薬草師マーガレットの始動
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メイドたちに連れられて、執事のニールさんの元へ向かう。
初めは「場所を聞けば分かる」と断ったものの、にこっと笑うメイドの1人が、「ニールの部屋の隣は、ご当主の執務室よ」と言い出した。
間の悪い私であれば、間違えて、敵地の扉を開く可能性が高い。
背筋の凍った私は丁重に前言を撤回し、今に至る。
「皆さん先ほどから執事長を『ニール』と呼び捨てですが、一応、皆さんの上司ですよね?」
「いいのよ、本人には適当に執事長って呼んでいるから。私たちの中では、僕ちゃんは呼び捨てくらいが丁度いいわ」
「……そうですか」
「マーガレット様、いいですかっ! ニールへのお願いは、偉そうに、強気で言うのが大事ですからね。マーガレット様のように、直ぐに引いては話になりませんよ。じゃぁ、この部屋ですから存分にニールを誑し込むのよ!」
ぼんっと背中を押された私は、ニールさんの部屋へ勢いよく飛び込んだ。
「おや? マーガレット様。どうかされましたか?」
当然、ニールさんはノックもせずに入ってきた私を怪しんで見ている。
以前のオロオロの彼とは、まるで別人。
ピシッとしたデキる執事がそこにいて、非常識に突入してきた私の方が、むしろオロオロしそうになる。
「時間があり過ぎて、暇なので何か仕事はありませんか? 選り好みはしません、何でもします」
「マーガレット様にできることですか……。ユリオス様は、そのようなことをあなたに期待していないので、特にお願いしたいことはありません」
私は精いっぱい胸を張って言ってみたが、毅然としたニールさんからサラリと言い切られた。
彼の視線は既に、書類に向かっている。
けれど、これくらいで引き下がるほど、私だって穏やかではない。
人を誑し込むのであれば、見習うべき人物が、ずっと私の近くにいた。
「ブランドン辺境伯様の期待はさておいて、どういう訳か手違いの夫婦になってしまったのよね。あと半年をどう過ごせばいいのか教えて欲しいわ」
少し強気に出た私は、妹リリーの口調に似せて詰め寄った。
「そう言われてしまうと……。マーガレット様の一件は、僕にも責任がありますからね。僕ができることであれば協力いたしますが……、この時間では、洗濯場の仕事も掃除も終わっているころですし、できることと言っても……」
私だってリリーと同じ血が流れているんだ。やればできる。
私は、辺境伯様に剣を一振りされる姿を必死に想像して、畳みかけた。
「そこを何とか、お願いします」
今にも泣きそうな、潤んだ瞳をニールさんへ向ける。
「じゃあ、調理場でも覗いてみてください。何かできることがあるかもしれません。僕から厨房には声を掛けておきますから」
「あっ、ありがとうございます!」
冴えないマーガレット人生初、男性を誑し込むのに成功した。
一仕事を終えて気が抜けた私は、その場でへなへなと座り込みそうになる。それを必死に堪え部屋まで戻った。
でも、呑気に喜んではいられない。
何せ、子爵家の実家では、毎日薬草採りと薬作りに明け暮れていたのだ。
実際のところ、調理や洗濯などの屋敷の仕事をしたことはない。
こういうのは初めが肝心だ。失敗すれば、もう二度と来るなと突き放される。
自分の掌で頬をパンパンッと刺激し、気持ちを鼓舞した。
「大丈夫よ。厨房仕事なんて、薬草を煎じるのと一緒だわ」
気合を入れたものの、何を着るべきか、服装選びに迷ってしまう。
私の作業着は、何せ泥が付いたものが多く、厨房仕事には、いまいち向かない。
なるべく綺麗なものを探すのに手間取り、到着するのが思っていた以上に遅くなった。
慌てて向かったところで、ニールさんは既に居ないと思っていた。
……それなのに、ニールさんが厨房で、オロオロと汗を流している。
あれを見ると、どうも嫌な予感しかしない。
「……何かあったんですか」
「マーガレット様、調理人のイーノックが、誤って鍋をひっくり返して、熱湯を被ったみたいなんです」
私が立っている位置からは見えていなかったが、作業台に隠れてもう1人従者がいたようだ。
「何をやっているのよ! オロオロしていないで動きなさい」
真っ先にニールさんへ怒りが湧き、大声を張り上げ指示を出す。
緊急時に遠慮なんてものはしていられない。
火傷は初めの処置が大事なのだ。
「冷水で冷やし続けて待っていなさい。私の部屋から薬を持ってくるから!」
ニールさんをギロッと見ながら言い切った私は、慌てて客間まで駆け戻る。
あれ……、待てよ。
一呼吸置き冷静に考えてみれば、まずいことをやらかした気がする。
これだけの大豪邸。薬師や医師が常駐していても、おかしくない。
素人の薬草師の真似事に過ぎない私が、しゃしゃり出る幕はなかった。
それに気付いて、ハッとしたが後の祭りだ。
一度口に出したからには、今さら引くわけにはいかないだろう。
専門家が出てきたら、そのときに退散すればいいのだ。
……火傷に効く軟膏。
リリー宛の結婚とは知らなかった以前の私が、まだ見ぬ夫を想い作ったものだ。
夫が戦地で負傷するのではないかと、不安に駆られ、たくさん用意した薬の一つ。
馬鹿ね、……そんな必要はなかったのに。
ドレスの代わりの花嫁道具。その薬の山は存分にある。
私は借りている客間に着くや否や、薬草を煎じた小瓶が並ぶ棚に向かう。
そして、ギュッと、1つの瓶を握りしめて、再び厨房へ駆け戻った
……イーノックさんって、さっきメイドたちが持ってきた、美味しいクッキーを作った人だ。
しっかり、良くなってもらわないと、メイドたちとのお茶会に影響する話。
他人事でないと思えば、俄然やる気がみなぎる。
**
息巻いて厨房へ戻ってきた私の気持ちとは裏腹に、肝心のイーノックさんが、まるで子どもで手に負えない。
厨房の隅にしゃがみ込み、隠れたつもりでいるようだ。
「大丈夫です。大丈夫です。何もしなくて結構ですから。もう治った……。いや、そもそも火傷なんてしてませんから」
プルプル震えるコックスーツの男性の姿は、痛いくせに、やせ我慢しているだけ。
自分の失敗を恥じて、私には絶対に診せないと言い張る、思春期を拗らせたおじさんだ。
……この屋敷。真面な従者はいないのか……。
「マーガレット様……。薬なんて高価なものを、イーノックに使っていいのですか?」
「そんなことは気にしないから、彼の腕を診せてちょうだい。どうして、彼は嫌がっているのよ」
「彼は、気難しくて……」
「いいから、つべこべ言わずに治療くらいさせなさい! あなたの作るおいしいクッキーが食べられなくなったらどうするのよ」
怒鳴った私の声で、ビクッとしたイーノックさんは何の抵抗もなくなった。
「この薬を塗っておけば、すぐに痛みは引くから安心して。明日は皮膚の再生を促す薬に替えていくから、ちゃんと診せてね」
一仕事終えた私は、やれやれと息を吐く。
全ては私の、クッキーのためだ。
当然ながら私は全力を尽くし、最速で治す方法を彼に提供する予定だ。
その横で私のことを、ずっと見ていたニールさんが、目を丸くしている。
彼は、私に一歩近づくと、感極まりながら興奮気味に話を始めた。
「高級品を従者にわけていただき、ありがとうございます。マーガレット様が薬を持っていてくれて助かりました。医者に診せたくても、この時間は既に診療所も閉まっていますからね」
あまりにも大袈裟なその彼の姿に、私の理解は追い付かない。
「この薬、私の手作りだから気にしなくていいけど。……ニールさん、まだお昼を過ぎただけの時間よ。診療所が閉まるなんて早過ぎじゃない?」
「他領ではそうでしょうが、辺境の地は優秀な人材を集めるのが大変なんですよ。傷を負った兵士の治療もあり忙しい上、医者が少ないせいで1人の負担が大きくなるんです。せっかく呼び寄せても直ぐに去ってしまい、今は医者1人で往診もしているので、昼からは診療所が閉まるんですよ」
「……そうだったの」
それを聞いて、さぁーっと血の気が引く。
私の生命を脅かす、新事実が出てきた。
もし仮に、ブランドン辺境伯様の一振りを私がくらえば、医師に診てもらえないわけだ。
私は辺境伯様に、近づくなと宣言された身だ。
全力で辺境伯様への接近を回避しなくては……、間違いなく死ぬ。
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