きみがしんだら
恋人を膝の上に載せてご機嫌な手が不埒なところに侵入しようとし、それを阻止しようと四苦八苦していたその矢先。
――そういえば。
ふと、土神の眷属が口を開いた。
自身の腹の横で不埒な行為が始まる前に知っておいたほうがいいことは知らせておこう。怠惰と不干渉を貫いて何事をも無視する前に、ささやかなお節介を。
――封印された者の目覚めが近い。
「……それは、破壊者の話かな?」
真鉄の問いに、土神の眷属は是と答えた。
サイハの力を借りて、一時は封印せしめた破壊者。世界の終末装置だったそれは今、封印されて塔の奥深くに安置されている。あまりに奥深すぎて、塔の巫女であるサイハでさえ容易に立ち入れない場所だ。真鉄もまた『サイハが立ち入れないほど奥深く』としか聞いていないので具体的な場所は知らない。
それくらい深層にあるものが今、目覚めようとしている。封印を内側から食い破り、この世に再び現出せんとしている。
――今度こそ手がつけられないだろうね。
破壊者が目覚めた時、起きるのは想像を絶する破壊だ。世界の終末装置と呼び称される破壊の力が撒き散らされる。腕の一振りで1階層を一刀両断して全滅させるほどに破壊に特化した憎悪の力だ。封印されたという屈辱による怒りも加わり、その凶暴性は以前よりも増している。
――気をつけるといい。君が欠ければ世界に勝ち目はなくなる。
世界最強の探索者である真鉄が死んでしまえば、対抗できる者はなくなる。サイハでさえ破壊者には及ばない。この世界の誰も、あの破壊者には勝てないだろう。
つまり真鉄の死は世界の終わりと同義。真鉄の死は何もかもの終わりなのだ。
「早く対処しないとね」
――あぁ。猶予はまだあるが、ね。
書架に行って真実に触れるまでの時間の猶予はある。真実に触れてから引き返して再封印に取り掛かっても十分間に合うだろう。
だからといって余裕ぶって遅々としていてはいけない。長く蓄積した地層の歪みが大地震になるように。小さな歪みはいつか大きなほころびになるだろう。
――それを待ち望む身ではあるけどね。
「なんだって?」
今、聞き捨てならないことを口走ったような気がする。土神の眷属が語るままにさせていた真鉄だが、思わず口を挟んでしまった。
この土神の眷属は神々の側であるはずだ。塔を支える大地となり、分身を遣わして必要に応じて試練となる。世界を維持するシステムの一環のはずだ。
それが役目だろうに、それを壊すことを望むといったように聞こえたのだが。まさか聞き間違いか。そんなはずはない。土神の眷属は確かにそう言った。
――私は、世界の大変革を望んでいる。
地の底でずっと卵を抱えていたが、この長い年月の間に知った。このままでは信徒の卵は永遠に孵らない。この世界のシステムは信徒の卵の孵化を拒絶する。
だから世界の大変革を望む。この体内に抱いた愛しい卵が孵るように。そのためなら世界が更地になってもいい。世界を更地にすることのできる破壊者が目覚めるというのならそれを歓迎もする。
「……まさか、あれの存在の保証は君が?」
土神の眷属、ひいては土神だろう。世界の大変革を望むがゆえに、それができる者の存在に賭けた。そう考えればあれの存在の保証人も見えてくる。
そう分析した真鉄に対し、土神の眷属の返答は沈黙だった。沈黙は肯定。つまりはそういうことだ。
「望みのためなら、災厄の引き金を引くというのかい?」
――何か問題でも?
神というものは自分勝手なのだ。望む結果を得るためなら過程で轢き潰すものなど頓着しない。思わず振り返るほどの鮮烈な情動のきらめきを永遠に見ていたいという理由で完全帰還者を成立させるほどに。
そんな価値観を持つ神々の側にいるのだから眷属の価値観もまた似たようなものだ。
――そう、君さえいなければ世界は終わる。世界は破壊によって変革される。……とはいえ、手を出す気はないがね。
大仰なことを言ってみたが、実際にそこまで非道にはなりきれない。というより、そこまで感情を入れ込むほど積極的になれない。怠惰な性情が何もかもを億劫にしていく。
そもそも破壊による変革を望むなら、本体が身を起こせばいい。その身震いだけで塔は完全に崩壊し、すべての生命は死に絶える。そんな簡単なことさえできないほど、怠惰の性情に裏打ちされた倦怠感は根深い。できることといえば、誰かが終末を代行してくれないかと願うくらいだ。いつか誰かの代行が待てるほど、終末に非積極的なのだ。
「……師匠が死んだら……」
「霖?」
「いえ。その……とっても恐ろしいことだなぁって……」
世界の命運は真鉄にかかっていると言っても過言ではない。真鉄が死ねばすべて終わる。
だからといって、陣の奥深くで守られてはいけない。破壊者に対抗できるのは真鉄だけなのだから。だが、敗北すれば世界の終わりが訪れる。
それはとんでもなく恐ろしいことだ。なんてプレッシャーのかかることだろう。そう思って、つい怖くなってしまったのだ。
「僕が死ぬ? ありえないことだよ」
霖の心配を真鉄は鼻で笑う。霖は心配しているようだが、その心配は無用だ。だって世界に認められたルッカだ。救世の英雄だ。それに破壊者は一度封印した相手。負ける要因など思い当たらない。それくらい自信がある。だから霖のように臆病に震えなくてもいい。
「でも、慢心は禁物ですよ」
「そうだね。油断していて後ろからなんて、あってはならないことだ」




