003 裏返る
白い腕から受けたダメージから立ち直れず、床に倒れ込みどのくらい経っただろうか。
ボーッとする頭では時間の感覚がうまくつかめない。
痛みを思い出したかのようにズキズキと痛み出した頭で考える
どうしてこんなことになってしまったんだろうっと。
目の前に転がる赤い玉、ガラスのような表面に映し出された
黒髪黒目の涙と鼻水で顔を汚したなさけない顔の僕をジッと見つめる。
平凡な子供だったと思う。
勉強が得意というわけでもなく、運動ができるというわけでもない。
善いことをしたわけでもなく、悪いことをしたでもない
友達に僕のことを訊ねても普通のやつと言われると思う。
漫画やアニメのような特別なところなんかない、ただの子供だと今まで信じて生きてきた。
それがどうしてこうなってしまったんだろう。
もしよっちゃんと遊んでいなかったら
もし先生が僕たちに帰れと言わなかったら
もし路線橋ではなく踏切のほうから帰っていたら
もしあの白い腕に返事をしていなかったら
もし、もし、もし、もし
あそこでああしていればよかったの後悔が痛む頭の中を埋め尽くす。
どうして僕がこんな目に……
涙が溢れ嗚咽が漏れる。
なんで、どうして僕が、嫌だ、怖い
ボロボロと流れ続ける涙を拭うことなく、頭の中で繰り返す。
なんで僕だけが……
しばらくそうして泣いていたら、涙のせいで滲んで見える赤い玉に意識が向いた。
ゆっくりと渦巻く赤い渦、その渦の中央を見つめているとやはりそこに誰かの瞳を見たような気がした。
先程は僕を気遣うように感じたその瞳は、今はどこか怒っているように感じた。
「さっき大丈夫って言ったのに、何をグズグス泣いているんだ」
っと叱咤されているようなそんな気がした。
そんなわけがないのに
瞳のようだと思ったのはただの錯覚、そうわかっているはずなのにその瞳から目を離せない。
早く起き上がれ、泣くのをやめろ
泣き虫弱虫は大嫌いだ。
僕の頭の中だけの思い込み
そうわかっているはずなのに何故だかその言葉から元気をもらっているような気がした。
ズズッと鼻をすすり手のひらで涙を拭う。
不思議と湧いてきた元気を使って体を起こす。
多少ふらつきはするが大丈夫。
「うん、今度こそ大丈夫。」
赤い玉をもう一度見つめ呟く。
ノロノロと動いた体をベッドの上に投げ出す。
床よりはベッドのほうが、倒れていてもお母さんに心配をかけることはないだろう。
ホッと気を抜いたらまた眠気がやってきた。
今日はやたらと眠くなる日だな、眠気に抗うのも億劫なのでそのまま身を任せる。
数分も経たぬうちに僕はすぅすぅと寝息を立てながら眠りについた。
「もっしもーし」
やっと休めると思ったらすぐに誰かに起こされた。
誰だろうと目を開けると、ベッドに腰掛け僕を覗き込んでいる女の人がいた。
丈の短いタンクトップは豊かなバストによって持ち上げられ下から見れば胸が丸見えになっている。
申し訳程度に黒い革のジャケットを羽織っているが
それも半分脱ぎ腕に引っ掛けている状態で体を隠す役割は果たせていない。
下は太ももの付け根までしかないホットパンツで殆ど下着と言っても過言ではない。
そんな破廉恥な格好をした、紫色の髪をした派手な女の人は楽しそうにニマニマ笑い僕を見下ろしている。
「どなたですか?」
寝ぼけた頭からなんとか言葉を捻り出す、さっきまで僕一人だったはずの部屋に突然現れた女の人が只者でないことは理解できている。
だけど今日はもう色々ありすぎてもうこれ以上はお腹いっぱいだ。
嫌々ながらも女の人が誰なのか問いかける。
「おねむなところ申し訳ないですけど、あなたヘカトンケイル様からの参加者様ですよね?」
「…………従僕です」
「あらまー!あの御仁も手が早い、もう調教は済ましてらっしゃるのですね。
いやはや、あなたがどんなことされたのか興味は尽きませんが
まぁ時間も時間なのでさっさと行きますか。」
興味津々に目を煌かせる女の人は寝転がる僕の襟首を掴むと片手で軽々と持ち上げた。
猫の子のように持たれた僕は空中で足をバタつかせるが、それは虚しく空を掻いただけだった。
「ちょっ!?……待って!あなた誰なんですか!?」
ようやく頭が覚醒してきた僕は誘拐されそうな状況に気づき一層抵抗を強めた。
しかし僕を持つ女の人の腕はビクともせず、涼しい顔で暴れる僕を見ている。
「では覚悟はいいですか?
日常とバイバイは済ませました?
これまでの自分は屑籠へ
世界に唾吐き全てを陵辱する準備は?
まあそんなの関係なくあなたは裏返っちゃうんですけどね?」
キャハハと甲高い嘲笑を響かせながら僕と彼女は裏返った。
視界が端から水に溶けたように歪み出す。
滲んだ景色は絵具が紙に染み込むように間延びし薄れていく。
目に映るすべてのものが滲み、間延びし、薄れていく。
フィルターを通してみているようにボヤけて見えるようになると
今度はその景色が僕から離れるように伸びていく。
奥へ奥へと伸びていくとそれはもう景色とは呼べず、細長い色の線の塊に見えてくる。
何かだった色とりどりの線達はなおも僕から遠ざかるように流れていき
まるで色の線の中を流されているようだった。
チカチカと色が流れ切り替わり僕の目を刺激する。
昔見たアニメのタイムワープのようだとどこか他人事のようにその光景を観察している自分がいる。
永遠に続くかと思ったその時間は、しかし唐突に終わりを迎えた。
「ようこそ裏世界へ」