いつかのワタシが還ってきた
大通りでの交錯はまだ続いている。
「さすがは真鉄さんだ」
さすがはルッカというべきか。宣言通り、ダレカをあの場所から一歩も動かしていない。直接触れないように気をつけつつ、足を崩して足止めを繰り返している。
すごい、と鎧戸の隙間から戦況を覗いていた若者が歓声をあげた。さすがはルッカだ。物理攻撃は無効、直接接触は厳禁という不利な状態であそこまで切り結び続けられるだなんて。
「あとは塔の守護者が来てくれればいいんだがなぁ……まだかぁ?」
「塔の守護者?」
聞こえた言葉に霖が首を傾げた。
守護者というのは、魔物や精霊の特性を利用して戦いや生活に役立てる者のことを言う。
人と人ならざるものの間の境に立ち、その境を守護することからそう呼ばれる。
探索者ではないが、探索者と同じく戦う力を持っている。
精霊の守護者は知っている。精霊と人間の間に立ち、その仲を取り持つ者だ。あれこれ遊び回るイタズラ好きの精霊をなだめ、叱り、トラブルの解決に尽力している姿をよく見る。
だが塔の守護者とは。初めて聞く名前だ。そういえば、さっきも師匠が同じ言葉を言っていた気がする。
いったいそれはどういう人物なのだろう。問おうとして首を巡らせ、あ、と声を上げる。
胡散臭さたっぷりの気だるげな格好。ストールのように肩に巻いた黒い布。つばのない帽子を深くかぶって見えない目元。貼り付けたような笑み。
見覚えがある。髪飾りの時に通報したスカベンジャーズの男だ。
「ん? …………あ」
あぁ、と彼もまた声を上げた。よぅ、と軽く片手を挙げて挨拶してきたので霖も会釈で返す。
スカベンジャーズがいったいどうしてこんなところに。聞けば、仕事の帰りのついでに歩いていたら騒動に巻き込まれたとのことだった。
「まったく……やっぱ転移で帰りゃよかったさぁ……」
「そうなんですか。……それで、あの、塔の守護者って……?」
「ん、あぁ?」
胡乱げに言い、彼は顎をしゃくる。ふむ、としばらく考えた後、まぁいいかと口を開く。
「塔の守護者ってのは、塔の、つまりこの世界の守護者さ」
「はぁ……?」
「たとえばほら、アレ」
真鉄が今切り結んでいる相手だ。ついと指した先は鎧戸だが、その向こうではダレカを相手に真鉄が時間稼ぎを続けている。
「あれは世界のルールからしたら『エラー』だろ?」
あのダレカは『帰還者は町にいてはいけない』というルールを侵す存在だ。あってはならない、いてはならない、正しくない。間違った存在だ。
塔の守護者はその『エラー』を修正する役目を持つ。間違いを修正し、世界をあるべき正しい姿にする。世界というシステムの管理者である。
「……いまいち、わからないんですけど……」
「俺っちも説明できねぇさぁ」
それ以上の詳しい説明は彼にもできない。『そういう存在』だから『そう』としか言えない。言い換えることはできても、説明することは難しい。白色はなぜ白色なのかと問うようなものだ。
「つまり、塔の守護者さんが何とかしてくれるってことですよね?」
「そうなるさぁ」
あれは『エラー』だ。塔の守護者は『エラー』を見過ごさない。修正するために必ず現れるだろう。
そう語る黒衣の男に、でも、と言い募る。
エラーを修正するというが、それはつまり、あのダレカをどうにかするということだ。
だが、帰還者はどうにもできない。それが霖の認識だし世界の共通認識だ。
『帰還者は倒せない』。『一度生まれた帰還者は消すことができない』。それがこの世界の原則だ。
なぜ。理由はない。『そう』だから『そう』なのだ。
歩行するのに理由が必要だろうか。呼吸し、鼓動を打つことに理屈が必要だろうか。理由なく理屈なく『そう』だと受け入れるしかないのだ。
たとえるなら、インクとペンで文章に書きつけた文字だ。
生きている人間はきちんとした文字で、帰還者は書き損じてしまった文字。
書き損じた文字だとしても、紙に書いた以上は消すことができない。
上からインクを塗って塗りつぶしてごまかすことはできるだろう。だが、生まれてしまったものを根本から消滅させることはできないのだ。
紙を破棄でもしない限りは。
「それをどうやって……?」
「それを俺っちに聞くかぁ?」
そんなものスカベンジャーズが知るわけがない。システム管理者の特殊権限でどうにかしているのだろう。たとえるなら、デバッグモードを開いて強制削除するような。
「…………いいか、帰還者は町にいちゃいけねぇんさぁ」
***
まだ来ない。何を遅れている。事態にはとっくに気付いているだろうに。
もう30分も経っている。塔の守護者の権能で、その場にいなくてもエラーの存在を察知できるだろうに。なぜ来ない。歯噛みしながら刃を振るう。
「まぁ……活躍する時間が長くていいことだけど、ね!」
出番は長いに限る。格好いいところをアピールできる時間なら特に。
そうポジティブに考えるとしよう。遅れてきた塔の守護者は後で殴打で許そう。
「ア……ア…………■■、■■■……!!」
虚ろな影は音を紡ぎ続ける。まったく、よく喋ることだ。嘆息とともに足の形を崩させて、そして。
「ま……が、ね…………あたし、は……アァ……」
「……フェーヤ……?」
まがね、と呼ぶ声に聞き覚えがあった。その声を忘れはしない。脳裏に浮かんだ懐古に飲み込まれかけたその時。
「対象指定。ネージュ、『削除』だ」
男の声がして、ダレカが消えた。