あたたかな炎から何が孵る
「私の他に完全帰還者はいるんですか?」
完全帰還者という言葉があるということは、前例がいたということだろう。
それはどんな人物だったのだろう。そして重要なのは、それが現在でも存在しているのか。
現在でも存在しているのなら、それは思いが昇華されず無念や未練を抱えたまま存在しているのか。それとも昇華されても消滅せずに残っているのか。
それは自身の結末に関わってくるだろう。心穏やかに逝けるのか、生けるままなのか。
その意図から問う。火神の眷属は応と頷いた。
――お主の他には2人だな。
塔の守護者と呼ばれる者がそれだ。彼の者は最初の完全帰還者だ。
あれもまた、氷の神の加護を受けているために消えることができない。消滅せず生けるままだ。
そしてもうひとり。第2の完全帰還者。その名をリーゼロッテという。
――否。今世では"破壊者"と呼ぶべきか。
そちらのほうが伝わりやすいだろう。
世界に絶望し、そして憤怒とともに世界を焼き滅ぼそうとしたもの。その存在くらいは霖も知っているだろう。言わずと知れた、真鉄の英雄譚のクライマックスだ。
探索者の身でありながら世界を滅ぼすことに同意した殺戮者を処断し、あれを封印したことで真鉄は救世の英雄と呼ばれるようになったのだから。
「……そ、そうだったんですか!?」
「あぁ……そうだね」
世間一般には完全帰還者なんて存在は知られていない。人間と見た目が変わらない帰還者がいるだなんて知れたら混乱が起きるからとその存在は伏せられている。だから破壊者の正体については人間ということになっている。非道をなして怪物がごとき力を手に入れたとかなんだとか、その能力について強引に説明付けを添えて。
そもそも真鉄の英雄譚も伝えられているうちに尾ひれがついたり誇張や装飾を受けて何パターンもできている。それくらい真相が曖昧なのだ。
真相を知るのは真鉄当人と、それを補佐した塔の巫女くらいだ。同じく真相を知る司書と塔の守護者は真実にアクセスできる権能でもって真相を見たにすぎない。
話を戻そう。以上の2人が霖以外の完全帰還者である。
「……封印っていうことは……殺せなかったんですよね?」
殺しても死ななかった。だから封印をせざるを得なかった。
そう考えるべきだろうか。自分が水神の加護によって存在が保証されているように。塔の守護者とやらが氷の神によって消滅させてもらえないように。
ならば、自分は目的を遂げても昇華されずに生けるままであるということが確定してしまう。
――保証する神次第ではあろうな。
神によって保証されている。ならば、神がその保証を放棄すればいい。そうすれば存在の寄る辺はなくなって消えるだろう。
だが、その可能性は薄いだろうと火神の眷属は考えている。そもそも、だ。神が完全帰還者の存在の保証をする理由は、その者の死に際の情動に惹かれたからだ。その嘲笑が心地よかったから、殺意が美しかったから、その悲嘆が気高かったから。
だからその感情のきらめきをもう一度、否、一瞬では終わらせない、永遠に見続けたいという理由で存在の保証をして縛り付ける。心地いい嘲笑を永遠に聞けるように、美しい殺意を永久に眺められるように、気高い悲嘆を永劫愛でられるように。
この世界からとっくに立ち去ったはずの神々が思わず振り返ってしまうほど。振り返るだけでなく魅了されてしまうほど。それほどまでの鮮やかで艶やかなきらめきを手放すだろうか。答えは否だ。だから完全帰還者は永遠に消滅できないだろう。いずれ存在の保証を放棄するのなら、最初から掬い上げない。
「神の保証、ね」
霖の場合は水神によって。塔の守護者ネツァーラグの場合は氷の神によって。ならば破壊者の場合はどの神がそれを保証したのだろう。いったいあの破壊者にどの神が肩入れしたのやら。
問いたいところではあるが、これ以上の質問は真鉄には許されていない。口惜しく思いつつも、まぁ知ったところで何が変わるわけでもなし、と思い直す。
「最後の質問です。……あの、今更ですけど……」
この流れで今更これを聞くのはどうかとも思うが、このやり取りが始まった時からの疑問だ。
そう前置きして、霖が最後の問いを口にする。
「どうしてそんなに私たちを気にかけるんですか?」
神々はヒトと関わらない。眷属たちもまた神々の側なのだから、ヒトにそれほど関心がなくてもおかしくはない。使命によって試練を課さねばならないから立ちはだかる、神に言い渡された使命の範疇でないから無視する。それくらいの義務感で行動したっていいはずだ。
事実、この眷属は自分たちを『頂上ではなく書架を目指しているから』という理由で立ちはだかることを放棄した。その後、勝手に行くままにさせておけばいいものを、こうして質問などしている。しかも内容はそれぞれの覚悟を問うものであり、こちらの質問に対しても真摯に答えている。
それはどうしてだろう。放っておけるのだから放っておけばいいのに。
――それは我の使命故。
この塔に眷属として遣わされた時、火神から言い渡されたことがある。
ひとつは頂上を目指す探索者の前に立ちはだかる試練となること。そしてそれよりも重要な使命は、人々の力となることだ。
火というものは古来より明かりとして用いられてきた。そのように、人々を導き、光明を与えるものであるようにと。
だからそう、これも導きのうちなのだ。火神を信仰する信徒へのあたたかな慈愛である。たとえるならば、母鳥が卵を抱いて温めるかのような。
そうして温められた卵から、何が孵るかは。