氷の領域、たどり着いた書架
39階。氷の領域、真実の書架。
静かな空間だった。壁一面、床から天井までびっしりと本棚だ。
迷宮の壁をすべて本棚に入れ替え、そしてその本棚に本を詰めたような。
ここが書架である。すべての記録と記憶の集積場所。
人の人生とは物語のようなものである、というのは司書がよく言う言葉であるが、その人生がすべてここにおさめられている。
今この時だけではない。それよりも以前のものも。この無限輪廻の箱庭というシステムが完成してから今日に至るまで、すべての記録と記憶が保存されている。
ここでは何でも知ることができる。客観的な事実から、主観的な光景まで。ひとつの物事を知るために、簡潔な文章での説明でも当事者の視点で解き明かすこともできる。
「師匠、あれ……」
ずらりと並んだ書架にうごめいている影がある。ヒトの形をした影だ。
その影はまるで本を選ぶように本棚の前に立っていた。だが、何をするでもない。ただ『本を探して選んでいる』という行動だけを反映して突っ立っているだけだ。
別の場所では、高所に登るための脚立を椅子代わりにして本を読んでいる影もいる。よく見ればそれは本を読んでいるのではなく、開いた本のページを見つめているだけだ。
「あれは……帰還者ですか?」
「いや。あれよりも希薄だ」
帰還者と同じ成立のしかたをしているが、帰還者ではない。帰還者として成立するには密度が薄い。
帰還者というよりは幻覚の一種とみるべきだろう。上層に満ちる魔力により焼き付いたいつかの誰かの影だ。だから帰還者のように生者を感知して襲ってくることもない。
「……えぇと、つまり?」
「僕らと同じく、いつかにここにたどり着いた探索者の残響さ」
いつか、探索者が書架にたどり着き、そして本に記された真実に触れたその光景が影として焼き付いているのだ。
ここに感情という方向性を与え、さらに塗り重ねて密度を上げれば帰還者が成立する。そうなる前段階の影だ。
「害あるものじゃない。放っておいていいよ」
もし害あるものであるならば司書が掃除しているはずだ。そうしないということは放っておいてよいものだということ。
放っておいて、さっさと自分たちの目的を達成しよう。真実を知ることだ。
ちら、と真鉄はすぐ隣の本棚に視線を走らせる。
図書館におさめられている本と同じく、この本棚におさめられている本もまた武具だ。正式名はエンキーリディオンというのだが、これは辞書のような役割を果たす。本は端末で、本体となる情報空間から情報を引き出すものだ。
本体に蓄積されている情報を引き出し、本という端末に反映する。引き出された内容は文章や映像という形でページに浮かび上がる。
細かな仕組みは置いておいて、使う側からしたら使い方は単純で簡単だ。知りたいもののことを思い浮かべながら本を開けば、そこに知りたい情報がある。映像を望むなら映像で、文章を望むなら文章で。
この武具の特性を利用し、探索者が得た知識を情報空間に保存、そして重要性に応じて図書館か書架に振り分け、知識を求める探索者に開放する。それが図書館と書架、そしてそれを管理する司書の役割だ。
「こんなに"本"は要らないだろうに」
この"本"はあくまで端末で、情報空間の容量には作用しない。そして触れる端末の違いで情報に違いもない。だから階層すべてを本棚にし、そこにぎっちりと本を詰めなくても、たった数冊で事足りる。
だというのにこんなに数を取り揃えるのだからまったく。見栄え以外のものはないだろうに。
どの"本"を取っても同じ。なら一番近くて目についたこれでいい。するりと本棚から1冊引き抜く。
「あ、私は自分で見ます」
一緒に読めるようにと、目線の高さを合わせやすくするために腰を下ろしかけた真鉄に霖は首を振って制止する。
こんなに端末があるのだ。どれを取っても同じ情報が等しく表示されるなら、わざわざひとつの端末をふたりで覗き込むことはない。表示される真実の情報は同じなのだから、それぞれ別の端末を手に取ればいい。
そう言って、霖もまた近くにあった本を本棚から引っ張り出す。触れただけでもう情報を引き出し始めているのか、表紙に表題として文字が浮かび上がっている。
「タイトルは……『君が秘める偽りについて』か……」
さて、どのような内容が記されているのやら。
今、偽りが終わる。