二巻発売記念番外編:年を取っても変わらない
書籍二巻発売記念SSです。
ネタバレとかは特にないと思いますし、書籍を読んでなくても大丈夫な内容となっております。
「お、カニか」
いつものように米田家に集っての酒盛りの席で。
雪乃が出してくれた酒の肴を見た和義が嬉しそうに顔を綻ばせた。
小鉢に盛られていたのは沢ガニの身を解してカニ味噌や卵黄で和え、味を調えて軽く炙った料理だ。
いかにも酒と合いそうなそれに和義も善三も嬉しそうに箸を付け、口に運んでから酒を一口啜ってふはぁ、と満足そうな息を吐いた。
それを見た幸生の眉と口角が、ほんの少し上に動く。すると和義がその微妙な変化に気付いてムッと口を尖らせた。
「んだよ、嬉しそうな面ぁしやがって。雪乃さんの料理が美味いのはよく知ってらぁ」
うちの母ちゃんだって負けてねぇからなと和義はぶつぶつと呟いた。
しかし幸生は首を横に振ると、心なしか顎を反らして口を開いた。
「このカニは、空が獲ってきた」
「……」
ああそういう、と和義と善三は若干呆れたような顔を浮かべた。
孫が獲ってきたカニ、というのがよほど嬉しいのか、幸生はカニの身を口に運んで嬉しそうな空気を醸し出す。
和義は、うちの孫だってカニぐらい獲ってくると言いかけてふと口をつぐんだ。和義は現在、妻と、結婚の早かった長男家族と一緒に暮らしており、小学生の孫が二人いる。
その孫たちがカニや魚を初めて自力で獲ってきた時は自分も大喜びで大げさに褒め、周りに自慢した記憶が甦ったからだ。
初めて一緒に暮らす孫のことを幸生が大層可愛く思っているのは見ていればわかる。
ここは一つ自分が大人になってやるか、と和義はぐっと堪え、黙って酒を口に運んだ。
そんな和義と幸生を交互に見やり、大人になったな、と思いつつ善三も黙って酒を飲んで少し考えた。
善三はまだ孫がいないのでその気持ちに共感することは出来ないが、まぁ理解は出来る。
しかし善三には、空が獲ってきたという話に対して一つだけもの申したいことがあった。
「……つーか、俺の作った豪雷号もすごかったんじゃねぇのか?」
「む……感謝している」
幸生に煽られて作った水鉄砲ではあるが、そこはそれ。
善三は空から直接、豪雷号が如何にしてカニを撃ち落としたかを聞かされている。
持てる技術を駆使して作った水鉄砲が三歳の子にもカニを獲らせたと言うのなら、すごいのは己ではないのか。
そんな気持ちを隠しきれず、善三は若干大人げなくドヤ顔を浮かべた。
「何だよ、豪雷号って」
「俺がチビ共に作ってやった特製の水鉄砲だ。アレのお陰でカニが……そうだ、アレのお陰で俺がどれだけ忙しくなったか……! わかってんのか幸生!」
自慢に思ったのも束の間、今なお続く悩みを思い出して善三はハッと顔を上げ眉を寄せた。
空の初めての川遊びで豪雷号が披露されたあと、空の意見を参考に改良された豪雷号(改)が誕生した。
するとそれがまた子供たちの心をわしづかみにし、あちこちから作って欲しいという依頼が殺到したのだ。
本来なら仕事が減って暇になるはずの善三の夏はにわかに忙しくなり、休暇気分も吹き飛んでしまった。
いい加減作り飽きて、近所の子供たちの共有で一台か二台にしろと無理矢理まとめさせどうにか一段落したが、一時期は本当に大変だったのだ。
職人気質な善三は、子供たちが水遊びを出来る季節のうちにとついつい頑張り、どうにか注文を捌き終えたのだが。
「それだけ出来が良かったということだろう」
幸生がそう呟くと善三は一瞬言葉に詰まった。素直に認められると思わず怒りが引っ込みそうになってしまう。しかしまだ言いたいことがあるのだと、善三は眉をつり上げた。
「あんな青竹で作ったもん、来年までは持たねぇ……ということはまた来年俺はあの苦労をするかもしれねぇんだぞ!」
仕方なく、今年はそれ用に竹を切り出し乾燥させて備蓄しておこうと考えてはいるが、それでも面倒がさほど減るわけではないのだ。
愚痴をこぼす善三に、和義が納得したように頷いた。
「そういや、うちのチビ共も新しい水鉄砲が欲しいって一時騒いでたっけな」
「お前のとこの息子から家に二台とか言う注文が来たが、断った覚えがあるぞ。甘やかしすぎじゃねぇか?」
「いや、そこは俺の孫も優遇してくれや」
「どうせある程度の年になったら飽きるんだから、地区で共有にしろっつーの!」
と皆にも言って回って善三は多くの注文を断り、地区で取りまとめさせたのだ。それでも数が多くて大変だったのだが。
「そんな面白いのかね……俺もちっと触ってみてぇな」
和義がそう呟くと、三人は何となくお互いに顔を見合わせた。
雪乃から空の豪雷号(改)を借りて早速川原に出かけると、もう午後も遅いこともあって子供たちの姿はなかった。
それならなお都合が良いと、ジジイ三人はいそいそと川原に下りて、善三が組み立てた豪雷号を水の中に立てる。
「へ~、これが。なかなかカッコいいな」
「フン、まぁな」
「空の提案だろう」
豪雷号(改)は、初期の豪雷号と違ってあちこちにボルトやリベットの頭のような突起やベルトのような飾りがついている。善三に言わせれば無駄な部分なのだが、そこがカッコいいと子供心をくすぐるらしい。
和義は気に入ったらしく、あちこち触って引き金を引いては感心したように声を上げた。
散弾や単射を切り替えてひとしきり試し打ちしたあと、せっかくだからこれでカニを獲ってみるかという話になった。
「じゃあ交代で岩を叩く……」
か、と言いかけ、善三と和義がふと幸生の顔を見る。
「幸生が叩くと岩が粉砕されるか?」
「カニもだろ」
「……加減はする」
幸生の加減ほど当てにならないものはないと善三も和義もよく知っている。
善三と和義で交互に岩を叩くか、という話になりそうだったのだが。
「幸生なら叩かなくても、岩に魔力を通すだけでカニはビビって飛び出すんじゃねぇのか?」
という事になり、試してみるかという結論に至った。
そのくらいなら簡単だと幸生も乗り気で、子供たちが余り入らない場所の大きめの岩に目星を付けて早速近づく。その周辺は少し深いが、大人三人ならどうという事も無い。
「行くぞ」
「おう!」
和義が豪雷号(改)を構え、善三が撃ち落としたカニを集める為の網を出して準備を終えて、手を振って合図をだす。
岩の後ろ側に回った幸生はそれを確認すると岩にそっと片手を当て、ほんの少しだけ、弾くように魔力を放出した。
次の瞬間、バチン、と何かを平手で叩いたような音が周囲に響いた。
「おりゃ!」
その音と同時に和義が散弾モードの豪雷号(改)の引き金を引き、放たれた水の弾が飛びだしたカニを次々に撃ち落と――すことはなかった。
肝心のカニが何故か一匹も飛び出してこなかったのだ。
「あ?」
バシャンと勢い良く放出された水の弾は、一発もカニに当たることなく周囲に散らばり、岩や水面を虚しく打つ。
この岩にはカニがいなかったのか、いやしかしさっきは小さな気配を感じた、と善三と和義が訝しんでいると、やがて水面に何かが浮かび上がってきた。
「……カニだな」
「魚も……あとそっちのデカいのは……!?」
ぷかりぷかりと仰向けになったカニや魚が水面に次々に浮かび上がる。それを善三が流されないうちに掬い取っていくと、それに混じって少し上流から何故かうつ伏せになった人影が流れてきた。
「翠じゃねぇか!?」
かろうじて頭に引っかかった麦わら帽子に、派手なシャツ。
それは紛れもなく河童の川流翠だった。
和義が慌てて近寄りひっくり返して仰向けにさせる。
「幸生、川原に上げてやれ!」
「うむ」
幸生はざばざばと水を切って近づくと翠を引き寄せ、ひょいと抱き上げて川原に向かった。和義も麦わら帽を拾ってその後に続く。
善三は自分の周りに流れてきた浮いているカニや魚を申し訳なさそうに見つめ、それらを網でさっと掬い集めて、豪雷号を持って二人の後を追った。
三人が見守っていると翠はすぐに目を覚ました。
川原に身を横たえ、ジジイ三人に見下ろされてパチパチと数回瞬きをすると、翠はガバッと起き上がった。
「あ、急に起きんなよ」
慌てた和義が声を掛けると、普段の飄々とした雰囲気をかき消した翠が、据わった目でギッと三人を睨む。
「君ら……川で何してくれてんの?」
「お、おう……すまん」
それに気圧された和義が何となく代表で謝るが、翠はなおも声を荒げた。
「大人が集まってるから何かあったかと様子を見に来たらいきなり魔力ぶつけられるとか、僕が何したっての!?」
「いや、わざとじゃねぇんだ、ちっとカニを岩の下から追い立てようと思っただけで」
「あんな魔力ぶつけられたら、カニだって即座に失神かご臨終に決まってるよ!」
翠に本気で怒られて、ジジイ三人がシュンと肩を落とした。
この村の人ならざるものは大抵がとても長生きで、翠もその例に漏れず、幸生らがまだただの悪ガキだった頃からこの姿だ。
川原で悪さをしては何度も叱られた記憶が甦り、三人はデカい図体を小さく縮めてお叱りを甘んじて受けた。
「大体、子供がカニを追い立てる以外のガチンコ漁の類いは禁止してるだろ! いい大人が、何してんのさもう!」
「……すまん」
「いや、本当にちっとカニを追い立てて、あの水鉄砲で撃ち落とせるか試してみるつもりだったんだがよ」
「やっぱり幸生の魔力じゃ強すぎたな」
実は薄々そんな気はしていたのだが、何となくその場のノリでいけるだろうと突っ走ってしまった。そんな三人を見て翠は深い深いため息を吐いた。
「そういうとこ、君らってホント子供の頃から変わってないよねぇ……まだ銛の半分も背丈がないくせに、三人で持てば刺さるだろとかいう謎理論で大岩魚に挑んで溺れかけるとか、川を泳いでどこまで遡れるかって試して丸二日も行方知れずになるとか、育てれば食い放題とかいってカエルの卵をこっそり拾ってきて、村中に大王アマガエルを解き放っちゃうとかさぁ……」
大昔の失敗を持ち出され、三人はバツが悪そうにそれぞれそっぽを向こうとして顔を見合わせる。しばらくそのまま沈黙したあと、三人は翠に向き直りぺこりと頭を下げた。
「……悪かった、スイちゃん」
「勘弁してくれよ、スイちゃん」
「スイちゃん、もうしねぇからよ」
「……その見た目でちゃん付けされるとか! きっつ! なのに何か懐かしいとこが悔しい!」
もちろん嫌がられる事をわかってやっている年を取った悪ガキ共がにやりと笑う。
渋い顔をしていた翠もついそれにつられて笑ってしまい、今回の悪さへのお叱りはそれでお終いになった。
結局、その日獲れた哀れなカニと魚は責任を取って食べて供養せよと持ち帰りを命ぜられ、後日村では大人のカニ漁の禁止が言い渡されたのだった。
豪雷号(改)を使ったカニ漁は、小さな子供たちの夏の楽しみとして、来年も続いていくだろう。
年を取ってもあんまり変わらない三人です。