10話 ちぐはぐ、ぎこちな、デート・デイズ
1人と1人
初心な2人
青春と謳歌
混じ入る
幸福と
その崩壊
「わあっ! ナエ様あれ見てくださいっ! 風船が飛んでますよ!」
風に吹かれて栗色の髪が軽やかに舞う。
いまにも駆けだしそうなステップにプリーツスカートがふわりと流れる。
「あの屋台、すっごくおいしそうです! いってみませんか!」
鈴のような笑い声が町のざわめきに混じって響いた。
通りを行き交う人々は人々の限りではない。猫のような耳と尾を持つ獣人の少女が、屋台の手伝いで果物を切っている。
青白い肌に角を持つ鬼の女性が、男顔負けに荷運びを行う。あちらでは翅のある小柄なフェアリーが空中を飛びながら、空から花びらをばら撒いている。
「見てください! あの魔法使いさん、空で楽器を演奏してますよ!」
勇者ちゃんはモリシアの町並みに大興奮だった。
田舎のアークフェンとは違う、華やかでにぎやかな雰囲気に、目を輝かせている。
「すごい……! こんなに大勢の人が集まってるんですね!」
「(道中静かだったから心配してたけど、こんなに喜んでもらえるとは。目的ありとはいえ連れてきて良かったな)」
「ねえ、あの動物って、なんでしょう! 羽がもふもふしてて可愛いですよ!」
「こらこらあんまりはしゃがないの。はぐれて迷子にでもなったら――俺が1人になっちゃうじゃん!」
勇者ちゃんは、あれもこれもと指さしながら駆け回る。
その姿はまるで遠足にきた少女のように無邪気で、自由だった。
「あ……」
不意に勇者ちゃんの浮いたスカートの裾が落ちる。
つぶらな眼差しを町の1点を見つめたまま静止する。
「(あれ、どうしたのかな……?)」
異変に気づいた俺は足を止めた。
同じ方角を見るも、町並みが広がるだけ。美味そうな屋台もなければ、これといってなんの変哲もない。
すると勇者ちゃんは頬にぽっと微熱を咲かせながら、勇気を振り絞るように言った。
「……あの、て……手を、つないでもいいですか?」
内ももをこするみたいにもじもじし始めて、ちらりとこちらを見上げる。
うつむきがちに、さらに小さな声で付け加えた。
「……あの、さっき通ったカップル……手つないでたから……なんか、いいなって思って……」
その声はもう、風の音に紛れそうなほど小さい。
でも、俺の耳にははっきり届いていた。
「そ、そっかぁ! うん、もし迷子になっちゃってもアレだからアレだよねぇ! じゃあ――はい喜んで!」
この機を逃してなるモノかああああああああああ。
しかもあろうことか勇者ちゃん側からのエスコート。俺はすぐさまダンスを誘うよう、手を差しだす。
勇者ちゃんは驚いた顔をして、けれどすぐに嬉しそうにその手を握る。指先がそっと重なった瞬間、胸の奥がふわりと温かくなる。
「あ、あったかいですねっ! なんだか手だけじゃなくて体の真ん中のほうまであったかくなってきちゃいますっ!」
「(キタキタキタキタキタァァァァァァ!! ついに好感度は肉体的接触へとグレイトランクアップッッ!!)」
かわいい。天使はここにいた。
小っちゃい手が、照れてるくせにぎゅう、と力を籠めてくる。それだけで俺の心は歓喜と感激のスパンコールが胸の中でキラキラ舞った。
それでも俺は、必死にそれを顔にださないよう、全力で平常心を装う。
「(わ、笑うな……キモくなる、だがしかしッ!)」
表情筋、裏切るなよ。絶対にニヤけるんじゃない。
教室でラノベ読んでて女子からキモいと言われた過去を思いだせ。
アイツらは簡単に人の心をへし折ってくる、しかも一生分のトラウマを乗せて。
「ま、まああれだよ? お上りさんに見られないためのカモフラージュにもなるかも? だから合理的に考えれば手を繋ぐのも一理あるかな?」
わりと冷静ぶったつもりだったけど、自分でもキモいくらい早口だった。
しかもちょっと声がうわずってた気がする。たぶん手が震えてることくらいバレてる。
けど、勇者ちゃんは、にこっ、と。天使のような慈愛ある笑みで迎えてくれた。
「はいっ。合理的ですもんねっ!」
デート、ここに、施工せり。
この一生分の幸せ、プライスレス。
俺はいつまでも味のする幸せを心から噛み締めている。そして彼女がいるという幸福も同時に味わっている。
「(可愛いなとか付き合いてーとか言ってるだけで行動にでなかった俺だがいまならいえる! 彼女がいるヤツはこの幸せを掴みとるために超がんばってたんだ!)」
死して、生のころに触れなかった含蓄を得る。
万年彼女なしのまま没した俺に与えられた最後のチャンスだった。
手を繋ぐだけでこれほど世界が華やぐとは。町並みの輝度と彩度が先ほどより2割増しに見える。なにより女の子と一緒というだけで優越感がパネェ。
「と、とりあえず色々見て回ろうか。寄りたいところあったらお互い遠慮しないで挙手すること」
「はい――はいっ!」
いつからか、どちらともなく、歩調を合わせていた。
歩幅が違うから勇者ちゃんは少し早足で。俺は気づかれないように少しだけゆっくりと。
心臓の鼓動を追い越さないように。2人の距離を、崩さないように。
手のひらに伝わる温度が、なんでもないこの街角の輪郭をぼやかす。特別なものに変えていく。
「……アアン?」
「きゃっ!?」
それはきっと。
幸せが音を立てて崩れる音だった。
どちらが悪いのではない。2人の行く道が重なっただけ。
そう、勇者ちゃんは恰幅の良い男とぶつかって街路に尻餅をついた。
俺は焦る心を感じる間もなく、勇者ちゃんの前にでている。
「スンマセンでした!! 次からはちゃんと気をつけますんで!!」
初手、謝罪が、安パイ。
俺は見ている。この男、勇者ちゃんを見ていて避けられるのにわざと避けなかった。
つまり典型的な世のなかと己の地位に不満を抱え、八つ当たりという爆撃を繰り返す厄介者。その名も、ぶつかりおじ。
「あ、あの! ナエ様は頭を上げてください、私は大丈夫ですから! 悪いのは前を見てなかった私なんです!」
「彼女には言って聞かせますんで!! がんばって生きてますんで!!」
ダメなのだ。こういう輩は、弱者を欲しがる。
もし勇者ちゃんのような可憐で愛らしい子が標的になれば調子に乗るどころではすまない。
だからこそ俺は、勇者ちゃんをなるべく遠ざけようと、儚い障壁となったのだ。
だが、すでにぶつかったという時点で標的はすんでいる。
「俺が用あるのは後ろの女のほうだァ! テメェは邪魔だからすっこんでろやァ!」
「――ぐっ!?」
巨大な腕で薙ぎ払われてしまう。
それでも俺は譲らない。なんとか耐えて、彩度果敢に挑まんとする。
「だからそのことを代わりに謝ってるんですよ! 必要なら地べたに額でも付けて謝りま――」
「ナエ様!!?」
勇者ちゃんの悲鳴が聞こえるのと同時だった。
ぐらり、と。視界が450度くらい回転する。
音がぼやける、脳が揺れる。頬に衝撃を覚えてはじめて殴られたことを自覚する。
足がもつれ、地面が近づく。ひざをついたその瞬間、背後で誰かの悲鳴が上がった。
あんなに平和だった町の賑わいが、喧噪へと変貌する。談笑していた人々の表情が、一斉に凍りつき、蒼ざめていく。
「雑魚が」
唾を吐くように吐き捨てられたその言葉は、まさしく小悪党の定型句だった。
薄っぺらで、耳に残るほど滑稽。もしこいつが物語のちゃんとした登場人物だったなら、もっと気の利いた台詞を与えられたかもしれない。
倒れ伏す俺を尻目に巨体がゆっくりと横切る。踏みつけられてもおかしくない距離だったのに、わざわざ避けた。
まるで相手にする価値すらないと、言わんばかり。へたりこむ勇者ちゃん目掛けて真っ直ぐに進むのみ。
「ナエ様、ナエ様!? ど、どうしてこんな、ひどいことを!?」
一介の村娘にとって男の存在は恐怖でしかない。
男は、重々しい革鎧を身にまとい、腰には剣を。背には鉄塊のような鈍器を担いでいる。
動くたびに鳴る鎖の音が、獣の咆哮よりも冷たく、周囲の空気を震わせた。
「ちっちぇチビかと思ったが……存外なかなかいい体してるじゃねぇかぁ。ここらじゃ見ねぇ格好してやがるし地方の田舎モンかよ」
ねろり、と。舌先が乾いて割れた唇を濡らした。
教養も品性もどこかに捨ててきたような悪辣な笑みだった。
近づくだけで加齢して立ち昇る体臭が鼻をつく。幾日水浴びをしていないのか、おそらく数える仲間も友もいまい。
しかしここで俺も引くわけにはいかなかった。
「なあ、そのくらいで勘弁してくださいよ!」
「うるせェ! 雑魚はすっこんでなァ!」
今度はこちらを見もしないバックブローだった。
鉄の塊のような拳が俺の鼻面を真正面から捉える。
「っが……!」
強烈な一撃に、もはや踏ん張ることすら許されず。
俺の体は木偶のように空を舞う。全身が玩具のようになって路地の石畳へと叩きつけられた。
「なあに、最後までとは言わねぇから酔いが覚めるまでちっと下の世話でも――」
酒臭い不潔な唾を吐きながら、男が鈍く笑う。
先ほどぶっ飛ばした相手の結末さえ気にも止めない。
だからこうして間違える。
「ねえねえ、いい大人なんだからそろそろ引き際を弁えましょうよ。もう若くないんだしそういうの実際キツいですよ」
「ッッッ!?」
その直後、もう一撃。
鈍重な巨漢が、苦悶と怒りを混ぜたような声で咆哮する。
「うるせェつってんだろぉ! ハエみてぇにしぶといんだよォ! 俺はこの女のほうに……」
今度は腹部に鋭くめりこむような、正確無比なボディブローだった。
俺は、それをモロに受けながら、顔を上げる。
「穏便に、さ?」
……は? 男のへし曲がった口が、音もなく、そう言っていた。
それどころか首が油の刺さっていないブリキのようにギギ、と軋む。
そうしてようやく俺という可哀想な被害者を睨んだ。
「なんで……テメェ無傷なんだよ? 防御魔法かなんか積んでやがんのか?」
俺は、幾度という暴力を受けてなお、立っていた。
男の苛烈な攻撃を、避けてもいなければ、受けてもいない。
ただ1つの現象のようにして、無傷だった。
「もうここまで殴れば気がすんだでしょう? いまの時代で弱いものいじめとかダサいし? このままじゃもっとこの町に居場所なくなっちゃいますよ?」
饒舌な俺と反比例して、男の刮目された眼が、俺を見ていた。
敵意でも、怒りでもない。混乱。そして、恐怖に近い感情を宿す。
「テンメェ調子づきやがって! 俺の視界に入ったのが運のツキだったなァ!」
男の発する音は、焦燥と、恐怖だった。
しかし体が拒んでいるのに、悲しきプライドと怒りに背中を押されるように――
「ナメヤガッテコラアアアアアアアアア!!!」
「きゃああああああああああああ!!!」
巨漢が剣を抜くと、勇者ちゃんの悲鳴が同時に響き渡った。
ざらついた金属の音が空気を裂く。周囲を囲う町の人々が忌避し、凍りつく。
次の瞬間、剣の銀閃が真っ直ぐに俺の胸元を目差し、正確に貫いた……はずだった。
「な、んで……?」
それは、剣を振るった男の声だった。
愕然。いや、絶望にも似た混乱の色だった。
男の両目が信じられないものを見たかのように見開かれる。
「どうしてこれ以上刺さらねぇ!? まったく手が振り抜けねぇ!?」
どうなってやがる!? 視線の先には、確かに剣の柄を握る己の手があった。
そして、その剣の先端は、肉を打つ。だが俺の胸は、貫かれていない。
巨漢の剣身が、俺という肉体で、静止している。まるで、そこに壁があるみたいに止まっている。
俺は、冷えた鉄みたいに固まる巨漢から即座に身を翻す。
「さっさといこう。どうやらおっさんも俺を脅して気がすんだぽいし、それに向こうのほうから衛兵が駆けてきてるみたいだから」
「あっ……!」
「町のなかで剣なんて抜くから大事になるんだ。せっかくのデートなのにこれ以上の面倒ごとに巻きこまれたくないもんな」
驚愕のあまり声さえ紡げぬ勇者ちゃんの手を、やや強引に引く。
もしこの状態で俺が生きているとしたら。一刻も早く才能屋に向かうべきだ。
なぜなら、おそらくこの能力は、あぜ征く世界を、変革しかねないから。
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