戦慄の一瞬
日常のふとしたことから背筋が凍り付くような戦慄を感じたことはないだろうか?
長い人生の中には、そんな恐怖の落とし穴が、身の回りに潜んでいるかもしれない。
「まさか秋山が死ぬとはなぁ。」
「車は軽自動車だったからメチャクチャに潰れたのに、電車は殆ど無傷だったらしいよ」
「軽だったのか?これと同じだな。」
「そうだよ。こんな小さい車で相手が電車じゃ勝負にならない。」
「あの踏切、今でも遮断機がないんだって。」
「田舎だからな。」
「それに秋山のやつ、酒飲んでたらしい。」
幼なじみの秋山が亡くなって、俺は同級生の佐野の車で葬儀場に向かった。
俺も佐野も、高校卒業と同時にこの町を出て就職したので、六年ぶりの帰省だった。
「この田舎町にも、今はこんな立派な葬祭場ができたんだな。」
「昔は葬式でも結婚式でも自分たちの家でやってたから、大変だったよな。」
息子を若くして失った遺族の心痛は察するに余りあるが、秋山の両親や兄弟たちは粛々と参列者を迎えていた。
棺には顔を見る小窓があったが、紙で封印されて誰も見ることができず、秋山の父親の説明によると、遺体の顔は包帯が巻かれていて見えないそうだ。
事故の凄惨さが感じられる。
俺も佐野も、式場でそれぞれの親たちと会ったので、いずれも実家には戻らず、俺はこのあと隣町の親戚を訪ねる予定があったので、町の駅まで送ってもらうことにした。
佐野の車の助手席から、なつかしい故郷をあちこと見て回ったあと、車はやがて駅へと向かった。
駅に近づくと線路に沿った道路を進んで行く。
その時、佐野はこう言った。
「もう少し行くと例の踏切を渡るぞ。」
例の踏切、それはわずか二日ほど前に、秋山の車が電車にはねられた事故現場だ。
「こんな見通しのいいのに。」
「酔ってたんじゃ、しかたない。」
その踏切は道路より一段と高く、敷板も傷んでデコボコしているので都会の踏切のように素早く通り過ぎるわけにはいかない。
下手に急いで通過するとバウンドして車の底を痛めるおそれがあるのだ。
道路を右折して、ゆっくりと踏切の上に差し掛かると、車が上下に二、三回揺れて止まってしまった。
「あれ?」
佐野が言うので俺は助手席の窓を開けて車の下を見た。
すると、老朽化した敷板のくぼみに後輪がはまり込んで空回りしている。
少し前進してくぼみから脱するかと思うと、また戻ってくぼみに落ちる。
その時、窓から車の下を見ている私の目に、あるものが見えた。
踏切の脇に落ちているもの、それはメガネだ!
フレームが曲がりレンズが割れている。
その瞬間、普段からメガネをかけていた秋山の顔が浮かんだ。
割れたガラスに付着するどす黒い汚れは、血ではないのか?
「秋山のメガネだ!」
運転席からは見えないが、佐野は
「何!?」
と俺の方に首を向け、俺と目が合ったが、また正面を向いて脱出を試みた。
次の瞬間、踏切の警報が突然鳴り出した。
電車が来る!
慌てる佐野の車は、なおも少し前進しては戻ってしまう。
そのとき俺は、この車を後ろから引き戻そうとする力を感じて、恐怖のあまり背筋が凍り付いた。
秋山が後ろから?
警報が死へのカウントダウンのように鳴り響く。
「おい、早くしろよ!」
そう言う俺の怒鳴り声も震えている。
右の方に電車が見えはじめた。
「電車が来た、早く早く!」
そう叫んだ次の瞬間、車は激しく飛ぶように前に進み、ようやく踏切を脱した。
踏切に立ち止まった時間は僅か数秒程度だろうが、とても長く感じた。
佐野は踏切の反対側で車を止めて、ふうーっと息を吐いた。
そして両手をハンドルに持たれてその間に頭を埋めながら、小さな声でこう言った。
「秋山のメガネ、あったのか?」
「あったよ。」
俺がそう答えると、佐野はつぶやくように言った。
「秋山が後ろから引き戻そうとしてるような想像しちまって、恐ろしかった。」
佐野は俺と全く同じ想像をしていたのだ。
もしその想像が本当だと言えば三流の怪談話だし幽霊など信じていないが、その信じられないものを肌で感じるような、怪談より恐ろしい実体験だった。
この二人がもし電車にはねられていたら、人はそれを怪談話に仕上げる。
そんなお話の背景に、実はこのような怖い体験をした人がいるのかも知れない。
怪談というものをそういう視点で見るのも、また別の意味で面白い。