渦巻く闇とゴブリンの群れへ向かって伸びていく。
「いでよ、《獄門の番人》」
心さえ籠もっていないような冷たい詠唱だった。
しかしその声に呼応して、紅蓮の魔炎が滂沱の如く大気を割った。
彼女の手のひらから生じた炎は、形を持ち、咆哮をあげる獣のようにうねりながら空へ奔る。
それはもはや魔法という域ではない。概念が具現化したような魔炎そのものが意志を持っているかのような存在。
「Ge――」
「Byaa――」
「G――」
炎は一直線に、森の奥を目指して走った。
まるで無慈悲な審判。
魔炎は生を否定するようにゴブリンの残党を消し炭へと変えた。
そして炎は、最強の一角魔神将・原初の魔胎さえも呑み干す。
「―――――――――――――――…………AAA」
赫炎に包まれ、飲みこまれ、焼き尽くされ、なにもかもが残らなかった。
無事だったのは、真っ青なって黙りこむ冒険者たちくらいなもの。残されているのは、赫い魔炎に焦げた焦土と、風に舞う、六弁の光の花弁だけだった。
俺でさえその終焉に刮目し、凍えている。
「あのバグマターすら1撃……だと?」
そんなわけないだろ。心が訴えていた。
だって勇者ちゃんは覚醒したてでまともに戦闘経験すらないんだぞ。
それがたった1つ与えられただけの能力で、覆すどころか壊滅させられるわけがない。
「……………………」
沈黙が、つづいていた。
焼き尽くされた焦土の中心で、勇者ちゃんは、ぺたんと地に座りこんでしまう。
その小さな背中が、夕陽にも似た赫炎の余韻を受けて、赤く染まっている。
「勇者ちゃん大丈夫か!?」
俺は思わず彼女の名さえ忘れて駆け寄っていた。
なにが起きたのか、本人が一番混乱しているはずだ。
なのに、レーシャ・ポリロの反応は予想したものではなかった。
「…………ふふ、ふ……あ、あは……あははっ……」
その耳に届いた声は、俺の想像のどれでもなかった。
「ふふふっ、くくっ、あはっ、ははっ、あはははははははははははっ!!!」
勇者ちゃんは、笑っていた。
それは、天真爛漫なものでも、安心からくるものでもない。狂気。
ひび割れた精神の隙間からあふれたような、歪で、抑えの利かない奇声に似た笑い声だった。
「ゆうしゃ……レーシャちゃん?」
華奢な肩に伸ばしかけた手が躊躇う。
しかしその間にも彼女は喉で喘ぐように笑いつづける。
「やっとだぁ!! やっとやっとやっとやっとやっとやっとやっとぉ!!」
勇者ちゃんの叫びは、笑いながらも幸福に満ちていた。
歓喜に溺れ、喉を震わせ、喜びと悲鳴を混ぜ合わせたような音が焦土に木霊する。
「ようやく、会えた……! やっと、あなたに……あなたに、会えたぁ……!」
幸福まみれの笑顔は、絶望にも近いほど美しかった。
その瞳は俺を見ていた。真っすぐに、真っ赤に、迷いもない。
「愛してますっ」
心臓が跳ねた。
それは告白なんかじゃなかった。
信仰にも、呪詛にも似た言葉だった。
「ナエ様……ナエ様……愛してます……」
彼女は膝立ちのまま、地面に両手をつき、呻く。
土に口づけるように、繰り返す。
「ナエ様、愛してます……ずっと、ずっとずっと。もう何度も、何万回も、幾星霜の刻月を経ていまもなお」
俺の中の時間が止まっていた。
なにも言えなかった。いや、なにも言わなかった。
彼女が、なにを言っているのか。なぜこんなに震えているのか。気づいていたから。
「この世界で、あなたに出会えたァァァ!!!!!」
笑っていた。歪んでいた。
その狂乱は、喜びか絶望か、誰にも判断できない。けれど、彼女は待ちつづけていたのかもしれない。
この瞬間を彼女は、俺は、きっと恨むだろう。
この出会いを彼女は、俺は、きっと後悔するのだろう。
「ナエ様……私、あなたを……」
また繰り返すのかと思った。愛してる、と。何百回でも。
だが――違った。最後に彼女は微笑み、赫く光る紋章にそっと触れ、言った。
「――子宮の底から、憎んでいます」
その言葉は、笑顔で紡がれた。
この世で最も優しい声で。
この世で最も深い、怨嗟と愛情の入り混じった声で。
そして、世界がひとつ、色を失った。
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Chapter.1 俺の書きかけたキャラクターが唐突にストを始めた件