無限輪廻の迷宮
「それじゃぁ行こうか。僕がいるから気楽にね」
「はい!」
真鉄にとってはすでに通った道だ。構造も道順もおおよそ把握している。出現するだろう魔物の強さにも十分対応できる。
一度登り始めれば途中退出不可の片道。とはいえそう気負うことはないと霖に声をかけ、肩を叩く。登ると決めたらその1回だけで登りきらなくてはいけないルールではない。無理だと悟れば途中で帰ればいい。31階に到達するまで、何度だって挑戦すればいいのだ。
本来なら、そうやって何度も挑戦することで少しずつ進度を上げていくことになる。今回は12階まで、次は15階まで、その次は17階まで、20階まで、と繰り返し、そうしていつか31階まで一息で登れるようになればいいのだ。
今回の場合は、真鉄という経験者が先導してくれる楽な道中となってしまったが。
町の市場で食料や野営の用意を整え、それから上階へと伸びる階段へと向かう。階段には結界が張ってあり、上階から魔物が迷い出てくることを防いでいる。見張りも立っているので町は安全だ。
その道を歩きながら、それでは知識の確認だ、と真鉄が教師ぶって人差し指を1本立てた。
「迷宮の基本構造は知っているね?」
「もちろんです!」
塔の内部は町と迷宮の2つに分類される。1階と2階、11階、31階にある町では探索者と彼らを支えるための施設と、それを運営する人々で成り立っている。
そこ以外は迷宮であり、探索者たちは迷宮を探索しながら頂上を目指す。迷宮の名にふさわしく、石壁で区切られた迷路を越え、襲い来る魔物を撃退しながら先へと進む。今まで到達の記録があるのは35階までで、それ以上は未知だ。
そして迷宮には各所にレストエリアと町への帰還のための転移装置がある。
レストエリアは迷宮内において、魔物が来ない絶対安全領域のことだ。緑の石で縁取られた空間はあらゆる魔物もその攻撃も内部に侵入させない。一度入ってしまえば安全に休息を取ることができる。
町への転移装置は片道で、探索を終了して町に帰りたい時はそれを使う。町から行くことは不可能の片道の一方通行だ。
そう述べる霖に、正解だと頷く。
「そう。正解だ」
普段、クエストで訪れる下層もそのような構造だ。上層も同じく。
説明するまでもない内容だったが、大事なのはここからだ。
「12階はちょっとだけ風体が変わるんだ」
「はぁ……?」
「精霊峠。……記憶にあるかい?」
精霊峠。12階はそう呼ばれている。
この塔を司る精霊たちの遊び場だ。重苦しい石壁の迷路は取り払われていて、一面見渡す限りの花畑が広がっている。精霊や妖精といった不思議な存在が暮らす場所と言われて連想する幻想的な光景をそのまま抽出したような。
中層の探索はまず精霊峠の攻略から始まる。遊べ構えとちょっかいをかけてくる精霊たちを突っ切って13階へと向かえばいいのだが、なにせ相手は精霊だ。遊んでくれない構ってくれない人間を足止めするために何だってする。立ち止まらないあなたが悪いと言って足を潰しにかかってくるし、無視する目ならいらないと言って目を潰してきたりもする。かと思えば興味なさそうに素通りさせてくれたりもする。
下層がそうであったように、単純に石壁の迷路を魔物を撃退しながら進めばいいというものではないのだと、文字通り身にしみるくらい教えてくれる場所だ。
霖が『中層を進んだことがある』という記憶を持っているなら、精霊峠についても知っているはずだ。なにせ12階だ。11階の街を出て一番に遭遇する。
本当に記憶があるなら、その知識はあるはず。探りを入れるつもりで問う。
「はい。精霊峠ですよね」
「霖が通りがかった時はどうだったんだい?」
「えぇと私の時は……」
真鉄に問われ、曖昧な記憶を探る。特に苦労した記憶はなかった。
つきまとわれた時は無視すると怒って足止めのために何でもしてくるし、だからといって気が済むまで付き合ってやろうとしてはいけない。満足するまで付き合ってやればいいのだろうと軽い気持ちで遊びを承諾した男は寿命で死ぬまで踊り狂わされたという。だから精霊がちょっかいをかけてきたら、無視してはいけないし取り合ってはいけない。うまくあしらうように。
そんな警告を先輩探索者から聞かされて散々脅かされて、いざ行かんと気合を入れて行ったら絡まれることもなく素通りできた。拍子抜けするほどあっさりと13階に行けた。
「そんな感じだった……と思います。師匠の時はどうだったんですか?」
「僕もまぁ、似たようなものかな」
先輩探索者から散々脅かされて気構えたら素通りできて拍子抜け。そんな道だった。
そう答えつつ、思考を巡らせる。
霖の経験は真鉄が精霊峠を通過した時の光景と一致している。それは偶然ではないことは確かだ。
ではなぜ。それは霖が完全帰還者だからだ。思いを読み取る能力で真鉄の記憶に同調し、その記憶を自分のものと混同したと考えるのが妥当だろう。この前、市場で手に取った髪留めに込められた感情を読み取り、記憶を生成したように。
精霊峠の話を振った自分が無意識に思い浮かべていた過去の記憶にまで触れてきたのだ、あの怪物は。
まったく忌々しいことだ。
「……師匠? どうかしましたか?」
「いや。何でもないよ。……さ、精霊峠への階段が見えてきたよ」