②形見の花かんざし
(1)
目の前に座る、姿勢の美しい花風は、微笑を浮かべながら頭を下げ、
「お初にお目にかかりんす、花風と申しんす。本日はあちきのワガマンマで、わざわざお越し頂きありがとうございんす」
と、丁寧に挨拶したが、翔吉は、聞いているのか聞いていないのか、ただ彼女を眺めていた。
すると仁左衛門が、
「たまたまツテがあったから、というだけにございますよ。こちらに控えているのが錺職人の翔吉。この男はしっかりした腕を持っている男ですので、どうぞご希望を仰って下さいまし」
すると仁左衛門は、梅香に向かって頷いて、正面を向き、
「それでは私は、これで外しておりますので、後はよろしゅうお願いします」
頭を下げて、なんと立ち上がってしまった。
翔吉は我に返り、慌てて見上げ、
「え! 旦那さん、もう帰ってしまうので?」
袖口を引き小声で言うと、仁左衛門は幾分ニヤニヤとして、
「私がこちらに長く居るわけにゃいかないんで、後は恃むよ」
と言い残し、梅香と連れだって行ってしまった。
「え~」
翔吉は微かに声を上げ、去っていく後ろ姿を見送る。
その様子を見ていた花風は少し笑って、
「旦那様はお梅ちゃんのご贔屓。あの子は私の妹分でありんすが、ここでは、姉と言えどもあまり親しくするわけにはいきんせん。どうぞこちらへ」
笑顔で、やんわり促した。
「はぁ」
と、翔吉は戸惑いつつも立ち上がり、部屋に入った。
すると、欄間に施されている透かし彫りや、様々な草花が描かれている襖絵などが目に飛び込む。
その装飾は、何やら別世界にいるような気分にさせる。
花風は禿の娘二人に、
「お座布とお茶、持って来さっしゃいな」
「はぁい」
二人は素早く動いて行った。
座布団が運ばれて来ると、翔吉は礼を言って、それを脇に外して畳に座る。
「この様な、素晴らしいお部屋に入れて頂き、大変修業になります。誠にありがとうございます。申し遅れましたが、私は深川に住まいします、錺師の翔吉にございます」
改めて、丁寧に挨拶しているところに、もう一人の禿がお茶を持って来た。
「どうぞ」
まだ幼い様子の禿が言うと、翔吉は柔やかな顔で、こちらにも頭を下げ、花風の方を向き、
「お気遣いありがとうございます。私はこういった所に初めて参りましたので、ご無礼な点はどうか、ご容赦下さい」
「あっちのお願いでござりんす、どうぞお気を使わんでくんなまし」
翔吉は頷きながら、本題に入った。
「早速ですが、まず、お詫び申し上げなければなりません。仁左衞門の旦那の言葉が些か足りなかったようにございます。私が手掛ける簪は、この様な立派な見世。ましてや、花魁の様な、呼び出しの方に相応しい、そしてお客様にご披露出来るような煌びやかな簪ではございません。せいぜいお武家の銀の平打か、木であしらえた裏店の娘が普段使いするような、粗末な物にございます。私などが無理に作るより、やはりこちらの熟練の方にお願いされた方が……」
と、一気に言うと、花風は和やかに言葉を遮り、
「いえ、あちきもしっかり申し上げれば良かったぇ。そういう事ではござりんせん」
翔吉は少し、意外な顔で、
「え、違うので?」
「ええ、実はあちきの、母親の形見を作り直して頂きたいと思いんしてなぁ。大事にしていたのでござりんすが、三年前の火事で、無くなってしまいんしたのでありんす」
翔吉は目を丸くして、
「ほ~お母様の」
「へえ。おかしなもので吉原馴染みの職人の方々では、どうにも上手くいきんせん。仕方が無いので、他に簪で評判の高い方を探していたら、お梅ちゃんが、仁左衛門様を御紹介してくれたのでありんす」
「はは~なるほど。そうでございましたか」
翔吉は、何故自分が呼ばれたのかという疑問が解けて、安堵した。
「そういう事でしたら出来る限りの事は致しますが、どういったものだったか覚えておいでで?」
すると花風は、おもむろに立ち上がり、文机から、
「実は、不出来でござんすが描きんした」
恥ずかしげに一枚の紙を持ってきて、翔吉に渡した。
それを見た翔吉は、
「ほ~、お上手な絵ですね」
しかし、あることに気付き、眉を寄せた。
更に、その絵を暫く見つめ、
「これは……」
小さく声を上げた。
花風は、その様子を見て心配そうに、
「何か障りがありんすか?」
翔吉は慌てて、
「いえ、障りなど、とんでもない」
と、首を振って、
「花魁。立ち入った事をお聞きしてもよろしゅうございますか?」
「はい、なんでござんしょう」
「花魁のお生まれは、信濃にございましょうか?」
この、翔吉の意外な問いかけに、花風は切れ長の目を丸くして大いに驚き、
「そ、その通りにござんすが、何故お分かりに?」
「やはりそうでしたか。絵がお上手なんで直ぐにわかりました。恐らくこれは、私の師匠の作ではないかと思われます」
これは、意外な言葉だ。
「はぁ~」
「私の師匠は元々信濃の錺師でして、あるとき江戸に移って来たのですが、私はその折、弟子入りしたのでございます。そしてこれは、もう一本、同じ物がありまして、私は若い頃それを見ながら修行しておりました。花の見え方など間違いなく師匠の作でございましょう。ただ残念ながら、その簪も、師匠が亡くなった時に一緒に葬ってしまいまして……」
花風は、思いがけない話に、薄く涙を浮かべ、
「お弟子さんだったのでありんすか……。これはまさしく、我が母のお導き。嬉しゅうございんす」
思わず、胸に両手を当てる。
翔吉も思い出の、簪との出会いで、
「驚きました。私にとっても師匠の導きなのでしょう。しかし、これは少々厳しいお話です。何しろ、我が師匠の簪を満足にお作り出来ますかどうか……」
困った顔で、少々自信なさげに言う。
しかし花風の、
「いえいえ、ご縁のある方がお作り頂けるなら、もうそれだけで、母も喜んでくれましょう」
この言葉に背中を押され、
「ありがとうございます。そういう時が来たのかも知れません。供養のつもりで作らせて頂きます」
深々と頭を下げると、花風は安心したのか、
「何とぞ、お願いしんす」
晴れやかな笑顔で頭を下げた。
近日中に雛形を持って来ると約束して、翔吉は部屋を後にした。
帰りがけ、仁左衛門を呼んだが、既に嵌まり込んでいる様子だった。
翔吉は苦笑いしながら、注文の品は店に届けて置くと、若い衆に伝言して見世を出た。
そして空を見上げ、
(なるほど、江戸一番の花魁と言われるだけの事はある)
と、思いながら、何やら心が浮き立ち、気分良く神田にある仁左衛門の店に向かった。
ちょうど同じ頃、鏡の前で支度をし始めた花風に、禿の一人が、
「花魁、何か楽しそうでありんすねぇ」
横に並んで、鏡をのぞき言葉をかけた。
「そう? おかしい?」
「あの簪屋さんに会ってから、何やら楽しそうな」
「おや、顔に出てるかぇ? それは困りんした」
ズバリ言われてしまったので、花風は、思わず笑ってしまった。
すると、もう一人の禿も寄って来て、
「お優しい方と思いんすけど、それほど粋な方とは思えんせんが、ああいうお方がお好きなのでありんすか?」
などと聞くが、花風はそれには答えず、
「お客様でお会いしないで、ホンに良かったでありんす」
手を止め、鏡の中の自分を見つめている。
禿達は、釈然としない顔をしている。
花風は穏やかに、
「ぬしさんたちも、いずれ分かりんしょう」
僅かに微笑み、また支度にとりかかった。
(2)
さて翔吉だが、仁左衛門の店、紀州屋の暖簾をくぐるといきなり、
「翔吉さん!」
女将の大きな声を浴びせられ、先程までの浮かれた気分は吹っ飛んでしまった。
仁左衛門の女房、店の女将である。
名をお滝。
多少、量感のある女だが、愛想も良く、働き者で評判の良い女将だ。
翔吉の簪はよく売れるので、当然、応対も良いのだが、虫の居所が悪いのか、少々不機嫌そうだ。
「こ、これは女将さん。ご依頼の簪、お持ちしやした」
するとお滝は、不思議そうな顔で、
「おや? うちの旦那が取りに行かなかったかい?」
「ええ、一度いらっしゃったんですが、他に用事もございましたので、私がお届けしましょうと申しましたら、それならと、他のお客さんのところに行くと仰いまして……」
「他ね……」
微妙な空気が、二人の間に流れた。
お滝は、眉をつり上げ気味に、
「全く。まあいいわ。帰ったらとっちめてやる」
あららと翔吉は思い、話を変えた。
「女将さん。新しいご注文はありますか?」
と、言いながら、上がり框に用意されていた、座布団に腰掛けた。
「ああ、今のところは大丈夫だね。ここんとこ注文が立て込んだから、翔さんも休んでないでしょ? ゆっくりしなさいよ」
翔吉は和やかに頭を下げる。
「ありがとうございます」
「でも、翔さんは遊びもしないからね。かえって仕事してた方が落ち着くんじゃないの?」
ようやくお滝が笑顔になった。
「はは、それも困りますがね」
などと多少の世間話をして、翔吉は、ボロが出ないうちと早々に席を立った。
そのあと翔吉は両国橋あたりまで足を伸ばし、酒屋などに寄ったあと長屋に戻り、早速、勘太の家に行った。
「お言葉に甘えてやってまいりやした」
勘太の部屋は翔吉の隣だが、いわゆる普通の九尺二間である。
壁には小さな神棚があり、側には富岡八幡の御札が貼られている。
ここまでは一緒だが、小さい箪笥に蠅帳。
おまけに子供の玩具と、如何にも家族部屋然となっていて、翔吉の部屋とは全く様子が違う。
「おう、待ってたぞ」
畳んでいる布団に、寄りかかって座っている勘太が手を上げると、竈に居た勘助の女房おさわも、
「あら、翔さん。いらっしゃい」
と、笑顔を向ける。
勘太はおさわに、
「おさわさん。すいませんね、いつもいつも」
「何言ってんの。一人増えたぐらい、何て事ないよ」
「ありがとうございます」
翔吉は頭を下げ、そして光太に笑顔で、
「ほれ。お土産だ」
途端に、光太は父親の膝を離れ、翔太の方へ声を上げて飛んできた。
「ほら美味しそうなお饅頭だよ。あとで、おかあちゃんに貰ってな」
おさわが、頭を軽く下げながら、
「光太に? すまないね気を遣わせちゃって。あら! 幾代餅って高いとこじゃない。いいの?」
「いいのいいの。光太。おまんま食べてからだよ」
「ありがとう! おじちゃん」
光太は嬉しそうにうなずいた。
すると勘太は、痺れを切らしたのか、
「おさわ、とりあえず肴を早くしろ」
少々、荒っぽく言う。
「はいはい。ったく」
おさわは眉を寄せ、再び竈に向かった。
翔吉は、勘太の正面に座り、
「勘さんにはこれ。伊丹の特上だ。文句あるめえ」
大徳利を二つ、正面にドンと置いた。
勘太は驚き、大きく目を見開いて、
「おいおい! 一体どうしたんだ? 特上なんて……。何かあったのか?」
「まぁね」
と翔吉は笑って受け流す。
暫くすると、箱膳の上に煮物など肴も揃った。
勘太が早速、酒を冷やのまま、くいっと一口あけると、
「ひや~うんめい。お大名様が飲むっていうだけの事はあるな」
頷きながら声を上げ、上機嫌である。
翔吉は、
「おかみさんも一口」
勘太の隣に座ったおさわにも注ぐ。
「あは、すまないねぇ」
割と飲みっぷりの良い、おさわである。
「で、今日は何か良い事でもあったんかい?」
勘太が改めて聞くと、
翔吉は、盃を持ちながら、
「実は今日、吉原の見世に行ってね」
その言葉に、勘太夫婦は、ビックリ仰天した。
おさわが、翔吉の顔を見詰め、
「何だって吉原? 翔さんが?」
すると翔吉は、慌てて首を振り、
「あ、でも遊びじゃないよ。仕事、仕事」
勘太は、笑顔で、
「いや、それでもえらい事だ。仕事って言ってもよ、やっぱり簪かい?」
「うん。お座敷で使うのかと思ったら、ごく普通の簪って言うから引き受けちまった」
勘太は頷きながら、
「へ~ああいうところにしちゃ珍しい注文だな。で、相手はどんな女郎だい?」
「ええっと、富貴楼の花風っていう花魁何だけど……」
それを聞いて、勘太とおさわは、少々、酒を吹き出した。
勘太は、口を袖で拭いながら、そして慌てふためく様に、
「おいおい、花風っていや、あの呼び出しの?」
「そうなんだよ」
おさわも目を丸くして、
「呼び出しって……ちょっと翔さん。翔さんの簪の腕は大したものだとは思うけどさ、随分、筋違いの仕事って感じがするよ」
それには、翔吉も笑顔で頷き、
「ああ、私も最初はそう思って断ろうと思ってたんだ。ところが、何でも母親の形見の作り直しっていうからさ、そういう事ならって……」
「とは言ってもよ、よく会ってくれたな花魁。だってよ、あれくらいの花魁だと、会うだけで百両は下んないって話だぜ」
勘太が、訳知りの様に言うものだから、おさわが間髪を入れず、
「おや? あんた。良く知ってるじゃない」
おさわは、目を怒らせて言う。
それには、勘太も慌てて、
「バカ言うな。話を聞いただけだよ、は・な・し!」
おさわは眉をよせ、
「まあ、そうしときましょ。でも翔さん。それはちょっと、何かありそうね」
「そうかい? 何かおかしな事でもあるかね?」
「いや、何となくね。でもまあ、仕事としちゃ良いことだと思うよ。商売物じゃなくて親の形見なんて。それなりの評判にはなるだろうし」
「私も呼び出しが、あれほど綺麗だとは思わなかったし。有名な花魁が、普段使いの簪を注文してくれるだけでも嬉しいんだ」
ところが勘太は、綺麗という言葉に反応し、
「やっぱり、そんなに綺麗だったか?」
などと、うっかり聞いたものだから、
「あんた!」
また、おさわに睨まれる。
翔吉は笑いながら、
「今日は良い日だったよ」
と笑顔で盃を開ける。
暫く、そんな話で盛り上がって、翔吉が自分の部屋に帰った後、
光太は、お土産の饅頭を嬉しそうに頬張っている。
片づけしているおさわの後ろに立った勘太は、
「おさわ、どう思う?」
と声を掛けた。
「どう思うって?」
おさわは、器を手拭いで拭きながら聞き返した。
「さっきの翔吉の話だよ。何か騙されてんじゃないかな~」
すると、おさわは振り向き、
「それは無いわよ」
と、あっさり。
「何でだ」
「だって、大見世の呼び出しが、錺職人騙したって、何の得にもなりゃしないもん。あんたも言ってたでしょ、百は下らないって。仮に翔さんが惚れ込んだとしても、町の簪職人じゃ無理な話よ」
「そうかぁ~そりゃそうだな」
「確かに何か変だな? ってのは思うけど、大方、その花魁の気まぐれじゃないかね」
「アイツは、遊び慣れてる訳じゃないから、少し心配でよ」
おさわは苦笑いして、
「いやぁ私は思うけど、あの人はそんな青大尽じゃないと思うよ。遊び嫌いってのも何か理由があるような気がするし、まあ一風流な人だからね、あの人は」
青大尽はウブな遊び慣れない客。一風流とは、一風変わった人という意味である。
すると勘太は笑い。
「へ~流石。男見る目は伊達じゃねえって事か?」
「ばか」
おさわは笑って、皿を拭く。
~つづく~
まず、華ではありません。花です(笑)
今回もお読み頂き、ありがとうございます。
さて、吉原の様子が出てきましたが、吉原を描くのに一番大変なのは、
やはり言葉。
吉原と言えば、言わずと知れた「ありんす言葉」
地方からやって来る女達の、方言を隠すための言葉なのですが、実はこの言葉。
単に、吉原なら全て一緒という事では無く、見世ごとに違う言葉だった様です。
しかしながら、吉原の言葉を店ごとに説明するような資料など残っておりません。
ですから、小説の上で、こればかりは正しいのかどうか自信がございません。 お許し下さい。
この吉原の言葉ですが、明治当初、標準語を作る際、結構な混乱を招いた様です。
「ざんす」「ざ~ます」など、アニメ好きには誰が言っていた言葉かご存じでしょうが、
実はこれは吉原語。
これを、全国共通語にするというので、山の手の、元、武家の女房衆から、大変な批難と抗議があったと聞いています。
「何で私たちが、花魁言葉を使わなければならないのよ!」
まあ、それはそうかも知れません。
ちなみに、花魁は、禿の「おいらの姉さん」から来ている様です。
さて、次回は、事態が大きく動きます。
それでは次回もよろしくお願い申し上げます。