残響を引きずって
「ネージュ。『削除』だ」
ダレカが消えた。かざした手を下ろし、塔の守護者ネツァーラグ・グラダフィルトは真鉄を見た。
「やぁルッカ。御機嫌よう」
「……ずいぶん遅かったじゃないか」
「僕にだって予定はあるのさ、色々とね」
トラブルに即時対応とはいかないのだ。これでも急いできたのだ、と肩を竦め、それから踵を返す。
緊急のトラブル対応は終わった。帰って、途中で中断した作業の続きをしよう。じゃぁね、と言って転移魔法で消えていった。
あとには真鉄だけが残された。まったく、掴みどころがない男だ。嘆息してから"徒桜"を指輪に戻す。
もうダレカはいない。安全は確保された。そのことを英雄として宣言しよう。
「皆、もう大丈夫。脅威は去ったよ」
少しばかり声を張り上げ、あたりに声をかける。こわごわとした雰囲気で鎧戸が開いて、通りを覗き込む視線が注がれる。それらを見返し、微笑んでから重ねて安全を宣言する。
もう大丈夫。脅威は去った。ダレカはいなくなった。安全だ。そう何度か言葉を重ねると、ぽつぽつと人通りが戻ってきた。
「ふぅ……」
「師匠!」
ぱたぱたと霖が真鉄のそばに駆け寄ってくる。真鉄が緩く両手を広げれば、そこに飛び込んできた。
「師匠、怪我はありませんか?」
「大丈夫。霖は?」
「私は大丈夫です。あ、そうそう。髪飾りの時のスカベンジャーズの人がいて……」
髪飾りの件を任せた黒衣の男と偶然会ったので、あの髪飾りの顛末を訊ねよう。そう言おうとして、サンドイッチ店の方を振り返る。
しかし、そこに黒衣の男の姿はなかった。あるのは日常を取り戻した小さな店のいつもの光景だ。
「あれ……?」
せっかく事の顛末を聞こうと思ったのに。肩を落とす霖に、スカベンジャーズは忙しいからね、と頭を撫でて慰める。
そうしながら、冷えた思考で状況を分析する。スカベンジャーズは独自の情報を持っている。探索者が知り得ない世界の真実の一欠片を持っているとされている。そんなスカベンジャーズがもし霖に何かを吹き込んでいたら。
探るべきだろうか。下手に手を出せば最悪スカベンジャーズを敵に回すかもしれない。はてさて事態はどう動くか。思考を走らせつつ、腕の中の存在の様子を伺う。特に何か違和感はない。いつもどおり、可愛らしく無知で無垢なままだ。
「真鉄さん!」
「さすが英雄だ! ダレカをやっつけちまうなんて!」
「あぁ、素晴らしい!」
人々が口々に真鉄を称える。さすがは英雄だと。
彼らは見ていないのだ。真鉄は時間を稼いだだけで、ダレカをどうにかしたのは塔の守護者だということを。ダレカに感知されて襲われないように、ぴったり鎧戸を閉じて息を潜めていたから表通りの交錯は見ていないのだろう。だから真鉄がダレカに対処したと思っている。
栄誉を横取りしてしまったな、と苦笑しつつその声に手を挙げて応える。きっと彼は栄誉など気にしないだろうが。
「さて、このまま歓声の大騒ぎになる前に……」
称える声は誇らしく、嬉しいものだがこのまま大歓声に包まれては少々居心地が悪い。手柄は横取りだし何より霖がこの歓声に影響を受けないとは限らない。
パレードでも始めそうなほどに歓声と拍手飛び交う状況から逃げるとしよう。するりと人の輪から逃れるように、霖を抱えて駆け出した。
***
「ふぅ……」
「あはは……お疲れさまです、師匠」
路地を何度か曲がって逃げ出した先は家畜の放牧場だった。ノンナは騒動など気にせず、のんびりと草をはんでいる。
歓声は遠い。ここなら町が落ち着くまでゆっくりできるだろう。牧草ロールの影に隠れるように腰を下ろした。
「……あの、師匠」
「うん?」
「私の勘違いだったらごめんなさい。……何か、ありましたか……?」
真鉄の笑みに違和感がある。そう指摘すると、真鉄の喉がひくりと鳴った。
一瞬の動揺。視線をさまよわせてから、降参したように肩を竦めた。
「……鋭いね」
「40ヶ月一緒にいますからね」
このくらいは見破れる、と胸を張ってから、それで、と話を戻す。ダレカと交戦している間にいったい何があったのだろう。
真剣な霖の表情に温和に微笑み、言いにくいことさ、と前置きしてから口を開く。
「僕の仲間がどうなったかって話は知ってるね?」
「はい」
この世界に探索者として召喚される時、4人同時が基本だ。盾役、攻撃役、妨害役、支援役の4つの役割を当てはめて4人が召喚される。そしてその4人でパーティを組み、探索を進めていく。それがこの世界の常識だ。
しかし、常に4人でいられるわけがない。死んだか、心が折れたかで脱落する人間がどうしても現れる。4人は3人になり、3人は2人になり、新しく補充しなければ最終的には1人に減っていく。
真鉄のパーティはそうだった。元の世界で顔見知り同士が4人、この世界に召喚されパーティを組み、そして探索を始めた。その中で、ひとりが欠けた。
「彼女の名前はフェーヤ・フェーユ。忘れはしない、僕の仲間だった」
喋り方と思考に難があったが、性格的な相性は悪くなかった。長年付き合ってきたから慣れたともいう。
彼女はこの世界に妨害役として召喚された。その役割に沿って戦闘では力を奮っていた。だが死んだ。ひとつの見落としで彼女は命を落とした。その絶叫をよく覚えている。
「……まさか……」
まさか、と霖が口元を押さえる。まさか、彼女に会ったのか。仲間だったものの残響に遭ったのか。あのダレカには、かつての仲間が死んだ時の絶叫が焼き付けられていたのか。
真鉄はそれを聞いてしまったのだ。あれはかつての仲間そのものではない。過去の残響だ。だが、その音は真鉄の心を抉るには十分だったろう。
「……まぁ、もう終わった話さ」
大丈夫。そう言って微笑む。あれはただの音だ。いつかあった日のいつかあった音。気に病むことなどない。
自分に言い聞かせるように言って、真鉄は話を終わらせる。心は多少波立ったが、もう凪いだ。気にすることなどないのだ、とまた繰り返して、そして話を切り上げる。
「でも……」
「あ、慰めてくれるなら大歓迎だよ。できればキスがいいなぁ」
「師匠! もう!」




