第7話 婚約者との適切な距離
今回は、前回同様に、ダブル主人公である人物の視点となっています。
とある人物との出会いも、含んだお話となります。
岬さんと初めてお会いしたのは、瑠々華と初めて知り合う半年も前のことでしたわ。わたくしの3歳の誕生日に、両親から「麻衣沙、お前の婚約者の『篠里 岬』君だよ。」とご紹介されましたの。実は…その時に、前世の記憶が蘇りましたの。乙女ゲームの記憶と一緒に。
岬さんのお顔を拝見して名前をお聞きしてから、このお人の顔と名前に聞き覚えがある、と気が付いた途端に、乙女ゲームの記憶が蘇って参りまして、現世ではまだゲームをしたことがないのに、と思いましたら、前世の世界と現世の世界の差が微妙にあることに、気がついた次第ですのよ。そこでわたくしは、自分が転生者なのだと理解出来たのです。
3歳の子供が意識も失わず、平気でいられましたのは、偏に…この『立木家』という家柄と、その家のご令嬢としての誇りで、何とか意識を保ちましたのよ。そして…プラス、前世の世界のご令嬢としての自分も、でしょうか?…前世でも、少しは裕福な家柄でしたようでして、その時の矜恃も思い出しましたので…。
前世の自分や家族のことなど、詳しくは思い出せません。前世の人のお顔やお名前も、殆ど覚えておりません。はっきりと思い出せますのは、何故かこの世界に激似である、とある乙女ゲームの内容でしょうね…。ルルはこの乙女ゲームをやっていた、と仰られておりますが、わたくしは…実は、自分が遊んでいた記憶がございません。一応はわたくしはお嬢様でしたので、もしかしましたら…ゲームの関係者であったのでは、と考えておりますの。
ゲームで遊んでいたというルルよりも、わたくしの方がより詳しく覚えておりますのは、わたくしの記憶が良いというのもあるかもしれませんし、それだけでは説明が出来ないと思われますもの。
そういう訳ですから、わたくしは随分と年齢よりも大人びた冷めた子供に、なってしまったのですわ。初対面の時は、岬さんに動揺してしまいまして、それを隠す為に必死で、興味のない振りをしましたわね…。それからもずっと、これ以上関わりたくなくて、感情を込めないように接して来ましたのよ。
岬さんとお会いしてから2カ月経った頃、急に何の前触れもなく、樹さんまで我が家に来られまして、ご紹介されましたわ。一体…何なのですの?…それにわたくしが、興味を持たない素振りをお見せしますと、お2人で遊び始められましたのよ。本当に…何なのですの?!
乙女ゲームでは、この頃のお2人には、全く接点をお持ちではなかった筈ですわ。お2人が仲良くなられるのは、高校生の時に意外な切っ掛けで、という設定だったと覚えております。隣のクラスだったお2人は、体育祭で対戦したのを切っ掛けとして、偶々婚約者のお話となられ、気に入らない婚約者のお話で意気投合された、という設定でしたのよ。お2人は…元々、幼馴染ではなかった筈ですわ。
何かがおかしいとは思いましたけれど、その頃はまだわたくしも幼い子供であり、同じ年齢の子供よりは、いくらか大人びていようとも、所詮は乙女ゲームとこの世界は同じだ、と考えておりました。ルルと出会うまでは。
岬さんと出会った半年後に、ルルと出会いまして、勝手に懐かれたと思っておりましたら、転生者と見抜かれておりました。ルルが、わたくしに懐いておられた理由が、判明致しましたわね…。乙女ゲームでのわたくしという悪役令嬢を、気に入っておられたのですね。ヒロインだけではなく、他の人物にも厳しいことを言う態度が、何も間違っていない、と…。凛とした正義感のある令嬢らしさが、とても輝いて見えた、と…。
わたくしは、ルルの言動に釣られておりましたらしく、ルルはそれを切っ掛けに、わたくしも転生者だと知られ、とても嬉しかったそうでして。わたくしも同じ気持ちですわ。ルルに懐かれたわたくしは、当初こそ戸惑っておりましたけれど、知られたのがルルで良かったと、神様に感謝致しましたくらいには。ルルの笑顔には、わたくしも…素直になれますのよ。
その日は、岬さんは来られない日だと、事前に確認しておりましたので、わたくしは…すっかり油断していたのです。今日は、我が家にルルを呼んでも大丈夫だと、2人で楽しく過ごしておりましたのに。まさか、突然暇になられたからと、態々来られるとは…知らずに。
そして、ルルと樹さんは…出会ってしまわれたのです。わたくしとは違い、まだ…乙女ゲームの記憶を忘れていた彼女は、樹さんとご対面されたことで思い出され、意識を失われたのです…。
ルルには十分にご配慮していたつもりでしたのに、わたくしの過信の所為で、裏目に…出てしまいましたのよ…。
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本来、岬さんと樹さんが幼馴染ではないように、わたくしとルルも幼馴染ではなく、わたくし達2人が知り合うのは、小学校に入学してからですの。ゲーム上の設定では、ルルは我が儘放題なタイプで、融通の効かない頑固な麻衣沙とは、徹底的に気が合いませんのよ。現世で、わたくし達が仲良くなりましたのは、偏に転生者としての記憶が、ございましたお陰なのでしょうね。
そしてあの日、岬さんと樹さんに…わたくし達の笑い顔を、バッチリと見られてしまった模様です。折角…冷淡なわたくしを、印象づけておりましたのに。岬さんの所為で、台無しになりましたわ。ふと樹さんを拝見しますと、彼は…ルルを驚いたように、一心に見つめられておられます。これでは…ご紹介しない訳にも行かず、お2人をお引き合わせますと、ルルは気を失われて…。…ああ。乙女ゲームの記憶を、思い出されたのかもしれません。
わたくしは思わず、樹さんを睨みつけますが、本来は岬さんを睨むべきでしたわ。岬さんが来られるから、樹さんもついて来られたのですもの。ですがわたくしは、樹さんにルルが盗られてしまうと、野生の勘が働いたのかもしれません。
樹さんはその後…間違いなく、ルルに好意を持たれていらっしゃいましたもの。
確実にゲームと気が付かれたルルは、樹さんと婚約すれば悪役令嬢になると、彼から逃げ惑われるようになりました。この現実の樹さんとルルならば、乙女ゲームのようにはならない可能性が、高いですのに。然も…彼のヒロインでは、彼を堕とすのは無理ですもの。いいえ、彼だけではなく、現実の攻略対象者は…全員が拒否されると、思われますのよ。彼のヒロインの中身の方が、現実世界での悪役令嬢役と申されましても、お似合いの役だと思いましてよ。
何時の頃からか、乙女ゲームの世界のようにはならないと、漸くわたくしは気が付きましたのよ。現実のルルならば、絶対に悪役令嬢にはならないし、もしなられたとしましても…わたくしが全力で止めますわ!…反対に、わたくしが悪役令嬢になりそうになったとしましても、ルルがきっと全力で止めてくださることでしょう。
そして、樹さんもルルのことを、全力で守ってくださいますわね。
岬さんは…どうなのでしょう?…今のところ、彼の態度は、わたくしに好意的ではありますが。あの時、ルルを初めてご紹介致しました時から。当初は、彼もルルに好意を持たれたのかと、思いましたのよ。しかし、岬さんの視線を…時折感じられて、振り返ると必ずという程、彼と目線がお合い致しまして、わたくしに笑顔を返されるのですわ。わたくしの方が、最近は…戸惑い気味なのです…。
ルルは相変わらずあの調子で、樹さんとの婚約が続く限り、自分が悪役令嬢になると本気で心配されていまして、樹さんがどんなにグイグイ距離を埋めようとされていても、ルルが理解することは、今のままでは…ございませんでしょうね?
樹さんも、ルルとの距離が縮まらないことに、既に気付いておられまして、あの手この手で猛撃されておられます。それでもルルは、「樹さんは、誰にでも優しいお人ですから」の一言で、全て躱されておられます。…無意識に、特に意味もなく。
勘の良い樹さんは、わたくし達2人が何かを隠している事実に、既に気が付かれておられるでしょう。もしかしましたら、岬さんも同様に。わたくし達に何か秘密があると、薄々お知りかもしれません。だとしましても…岬さんは、わたくしがお話する切っ掛けを掴むまで、待ってくださることでしょう。彼は、他人に無理強いされるお人ではありませんので。
わたくしがお願いすれば、協力してくださるでしょうし、婚約破棄も…してくださるのかもしれません。彼はきっと、ご自分のお気持ちよりも、わたくしの気持ちを優先してくださるお人ですもの。そういう損な役回りのお人だと…思いますのよ、岬さんは。
樹さんからは、婚約破棄されることはないでしょう。ルルに…他に好きなお人が、出来ない限りは。ルルを大切に思っておられますが、ルルのお答え次第では、彼は…岬さんとは反対に、ご自分のお気持ちを優先されることでしょうね…。
但し、ルルに本気で嫌われることだけは、絶対にされないでしょうが。わたくしが知っているお人の中では、彼は腹黒いタイプと言いますか、真っ黒なタイプと言いますか…。ルルが思うような、優しいだけのお人では、絶対にございませんわね。彼が本当に優しくしておられるのは、ルルにだけ…ですもの。
ルルもわたくしも、ゲームを抜きに考えましたら、今はまだ…婚約者との距離が、適切に計れておりませんのよ。悪役令嬢にならないようにと、悪役令嬢になりたくないからと、そればかり考えておりました。その為、婚約者との適切な接し方が、2人共に…分かりませんのよ。
岬さんには興味がないと、接して来ておりましたわたくしは…。今更…ヒロインが登場しないからと言いまして、わたくしが…ヒロインの役を、引き受けるつもりはございません。例え、岬さんが…どう思われておられても。
引き続き、純主役である『麻衣沙』の視点です。
今回は、岬と樹との出会いの内容も、含んだお話となっております。
今は、彼女にとって、瑠々華が一番大切な存在、ということでしょうか。