精霊峠、洗礼を受け
12階。精霊峠。
視界いっぱいを埋め尽くす花畑。ぐるりと外周を囲む壁はツタで目隠しがなされ、今しがた自分たちが登ってきた階段とは対角線上にある壁に13階への上り階段が据えられている。
中央には巨大な木が生えており、その枝をとまり木にして金色の光が飛び回っている。
この幻想的な光景は楽園ではなく、狂気を土台にした地獄だ。
精霊峠を通過する探索者は皆、それを思い知ることとなる。
1階から塔を登っていくにつれ、この塔を司る精霊というものの存在を知っていくことになる。
精霊だなんてきっと無邪気で可愛らしいものだろうと、新人探索者は思うのだろう。そこに叩きつけられる現実がここだ。
遊んでほしい構ってほしいと望みを叶えるために探索者の手足を潰してでもここに留めおこうとする狂気。善意のつもりで、無邪気に押し付けられるそれは人間の尺度では相容れないものであると。
精霊なんてものは可愛らしいものなんかじゃない。とんでもないろくでもないものだ。そう思い知らされるのがここだ。
「……ほんとに……何もないですよね……?」
前回が素通りできたからといって、今回は素通りできるとは限らない。前に来た時は素通りできたのに、今度は態度を変えて遊べ構えとつきまとってくる可能性だってある。
もし、そうなってしまったら。思わず不安になってしまう。
「僕はルッカだよ、霖?」
世界に選ばれた人間だ。精霊自身がそう認定したのだ。その道を妨害するだろうか。
手を出したくても出せず、出してはならず、遠巻きに見ながらひそひそと話すくらいしかしてこないだろう。
もし手を出してきたのなら、厄介事になる前に11階に引き返す。引き換えしたら11階の町のはずれにある白い物見塔に住む精霊の守護者に仲立ちを頼み、素通りさせてもらうようにする。
「で、ですけど……」
「ほら、さっさと通り抜けるよ」
真鉄の予想通り、精霊たちは花畑を通過する自分たちに手を出してこない。巨木の枝に止まったり、花畑の上を飛び回ったりしながら、遠巻きにこちらを見ているだけだ。
「ルッカヨ」
「ファウンデーションジャナイ、ドウシテココニ?」
「ホラ、アノ子ヲ上層ニ連レテイコウッテツモリジャナイ?」
漏れ聞こえる声を拾って整理するに、なぜ真鉄が精霊峠なんかに、という話をしているようだ。
わざわざ構う話でもない。黙殺していいだろう。おいでと霖を手招きして先へと促す。
「師匠、ファウンデーションって?」
「さぁね。精霊たちはどうしてか僕のことをそう呼ぶんだ」
ルッカと呼ばれることもあるが、だいたいはファウンデーションと呼ぶ。
Foundation。基礎、下地、基底。そんな意味だ。だが、いったい何のことを指しているのか、真鉄にはわからない。
「ネェネェ! アナタ!」
「……はい?」
どこからか金色の光が霖のもとに舞い込んできた。霖の目線の高さの位置でひらひらと舞うそれはどうやら氷の精霊の1体のようだった。
氷の精霊は実体を隠すためのまやかしである金色の光をおさめ、霖の前に姿を現す。言い方は悪いが、容姿を表現するなら股が割れて手足がついた大根のようだ。無礼なことをつい思い浮かべてしまった霖をよそに、氷の精霊はつるりと丸く顔のない頭部でもわかるくらいに楽しそうに霖へと呼びかけた。
「ハジメマシテ! ……アラアラ、ソウナノネ」
「……? あの……?」
霖の顔を覗き込んでなにやら唸ったり納得したり。精霊が何をしたいのかわからず、困惑しきった表情を浮かべた霖は真鉄に視線で助けを求めた。
「氷の精霊。僕の可愛い霖につきまとうのはやめてもらおうか?」
「モウ! ナンテヒト! 氷神ノ子ナンテ無粋ナ呼ビカタシナイデ!」
「とはいっても、氷の精霊は氷の精霊だろうに」
精霊に特別な名はない。文化も歴史も違うさまざまな世界から探索者を召喚しているせいだ。
文化や言語によって同じものでも呼び名が違う。そのことに配慮して、神々や精霊は固有の名を持たない。氷の精霊ならばその呼び方は『氷の精霊』なのだ。
「失礼ネ! ワタシニハ、ネージュッテ名前ガアルノヨ!」
「ネージュ?」
集合意識の端末のような存在である精霊は個としての概念は薄い。氷の精霊は等しく氷の精霊であり、どの個体も差はなく、また個々に持っている意識や認識も必要に応じて共有する。
だから個体名などない。ないはずだ。だというのに、この氷の精霊は自らの名前を名乗ったのだ。
ありえない。驚きに目をみはる真鉄の前で、ネージュと名乗った氷の精霊は胸を張る。
「ソウヨ。氷神ノ異端ノ子。……ジャナクテ、ワタシノコトハドウデモイイノ!」
話が逸れた。自分が精霊の中でも異端な存在だということは置いておいて。
胸のあたりで間隔を開けて揃えた手を横に置くしぐさをしてから、氷の精霊ネージュは本題に入る。これは真鉄たちだけへ宛てる内容ではない。だからそこで遠巻きに見ている精霊たちも聞くがいい。そう前置きしてから話を切り出す。
「警告。塔ノ守護者ガ制限ヲ解除……イツモヨリ厳シク、ヤッチャッテ、ッテ!」
「それはどういうことだい?」
曰く。真鉄たちが中層を突破し上層に至るまで。真鉄たちにけしかけられる障害について、その制限を解除する。
中層には中層に適した難易度というものがある。新人上がりの探索者から中堅どころの探索者まで、その強さに合わせて魔物の強さや障害の複雑さが調整されている。下階から徐々に魔物が強くなり、障害の複雑さが増すように。
それについての制限を解除する。真鉄にとっては中層はすでに通った道。魔物も歯ごたえがないだろう。ただちょっと長いだけの退屈な道だ。
だからその難易度を引き上げる。上層に出てもおかしくないレベルの魔物を、真鉄たちの前にけしかけてやろうというのだ。ちなみに、真鉄たちとは関係ない一般の中層探索者については通常通りだ。鉢合わせるような事態は塔を管理する精霊の名にかけて絶対に起こさせない。
「潰サナイ程度ニ、潰シチャエッテコト!」
「本当ニ?」
「イイノネ? ヤッタァ!」
「フフ、ドウシヨウカシラ!」
ネージュの宣言を聞いた精霊たちが嬉々として飛び回る。まるで新しいおもちゃを与えられる子供のようだ。
精霊の何体かは仕込みをするために精霊峠を飛び出していった。
「ソウイウワケ。ジャ、頑張ッテネ!」
「あっ、ちょっと!? 精霊さん!?」
「ネージュヨ! ジャァネ、今度会ウ時ハチャント名前デ呼ンデネ!!」
ばいばい、と手を振ってネージュはどこかへと消えていった。
あとには嬉々とする精霊と、困惑する霖と、嘆息する真鉄だけが残された。




