書籍発売記念SS▶カイルの社交辞令
2024年4月15日に『手違いの妻』の書籍が発売されました!
これまで応援くださった読者の皆さまへの感謝と、書籍誕生を記念して、SSを投稿いたします!
ここに嫁いで来てからというもの、手違いの夫とのかくれんぼと鬼ごっこに明け暮れる日々を過ごし、今のところ大変順調に勝利を重ねている。
何となくだけど、ブランドン辺境伯は、時間にとても正確に動いている気がする。
毎朝決まった時間から庭で剣の鍛錬を始め、同じ時間に終えているのだ。
そして、お食事は食堂で召し上がって、一度部屋へ戻ると、少ししてから辺境伯軍の皆様の元へと向かっている。
ということは、その時間を避けるようにして動き回れば、彼に遭遇する確率を、ぐんと下げられる気がする。
きっと私の勘は間違っていないはずだ。
軍の敷地へ行った後も、手違いの旦那様は、真っすぐ管理棟へ入ったきり、当分の間、出てこないという、毎日同じ時間の使い方をしている。
ブランドン辺境伯の動きの裏をかいてこのまま行動を続ければ、彼に遭遇することはない! 残りの期間もうまくいく!
だがそうはいっても、ブランドン辺境伯軍の兵士の宿舎へ足を踏み入れるたび、ビクビクしている。
なにせ、自分は間が悪い人間だというのは自覚しているのだから、身の丈は弁えている。重い籠を持って、のろのろ歩いていれば、意外なほど時間がかかってしまうし、兵士のみんなに取り囲まれれば、次々と尋ねられる話を切るのに苦労する。
そんな気持ちを知っているかのように、毎回、兵士の宿舎の前では、私を待ち構えるようにカイルが出迎えてくれるのだ。やっぱり紳士は気遣いが違うわね、と感心する。
「おはようございます、マーガレットさん。いつもどおり時間に正確ですね」
「ふふっ、いつもありがとう」
時間に正確なのは、お宅様の上司ですけどね、と言いたくなったが、それは笑って誤魔化した。
「いいえ、こちらの方が助かっていますからね。そういえば、マーガレットさんは休みの日は何をされているんですか?」
「休み……?」
あっ、そうか……。私をブランドン辺境伯の屋敷で仕える従者だと思っているからか……。
う~ん、困ったな。
ニールさんへ「仕事をください」と頼んだのに、結局もらえていない。そうなれば、従者の地位も与えられていない。屋敷で私の立ち位置は、手違いの妻だ。
手違いの妻は、仕事とは言わないわよね……。
うん、客間住まいだし違うわねと考えた結果、質問に、なんて答えていいのかしらと、こてんと首を傾げる。
本物の妻であれば、領主夫人として振る舞い、女主人として屋敷内を管理していくのが仕事なのだろう。
だけど、手違いの夫から、「屋敷で好きに過ごしていい」と言われ、趣味に没頭する私は、妻としての務めは毎日がお休みなのだけど──……。
どうしようかしら……。
さすがに「毎日がお休みです」は変だし……。どうしてブランドン辺境伯の屋敷にいるのか説明できない。
そんな風に返答に迷っていれば、私の言葉を待ち切れないカイルが、提案してきた。
「長期の遠征から帰ってきた後は、自由に休みが取れるので、どこか一緒に行きませんか?」
「休みねぇ……」
「休みが取りにくいなら、僕から隊長に相談しますよ」
その提案にギョッと目を見開く。
親切なカイルが、手違いの夫にとんでもない申し出をしようとしている。そんなことをされては、たまったものではないわと思う私は、慌てて話を進める。
「休みなら心配はいらないわ。ブランドン辺境伯の屋敷でお世話になる契約に、自由に取得可とあったから、行きましょう」
「良かった」と安堵する彼が微笑む。
「どこへ行きましょうか? マーガレットさんは、行きたい所の希望はありませんか?」
「行きたい所ならあるわ」
「どこですか?」
「私の休みはいつでも調整できるから、雨上がりに一緒に山へ登って欲しいのよね」
「いいですよ。山ですね。是非行きましょう! だけど、どうして雨上がりなんですか?」
「雨上がりに一斉に生える、山茸を採りたいから」
「良かった……。薬の材料ですね。実は、薬草採りになかなか誘ってくれないので、貴重な薬草の情報を僕に教えたくないのかなと、少し不安になっていたんですよ」
「そんなことはないんだけど、誘うとカイルに負担をかけるだろうなと躊躇っていたのよ」
「負担なんてとんでもないですよ。僕は二人で出掛けるのを楽しみにしていたんですから」
「私は相当にどんくさくて、以前の山登りでは、途中から同行者とはぐれてしまったのよ。だからカイル一人だと大変だと思うから、他にも誰か誘った方がいいと思うのよね」
「ははっ、気にしなくて大丈夫ですよ。ちゃんとマーガレットさんのペースに合わせますから。それに軽いマーガレットさんなら、僕一人で抱えてでも登れますよ」
真剣な顔のカイルが、私の体を軽々と持ち上げると、瞳をじぃっと覗いてくる。これは頼もしい。文句なしの適任者だ。
「カイルが一人で登る二倍以上の時間がかかると思うけど、大丈夫かしら?」
「それなら、泊まりがけで行きましょうか? その方が、マーガレットさんが時間を気にして無理にペースを上げなくてもいいでしょうし」
「泊まり?」
「ええ。山の麓に温泉宿があるんですよ。暗い時間に移動するよりも、近くに泊まった方が安全ですし、山茸が採れず空振りになっても、温泉に行ったと思えば、それはそれで楽しいでしょうし」
目を細めるカイルから提案され、なるほどなと頷く。
「へぇ~、温泉かぁ。いいわね」
「それでは遠征から帰ってきたら、天候を見ながら行きましょう。約束ですよ」
願ってもない提案に、「ええ。温泉に行きたい人が他にもいるかもしれないから、探しておくわ」と微笑んで返す。
すると、「他にも誘うか……」と呟き、苦笑いする彼が言った。
「マーガレットさんは、恋人も婚約者も本当にいないんですよね」
「うん、いないわよ」
喉の奥で、「手違いの夫ならいる」という言葉を、以前同様に押し殺した。
「それならどうして、この地を離れるんですか?」
「実家に帰らなければいけないから」
「家業を継ぐんですか?」
「いいえ、そうではないけど……。ここで暮らす許可が、半年しかでなかったから仕方ないのよ。今は、自然の多いこの土地で好き勝手に、やりたいことをさせてもらっているだけなの」
「マーガレットさんの実家へ僕が一緒に頼みに行っては駄目ですか? この先もこの地で暮らしませんか?」
「ふふっ、カイルは優しいのね。でも、実家の両親に頼んでも、私の予定は変わらないから気遣ってくれなくて結構よ」
その許可は、「手違いの夫が出したものなのよ」とは、さすがに言えないから笑って誤魔化す。
「はは、なるほどですね。マーガレットさんは男のあしらいが本当に上手ですね」
「え?」
なんのことかしらと目を瞬かせ、彼を見つめる。
「凄腕の薬草師のマーガレットさんに言い寄る男は、これまでも大勢いたんでしょうね。だけど僕は諦めませんから。登山に誘ってくれたんですから、可能性はあるってことでしょう」
「ふふっ、誰も私なんかに言い寄ってこないわよ」
「はは、僕は本気ですよ」
「うん。とりあえず私も本気で頑張るわ」
真剣な顔で「本気だ」と言い切るくらい、登山にやる気全開のカイルと約束は取り付けたと、にんまりする。
すると、登山を控えた二人の息を合わせようと気遣うカイルの社交辞令は、やたらと熱がこもるようになった──。
お読みいただきありがとうございます!
なお、書籍版は、WEB版に改稿・加筆を加えております。
また、楠なわて先生のイラストが、作品を表情豊かに飾ってくれておりますので、WEB版ともども、書籍版についてもお読みいただけると、とても嬉しいです。
そして、新作もぜひよろしくお願いします!
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私にだけ冷たい 最後の優良物件 から、〖婚約者のふり〗を頼まれただけなのに、離してくれないので【記憶喪失のふり】をしたら、激甘に変わった公爵令息から 溺愛されてます。
https://ncode.syosetu.com/n4617iu/
ですが今日、何より1番お伝えしたかったのは、皆様へのお礼です。
手違いの妻は、1年以上前に完結を迎えた作品でしたが、皆様とこうして再会できたのは、読んで、たくさんの応援をくださった皆様のおかげです。心から感謝申し上げます。
これからも、よろしくお願いいたします。
2024年4月15日 瑞貴






