その日、また夢を見た
その日、また夢を見た。
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朝から外が騒がしい。どうしたのだ、と食事処の看板娘に聞くと、花祭りだと返ってきた。
「花祭り?」
「そうなんだよ。10ヶ月に1度のお祭りでねぇ」
この世界はホロロギウム歴で日数を数えている。28日を1ヶ月として、100ヶ月を1年とした暦だ。
しかし元の世界の慣習でどうしてもそれになじまない人間もいる。30日を1ヶ月として、12ヶ月を1年とした暦で生きていた人間にとっては、ホロロギウム歴の1年はあまりにも長過ぎる。
時間の感覚との折り合いをつけるために、12ヶ月で1年の時間感覚の人々は定期的に祝祭を行うことにした。ホロロギウム歴との区切りに合わせ、10ヶ月に1回の便宜的な新年祭を執り行うことにしたのだ。
それが花祭りである。ちなみに春夏秋冬の4周期で1年とする人々への便宜的な新年祭は星祭りという。
2つの祭りは娯楽不足であるこの世界の娯楽供給も兼ねている。
なにせ塔を登るということ以外の要素をほとんど削り落としたような世界だ。塔と、塔を登る探索者、そして探索を支える施設や設備、それらを運営する人々。それ以外のものはこの世界から排除されている。
四季もなくずっと同じ気温と湿度だし、町には天気だって無縁だ。常に晴れている。塔を支えるためのわずかな大地には降らないことはないが、塔の内部にある町には降雨など関係ない。
精霊のはからいで昼夜の区別をつけるための明暗はあるものの、淡々としていて機械的だ。天井を形作る石材が適当な時間から明るく輝き始め、そして適当な時間から暗くなる。
この世界は代わり映えしない。まるで何度も使い回されて古びたプリセットの箱庭のように。
「久しぶりの祝祭さ。いやぁ、気合が入るねぇ!」
得意げに話す看板娘に、へぇ、と相槌を打つ。
この世界に召喚されてから9ヶ月ほど。成程、ちょうどその周期か。納得しつつ朝食を口に運ぶ。肉と麦の粥だ。粥自体の味は薄いほうだが、添えられた葉菜のピクルスに鋭い辛味があるのでちょうどいい。
「行ってみるといいよ。花祭りは塔の巫女にも会えるってんで評判なんだ」
「塔の巫女に?」
塔の巫女。この世界に召喚された時に付与された後付けの知識で知っている。探索者を塔の頂上に導くとされている存在だ。
その塔の巫女が花祭りに現れる。探索者からすれば、自分の存在をアピールするチャンスだ。もし気に入られれば、もしかしたら頂上への道がぐっと近付くかもしれないのだから。
「どうする、トトラ、シシリー?」
「俺はどっちでも。巫女なんぞに導かれんでも俺たちなら頂上に行けるだろ」
「私は行きたいかな。トトラには賛成だけど、保険はあったほうがいいもの」
自分たちの実力ならば、巫女の導きに頼らずとも頂上に到れる。その自信はあるが、万が一が起きないとは限らない。その万が一で仲間を1人失ったことは記憶に新しい。
かけられる保険はかけておいたほうがいい。それが自分たちの進退を決するかもしれない。
「だそうだよ、トトラ」
「む……そうだな。それもそうだ」
「でしょ?」
今日は特に予定もない。数少ない娯楽供給の祝祭だ。逃せば次は280日後。その時に立ち会えるかどうかはわからない。もしかしたら探索やクエストでいないかもしれない。
それならこの祝祭に便乗するのもありだろう。せっかくだ。
「じゃぁ、決まりね!」
***
花祭りはその名の通り、あらゆる花に埋め尽くされていた。
1階の町の中央広場は色とりどりの花で埋め尽くされ、噴水には花からこぼれ落ちた花びらが浮いている。道行く女性は花を編んだ冠や胸飾りをつけ、男でさえ胸や脇のポケットに一輪挿している。
朝から飲み騒ぐ賑やかな声、歌い踊るための華やかな音楽。籠にいっぱいの菓子を詰めた子供たちが砂糖菓子や砂糖漬けの花を売り歩いている。
真鉄たちが喧騒に踏み込めば、目ざとく見つけた娘がすかさず花束や花飾りを渡してくる。少女が渡してきた花飾りには近所の焼き菓子店の店名が記されたメッセージカードが挟み込まれていた。
「賑やかねぇ」
「そうだね」
「こんなに楽しいとつられて楽しくなりそう!」
財布の紐も思わず緩んでしまう。さっそく子供から砂糖菓子を買ってしまったシシリーがそれを頬張る。氷のように透き通った見た目の小さな飴だ。がりりと噛んで砕いてからゆっくり溶かす。
「噛むなよ」
「飴は噛んで砕いたほうがおいしいのよ。常識でしょ。知らないの?」
「知らねぇよそんな常識」
何やら言い合っている2人は置いておいて。さて、と真鉄は雑踏の中に視線を走らせる。
その噂の塔の巫女はどこだろう。雑踏の中に視線を走らせても、それらしいものはない。
まだ到着していないのか、それとも雑踏に紛れているのか。紛れているのなら見つけるのは至難の業だ。なにせ塔の巫女という存在は知っていても、その容姿までは知らない。名前も顔もわからない人物を見つけろと言われても無理だ。
「……ちょっと、あなたたち」
呼び止められ、振り返る。
そこに春の風が吹き込んだ。




