最後まで出し抜こうよ
あの完全帰還者は上層への転移ができた。ということは、元になった探索者は上層に到達した人物だ。
上層への到達、そして死亡した人物。この条件に当てはまる探索者はかなり限られる。つまりそれは、霖の原典となる人物の特定にぐっと近付くというわけだ。
霖と離れて自室に戻り、真鉄は息を吐く。頭痛がする。だが確かめなくてはならない。
もう一度深呼吸して呼吸と気持ちを整え、それから文机の鍵のかかった引き出しへと手を伸ばす。そこから厚みのある封筒を取り出した。しっかりと封をしてあるそれは少し前に編成所から持ち帰った死亡者のリストだ。
このリストと、今しがた得られた情報を照らし合わせて候補を絞っていく。霖に似た背格好の女性。上層探索者。死亡済み。当てはまらないものは赤線で消していくと、リストの上に残ったものはたった数十人だった。
その中でも、さらに目星をつけていく。あの完全帰還者の成立はごく最近だ。ということは、ここ最近で死んだ探索者が帰還者となったのだろう。そう仮定して、仮に100ヶ月以内と条件を絞ってみれば、たった数人だけが残る。
カガリ・アマシロ
ナクアブル・ヤチェ
シス・クァーユ
ルイス・キティリーウ
ニルス・キャルトレーウ
ダルシー・クァルスリーウ
シシリルベル・フランベルジェ
「……シシリー……」
そのたった数人の中には、真鉄のかつての仲間の名も含まれている。シシリルベルでは長いから愛称で呼べと言って、それきりずっと愛称で呼んでいた。
彼女は死んだ。殺された。その時のことはよく覚えている。あぁ頭が痛い。これ以上は。その名前を見つめてはならない。考えてはならない。思考し、答えにたどり着いたら何かが決定的に瓦解する。だから考えるな。意識するな。脳裏に響く音で頭が割れそうだ。
「ぅ……」
まずい、と思った時にはもう遅く。
ふっと、真鉄の意識は暗転した。
***
師匠は大丈夫だろうか、と気にかけつつ薬と水と、そして真鉄の好物のビスケットを用意していたその矢先。
どさり、と人が倒れる音がした。音の出どころは真鉄の寝室だ。まさか倒れたのか。驚きに目を見張り、足早に寝室のドアを叩く。返事はない。
「失礼します」
勝手に入りますね、ごめんなさい。心の中で謝りつつ、霖はドアを開く。
床に倒れ伏した真鉄と、机に散らばる紙類。倒れる際に手からこぼれたのだろう紙が床に落ちている。
それらを見、霖の表情から感情が消える。大人しい無知で無垢な少女の顔から一転、無感情で無感慨な顔へと。波一つ立たない水面のように、静謐に。
「……早く見つけてくださいね」
最後まで出し抜けるなんて思わないように。
呟いた声は誰にも聞かれることなく虚空へと消えていった。
***
ホロロギウム歴8874年 48の月27日。
今日はとても驚くことがありました。
26日に中層の踏破を目指して出立して、迷宮の中で何日もかけて、それで帰ってきたのに1日しか経っていなかったんです。
迷宮の中と町では時間の流れが違うのだと師匠に教えてもらいました。だから日付というものは希薄で意味が薄いんだって。
天気も気候もずっと一緒だから、余計にずっと足踏みしているみたい。同じところをずっと回っているみたい。
だからこそ、私はこうして日記をつけて、1日の小さな発見を記していきたいなぁって思うんです。
足踏みしているみたいに見えても、本当は、もっと……。
そこまで書き上げたところで、玄関からノックの音が響いた。来客だ。
机から顔を上げて日記を閉じ、ぱたぱたと玄関に走っていく。いきなりドアは開けてはいけない。客を迎えるのは覗き窓から来客を確認してからだ。そこで初めて声を出して応対していい。来客によってはそのまま居留守を使えるように、来客を確認するまではできるだけ静かに。
真鉄に教えられたことを実践しつつ、玄関の横の小さな覗き窓から外を見る。そこには春の風のような鮮やかな桜色があった。
「サイハさん!」
「こんにちは。あの人が倒れたって聞いて……大丈夫?」
サイハだ。彼女ならばドアを開けても安心だろう。真鉄は相変わらず昏睡したままだが、サイハなら自分ひとりでも十分に対応できる。はずだ。
「師匠は大丈夫です。たぶん……ベッドにあげる時に、ちょっとぶつけちゃいましたけど……」
「あらあら」
小柄な少女の体では長身の男性をベッドに運ぶまでに苦労する。その苦労があったくらいで、後はこれといった問題もなさそうだ。過労による昏倒に似た様子なので、このまま寝かせておけばいつかは目が覚めるだろう。もし目覚める様子がなければ、その時は近所の町医者に診察を頼むつもりだ、と付け足す。
そう説明しつつ、はたと霖は目を瞬かせる。サイハは、真鉄が倒れたと聞いたと言ったが、いったい誰から聞いたのだろう。真鉄が倒れたのはつい1時間ほど前。外傷がないのを確認してからベッドにあげて、そこから日記を書いて。その間、誰とも接触していないのに。
「風の精霊がね、教えてくれたの」
霖の疑問にサイハがあっさりと答える。ファウンデーションが頭痛のあまり意識を失ったようだ、と。
気まぐれな精霊の中でもさらに奔放な風の精霊がわざわざ知らせてきたのだ。よほどのことだろうと悟って様子を見に来たというわけだ。
「そうだったんですか……ありがとうございます」
「気にしないで。ちょうど暇だったし……。それで、顔を見てもいいかしら」
見舞いなのだから真鉄の顔を見なくては。
それに、万が一のこともある。健康面に問題はなかったし体力、精神面でも異常はなかったはず。それなのに意識を失ってしまっただなんて。
もしかしたら武具による呪いの類かもしれない。それなら町医者よりも塔の巫女である自分のほうがより迅速に正確に見つけられるだろう。
その原因は自分であるということは隠して、善意の顔で微笑む。
「いいですけど……あの、お見舞いが終わったら教えてほしいことがあって……」
「いいわ。じゃぁ、お茶でも用意しておいて」




