原典にして原点
――あぁ、また私は死んだのか。
大丈夫。何度殺されても、絶対に帰ってくるから。
怒らないよ。悲しまないよ。だって、かえってこれるから。
何度だって、あなたのところにかえってくるから。
だから。
かえったら、■さなきゃ。
■すために、かえらなきゃ。
何をされても、どうなっても、絶対、かえらなきゃ。
すべてはその、一点のために。
***
「私は、また死んだんですね? あの大鳥に」
「……そうだね」
後ろから斬ったのが功を奏したか、霖は死の瞬間を覚えていないようだった。
都合がいい。死因をあの大鳥に押し付けておこう。『そういうこと』にしておいて、その死について結論づけておくことにする。霖はあの大鳥の蹴爪に殺されたのだと。
「すみません……いつも、足手まといで……」
「いいよ。結果として切り抜けられた」
2人のうち片方を殺したという達成感や安堵感から真鉄への次撃が遅れた。そのわずかな隙で階段までたどり着くことができた。
建前を口にして、気落ちする霖を慰める。どんな形にせよ目的は達成したのだから良しとしよう、と慰めに肩を叩く。
「さ、次……35階だ」
「……35階……大丈夫ですか?」
35階。水の領域。そこは、真鉄が仲間を失った場所だ。ついにその現場が目の前にきた。
あれほど避けていたそれを前に真鉄の心境は。そう心配する霖に真鉄はふるりと首を振る。
「大丈夫だよ。不思議と、気分は悪くない」
あの場所のことを考えるだけで頭痛に悩まされてきた。だが、不思議なことにその原因不明の頭痛は今はない。
むしろ、そこを前にして背筋が伸びる思いだ。思えばここに来ることを避けていたせいで、ろくな墓参りすらしていない。仲間たちの死体はスカベンジャーズが適切に処理したので墓らしい墓はないので墓参りという表現はそぐわないのだが。
「さ、階段を登って、次に行こう」
絶対安全領域である階段の最中では危険はない。魔物に襲われることもない。
ならば、と真鉄は霖へ手を伸ばす。何やら気を使って心配そうな彼女の不安を晴らすべく、階段を登りきるまで恋人らしく手を繋いで行こうじゃないか。
「……いいんですか?」
「そろそろ恋人らしいことしないと僕が霖不足で死にそうなんだ」
僕を助けると思って、どうか。そう言って手を勧める。
それでも戸惑っだふうの霖に、いいから、と言葉を続け、強引に手を繋ぐ。
戸惑いがちだった手を強く握ると、逡巡のあと握り返してくる。その様子に、うん、それでいいと微笑んだ。
そうやって僕の言うことを聞く従順な恋人のままでいてくれ。
内心でうっそりと微笑んだ。
「……あの、師匠」
手を繋いで階段を登り始め、しばらくして。不意に霖が口を開いた。
なに、と応じれば、聞きたいことがあると返ってきた。聞きたいことというか、言いたいことというか。そう言った霖に、どうぞ、と先を促す。
35階までは長い。水の領域はその属性を現すために何階層ぶんもぶち抜いて塔の中に湖を形成している。そのため、34階から35階に繋がる階段も相当の長さがある。
その長い道中を行く暇潰しついでに聞こうじゃないか。
「私には、水神の加護があるんですよね?」
この世界を作った神々。そのうちの一柱である水の神の加護を受けているという。だからといって特に特別な何かがあるわけでもないが。
その水神の眷属の領域に今から向かう。風の大鳥よりも上階にあるということは、きっと、大鳥よりも過激で苛烈で、まるであらゆるものを押し流す濁流のような相手かもしれない。
そうだとするなら、水神の加護のある自分が何か役に立つかもしれない。もし役に立つことがあるなら、遠慮せず言ってくれ。たとえ死ぬことになってもそれをやろう。
要約するとそんなことを言った霖の真剣な顔に、ふっと真鉄は相好を崩す。
「大鳥よりは静かだよ。静かすぎるくらいにね」
眷属自身は大人しい。問題は、彼とともにあるものの存在だ。
これまで挑み、そして力尽きた探索者たちの今際の際の感情が水底に沈殿している。つまりそこには、積み重なった感情から成立した帰還者がいるということだ。
そう、帰還者。水神の加護の話を合わせて、真鉄の中にひとつの仮説がある。彼女の正体は、水底に沈む帰還者から剥離した一部分なのではないかと。
「一部分?」
「君の記憶が曖昧なのもそうじゃないかって」
複数の死者の記憶が混ざっているから記憶が曖昧なのではないか。
水神の加護とやらは、要するに水神が霖という完全帰還者が成立するための力添えだ。原典となる『誰か』だけでは弱かったので水神が加護という形で肉付けした。その肉付けに使ったのが水底で淀む帰還者で、だからこそ記憶が混ざってしまって曖昧になっているのでは。
そうだとするなら、霖の原典は水の領域の水底にあり、そこに堕ちた誰かが霖の正体ということになる。その誰かが特定できないので問題としては解決していないのだが。
「ある意味、生まれ故郷というか」
その仮説が正しければ、生まれた場所に帰ってきたことになる。
そう、すべての原点に帰還るのだ。




