番外② 幼馴染周辺の観察日記①
今回は番外編で、とある人物視点となります。
主人公や他の人物との出会いのお話的な、裏話でもあります。
俺は篠里家の次男として生まれた。生まれた時から、俺は何処かの家に婿養子に行くのは、決まっていたようなものである。抑々、我が家では代々、嫡男以外の男子は婿養子に行くことが多いのだ。そうやってこの篠里家は、大きくなってきたのだ。他家の力を親戚という手段で手に入れて、更に上の身分の家柄に取り入って行くことで、徐々にこの国の実力者になって行く。その為にも婿入りするのは、大事な手段だったのである。
俺が物心つくかつかないかの頃に、麻衣沙との婚約は交わされていた。正直言ってあの頃は、幼馴染ぐらいの関係でしかないし、好きとか嫌いとかの以前の問題である。出会った頃の彼女は、まるで感情がないかの如く、一切の感情が見られなかった。今思えば、きっと自分の感情が、表に出なかっただけなのだろうな…。
彼女のことだから、他人を警戒し過ぎて、無意識のうちに…感情を出さないようにしていたのだろう。
そんな彼女が突然、声をあげて笑ったのである。俺は驚き過ぎて、呆然と彼女を見つめているうちに、彼女の向かい側に小さな女の子がいることに、気ついたのだ。その女の子も、彼女に向けて満面の笑顔を向けていて…。…ああ、そうなんだ…。やっと彼女が、本心から気を許せる人物が現れたんだ…と、そうぼんやりと思っていた。俺では、彼女の感情を引き出すことは、出来ない…のだと。
俺に、感情を見せなかった彼女のことよりも、彼女の感情を引き出せなかった自分に、言葉では言い表せない程に、ショックを受けていた。俺は今まで何をしていたのか、と。俺は今まで何を見ていたのか、と。自分が情けなくて、不甲斐なく思ったのである。そして、これから彼女と、どう向き合って行こうか、と。
そう考えていた時、ふと隣にいる樹の存在を思い出す。そうだった…。
ここは、麻衣沙の家である篠里家の庭であり、俺は毎度儀式のように、彼女の家に遊びに来ていた。そして…樹も付いて来た。ここまでは、いつものことである。
麻衣沙は生粋のお嬢様であり、俺達男子のような遊びはしない。だから退屈凌ぎにと、樹も誘って主に2人で遊んでいたのだ。彼女には、こうやって会いに来たことで、義務を果たしたつもりでいたのだった。
俺が樹を振り返ると、彼もまた驚いたように、目を見張って彼女の方を見ていた。しまった…とその時初めて、そう思った。麻衣沙が感情を表すのを見たのは、俺だけではなかった。樹が、彼女に興味を持ったら…厄介だ、と。何せ…彼は、異性に対して辛辣な印象を持っており、その彼が興味を持つことにはなれば、当然自分に勝ち目はないだろう。家柄から言っても、容姿から言っても、彼の…やり手振りから言っても…。
「…あの子は一体…誰なんだろう…。」
そう、小さく呟く樹は。多分、自分で呟いているのも、気がついていないだろう。俺もすぐ隣にいなければ、聞こえなかった。そのぐらい小さな呟きは、彼女ではなく、彼女と楽しそうに話している、小さな女の子に対してだった。樹をよく観察すると、彼が目を向けているのは、俺の婚約者である麻衣沙ではなくて、その向かいに座っている小柄な女の子、だったみたいだな…。
俺は、小さく細く長く息を吐き、内心ではホッとしていた。樹の興味を持った相手が、その女の子で良かった、と。そう…本心から思ったのである。如何やら俺は、今振り返れば…この時の彼女に、惚れてしまったらしかった。今思えば、惚れた相手が自分の婚約者で、良かったと思う。もしも…同じ相手を、好きになっていたらと思え、樹の性格から考えれば、容赦無く蹴落とされるだろうなあ…。
その時、漸く彼女が気ついて振り返る。驚いたように目を大きく開いた後、いつものように無表情となって、俺の前までやって来る。そして淡々といつも通りの挨拶を交わした後、後ろで座ったまま待機していた少女を呼んだ。この小柄な少女は、ちょこちょこと小走りでこちらにやって来た。とても愛らしい少女であった。
そして彼女は、この少女を紹介してくれた時、嫌そうに…眉を顰めていたのだが。彼女がこういう表情をするのは、珍しいな…。どうしたのだろう?
「こちらは…藤野華家のお嬢様で、『藤野花 瑠々華』さんですわ。こちらは…『篠里 岬』さんとご友人の『斉野宮 樹』さんですわ。」
「岬です。よろしく、瑠々華さん。」
「…あ、はい。……よろしくお願いします。」
「僕は、樹っていうんだ。よろしくね、瑠々華ちゃん。」
「…斉野宮……樹…さん?………あっ…。」
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俺が自己紹介した時から、少女…瑠々華さんの様子が、おかしくなったのだ。
あんなに満面の笑顔だったのに、俺達の名前を聞いた途端、表情が…なくなったのである。…おかしい。いつもだったら、俺の名前を聞いただけで、俺の顔を見ただけで、赤くなったりソワソワしたり、あからさまに媚びを売るような態度に、変化するのに。しかし、瑠々華さんの反応は…全く異なる、反対の態度であったのだ。それでも俺が挨拶すれば、ぎこちなく挨拶を返してくれた。令嬢としての礼儀は、受けているようである。完璧な挨拶だったのに、このぎこちなさは…どういう意味があるのだろう?
樹も、俺と同じように戸惑っていたようだが、何せ奴は…俺よりもずっとモテるからな。瑠々華さんのような態度は、初めてだったに違いない。まあ、俺もそうなんだが…。そう言えば、麻衣沙と初めて会った時も……あれっ?…麻衣沙もぎこちなかったような…?…あの時はお互いに、既に婚約者として会ったのもあり、緊張していて…よく覚えていない。…そうだ!…彼女も、俺や樹に一瞬だけど、眉を顰めたんだよな…。何で…忘れてしまっていたのだろう…。
次の瞬間、瑠々華さんを見た俺は…驚いた。彼女…瑠々華さんは、真っ青な顔になり震えていたのだ。…そうだよ、樹を見て…。震えながら…樹の名前を復唱して、バタンとその場に倒れてしまった。後は…大騒ぎである。藤野花家のご令嬢が倒れたのだから、無理もない。瑠々華さんが倒れた時、麻衣沙は何故だか樹を、思い切り睨んでいた。しかし、樹は…何もしていないのに。樹は、瑠々華さんが倒れたことに、多大なショックを受けているらしく、麻衣沙が睨んだことには、気が付いていないようだった…。
その後の樹は、只管…呆然としていたっけ…。こんな隙のある樹を見たのは、初めてと言っても良いくらいだ。樹は生まれた時から、美形だと言われていた程で、幼馴染の俺とは行動を共にしていたが、年上の女性達から綺麗な少年として、子役アイドルみたいに可愛がられ、同年代の女の子達からは、俺以上に赤くなったりソワソワしたりされて、常に媚を売られていた。お陰で彼はすっかり、女性不審に近い嫌悪感のある感情を、持っているようだ。常に、誰にでも優しい笑顔を振り撒いているが、俺から言えば…何を考えているのか、全く分からなくて怖いんだが。
そんな常にモテる樹を、拒絶反応するように倒れた少女。樹が怒った顔とかした訳でもないし、触れた訳でもないし、それどころか…何もしていないのに。誰にでも振り撒く優し気な笑顔だったし、何も問題は…なかった筈である。なのに彼女は、樹に…怯えていた?…樹は深くショックを受けたのか、瑠々華さんの迎えが来て、意識のない彼女を連れて帰った後、何も話さないまま帰って行ったのであった。
その後も、瑠々華さんは俺達を避けるようにして、麻衣沙と会っていた。余程俺達とは、関わりたくないみたいだ。それならば…俺は、瑠々華さんには会わないようにしようと思ったのに、樹が無理矢理…俺を巻き込んで来た。…おいっ、樹!
お前…余計に嫌われるぞ!…そう忠告したのだが、アイツはアイツで…瑠々華さんに好かれようと、努力しているみたいだった。麻衣沙も、瑠々華さんのことになると、何時に無く…樹に辛辣に絡んでいる。それだけ、瑠々華さんのことが大切なんだろうな。…俺よりも、大切なんだろうなあ…。
樹が強引に、瑠々華さんに会いに行けば、当初の彼女は、全速力で走って逃げた。その頃は樹でさえ、誰も…彼女には追いつけなかった。樹は悔しかったのだろう。何でも負けず嫌いな樹は、練習して克服するぐらいの努力家でもあった。走る為のトレーニングをした樹は、日に日に…彼女を追い詰めて行く。それでも、彼女の走るスピードは尋常ではなく、まるで…世界一の陸上選手みたいだったよ…。
それに、彼女は…隠れるのも、また上手かった。樹が追いついたとしても、角を曲がった途端に見失うことは、毎回のことであったのだ。
しかし、彼女は甘かった。そういう点では、樹の方が一枚上手なんだよなあ…。
樹は、彼女を見失う度に必ず、彼女が近くに居ると踏んで、悲し気な顔をして悄気ていたのだ。「僕は…何か悪いことでも、したのかな?」と、これ見よがしに呟いて。そうすると大体は、彼女の方から出て来るのだ。「逃げて…ごめんなさい。」と言って。樹からすれば、本当にちょろいだろうな。
だけど…それだけ、樹も必死なのだろう。俺達が中学に上がる前、ちょっとした事件が起きた。樹に気がある女子生徒が、瑠々華さんの持ち物を汚し、嫌がらせをしたのだ。幸いにも、直ぐに汚れが取れたから、大事には至らなかったし、当の瑠々華さんは汚した本人達に、汚れを取る作業をさせる罰を与え、簡単に許したのだ。だから樹も、その子達の親にチクるぐらいに留めたけど。瑠々華さんが泣いたりしていたら、絶対に許さなかっただろう。
その後、樹は強引に、瑠々華さんと婚約した。当の瑠々華さんは顔を引き攣らせており、彼女は…望んでいないようだ。分かっていても…樹は、彼女を守りたかったに違いない。自分の婚約者として。
とある人物は、『岬』でした。
岬視点での他の人物達を観察した現実と、岬の感想となっています。
主に幼馴染の『樹』を観察しておりますが…。




