今、偽りが終わる
そこに記されているものは、とうてい信じられない内容だった。
「……嘘、だろう……?」
「――いいえ、真実です」
愕然と呟いた真鉄の声に、極めて冷静な霖の声がかぶる。
「真実? 真実だって?」
認めない。認めるわけにはいかない。それを認めてしまったら、すべてが瓦解する。
最も大事なものを踏みにじっていたに等しい。否、踏みにじるだけでは終わらず、傷を開いてさらに深くえぐり取るも同然。そんなものを真実として認めるわけにはいかない。
認めてしまったら、これまでの道程はいったい何だったのか。偽りの上に置いたものは、蔑ろにしたものは、尊ばなかったものは。真実の下にあったものは、重んじたものは、尊んだものは。それらはすべて逆転し、ひっくり返った反動で崩壊する。均衡を失い崩れた認識の上に立ち続けるなどできはしない。絶望の淵に落下するだけだ。
「ここは氷の領域。真実の書架、だから……」
「だからこれを信じろっていうのかい、どうして」
本に浮かび上がった文章。そこにはすべての発端から丁寧に噛み砕いて真実が記されていた。
精霊が、まるで人形遊びを楽しむかのように世界を再構築していたこと。
選ばれた台本の主人公が『ひとりの探索者』というものであったこと。
そしてそれゆえに、仲間と複数人で頂上を目指す真鉄には主人公の資格がなかったこと。
頂上に至り、願いを叶えるためには資格を得なければならないこと。
それを理解し、資格を得るために真鉄が何をなしたか。
***
僕は、ルッカだ。
頂上に至る可能性のある者。世界の有力者。
だというのに、どうしてこんなところで足止めさせられているのだろう。
水面に問うても答えはなく、ただ、立ち止まるように囁いてくるだけだ。
僕には何が足りないんだ。火の神の眷属は僕に何を要求しているのだ。
不足はないはずだ。力も知恵も兼ね備えている。この世界に住む人間すべてと順番に戦ったとして、最後に残る自信がある。
僕に与えられた武具は"徒桜"。何の変哲もない、切れ味が劣化しないだけの刀。
だがそのシンプルさゆえに、それを突き詰めれば何にも負けない。もっとも単純だからこそ、もっとも強い。
余計な機能などない。余分な特殊能力もない。一点だけを研ぎ澄ました撃滅の刃。
僕には何が足りないのだろう。
「……あぁ」
発想を逆転させてみたら答えはすぐに出た。なんだ、答えはすぐそこにあったじゃないか。最初から"徒桜"が示してくれていた。
多すぎるのだ。
「トトラ、シシリー」
「うん?」
「なに?」
火の神の眷属が提示した答えを理解したよ。そう微笑んだ。
答えはいたってシンプルだった。僕たちは難しく考えすぎていたのだ。
「本当か? さすが冴えてるな」
「それで、答えって?」
「それはね」
***
「僕がシシリーとトトラを殺したって? 水の領域で?」
選ばれるのは『ひとりの探索者』。ならば『ひとりに』なればいい。大丈夫、何も心配は要らない。君たちの犠牲の上に僕が願いを掴もう。狂気の末に凶刃は振られた。
冗談じゃない。そんなことがあってたまるか。一緒に頂上に至ろうと誓った仲だ。どんな困難があろうと、絶対に見捨てることはないと。それは先に脱落してしまったフェーヤの死に誓った。
あぁ、でも。もし仲間が死した時。その死体を乗り越えてでも願いを叶えよう、と。そうも誓った。
だけど、だからって。それはあまりにも。この凶行を自分がやったというのか?
「認めない、ありえない!」
「…………そうですか」
じゃぁ、時間切れです。
衝撃。灼熱の塊のような、冷水のような、相反する感覚が真鉄の腹を襲った。腹から胸へ。一直線に刃が生えた。
違う。それは生えたのではなく突き立てられたのだ。刃の行き先を追えば、そこには。
「霖……?」
刃。刃を握っているのではなく、右腕が刃に変じている。肘から指先まで、同じ長さの刃に。
完全帰還者の肉体は魔力で構成されている。自分が『こう』と認識しているからヒトの形をしているだけで、その認識の枠から外れればその身は可変だ。その特性でもって右腕を刃に変化させ、真鉄を刺したというのか。
そんなことができるとは。ついこの前まで完全帰還者の自覚すらなかったのに。いつの間に練習したんだ。目を離したことはない。ではまさか。
「……最初から……?」
「えぇ。全部知っていましたよ」
だけど時間切れです。偽りを剥がす時です。
ぐらりと傾き、崩れ落ちる真鉄の手から本が落ちた。
――切り捨てたものは水底で神の保証を得て還ってきた。
水底より悲嘆とともに還りし者。慈悲と非情の手を以て浮かび上がる泡。
その者の名はシシリルベル・フランベルジェ。
これにてすべては瓦解する。今、偽りが終わった。