時を観測する大梟
1階の時計塔に住む男は偏屈で知られていた。
水時計。砂時計。日時計。水晶時計。燃焼時計。蝋燭時計。振り子時計。
氷時計。油時計。樹時計。落雷時計。風化時計。熱時計。光時計。影時計。
あらゆる時計が立ち並ぶ屋敷の中で、男はひたすらに時間を数える。
「48の月、15日……午前8時53分……54分……」
さまざまな時計が1秒を同時に刻む音を数える。彼が座っている机には1行だけ文章が書かれた羊皮紙があった。右手はインク瓶にペンを突っ込んだまま、左手は天井から下がる紐を掴んだままの姿勢で、彼はそのまま時間を数え続ける。
「…………55分……56分……」
57、58、59、そして60になるその時、左手が動いた。
「ホロロロロロロ!! 48の月、15日、午前9時! ホロロロロロロ!!」
狂ったように叫び、紐を引く。紐の先は鐘につながっており、時報のように鐘の音が町に響く。
そうしてきっかり60秒叫んだ後、また彼は1分を数え続ける。
――彼はそれを、8874年48ヶ月15日続けている。
***
「えぇと、1年が2800日だから……」
「2484万8559日」
指折り数える霖に先んじて答える。彼がホロロギウム歴を開発して8874年48ヶ月15日。今日で2484万8559日だ。その間、ずっと彼は時間を数え続けている。寝食すら忘れてだ。
「来客と会話する時間もあるから、ずっとではないけどね」
「そ、それでも膨大すぎやしませんか……?」
どういうわけでそうなったのかは知らないが、それにしても膨大すぎる。そんな年月をひたすら数え続けていたなんて。
いったいどういう感覚なのだろうか。偏屈というにはあまりにも外れ過ぎではないだろうか。思わず笑顔が引きつってしまう。
「そんな偏屈が相手さ。気をつけてね」
「何を気をつけろっていうんですか……」
なんだかんだ会話しているうちに時計塔に着いてしまった。ドアは開きっぱなしで、内部が見える。中は膨大な数の時計で埋め尽くされていた。その中心に机があり、そこに座る人物が見える。
いや、あれは人なのだろうか。ふくろうの仮面をかぶり、鳥の羽に覆われた外套を身にまとい、右手はインク瓶に突っ込んだペンを握り、左手は天井の鐘からぶら下がる紐を掴んでいる。
ヒトというにはかけ離れている容姿だ。外套から覗く手がヒトのものであるからぎりぎりどうにか人間と言えるだけで。
「ホロロギウム、お邪魔するよ」
「ホロロロロ!! 計測の邪魔をするのは何者か! ホロロロロ!!」
外套の下から覗くヒトの口がそう叫び、次いで、9時38分、と数える声が続く。
それに構わず、真鉄がホロロギウムの前に霖を連れてくる。彼女を見、ホロロギウムの首が直角に90度曲がった。まるで機械のような、不気味な動きに思わず霖が小さく悲鳴を上げた。
「ホロロ……ほほう、興味深いものを持ってくるじゃぁないか」
ふくろうの仮面の下で、ホロロギウムが笑う。ふくろうの鳴き声のような、木製の鈴を転がすような声だった。
いやはやまさか、こんなものを連れてくるとは。これは時間の計測を中断してでも見てみたい興味深いサンプルじゃないか。口に出さない代わりに、ホロロ、とまた笑う。
「彼女の時間を数えてほしい。……できるかな?」
「ホロロロロ! 任せるがよい。ホロロ……」
だが、と言葉を区切る。時間の計測を頼みたいというが、果たしてどこからの時間だろうか。彼女が『こう』なってからか、それとも本質の部分か。
核心を濁らせて問うホロロギウムに、後者、と真鉄が答える。知りたいのは、この完全帰還者の核となる人間の年齢だ。
「ホロロ……」
右から左へ。また90度直角に首を曲げ直し、ホロロギウムはじっと霖を見る。
「あの……?」
「動くなよぅ。日がな増える年輪を数えるようなものでのぅ、ホロロロロ……」
細かく折り重なった年輪をひとつひとつ数えていくようなものだ。動けば目がずれてしまう。指先ひとつ微動だにさせないようにと言い、ホロロギウムは霖の時間を数えていく。
「見えた年輪の日数は7751。あとは計算するがいい。ホロロロロ……9時40分!」
そう言って、ホロロギウムはまた机に向かい合ってしまった。直角に曲がっていた首も元の位置だ。
もう用件は終わったと言うように、もはや真鉄にも霖にも興味を示さない。
「……7751だと……21歳くらいかな」
とっさに自分のいた世界の暦で計算してしまった。まぁこの世界では年齢という概念は暦以上に薄いのだが。
7751割る365。端数は置いておいて、おおよそそれくらいだ。日数から年齢を瞬時に計算し、ふぅむ、真鉄が唸る。
ふむ。21歳か。見目は15か16歳ほどの少女然としているのに、人は見た目によらないというか。明るく茶化しつつ、その裏で得られた情報を整理する。
今現在が21歳。弟子として引き取ってから40ヶ月。換算して逆算して、17歳、18歳くらいで死んだ探索者に絞れば見当がつけられるかもしれない。
ちょうど見た目もそれくらいだ。はるか以前にとっくに当たった筋だが、もう一度当たり直してみるのも悪くないかもしれない。
「ともかくよかったよ」
「そうですね。……なんか、ちょっと恥ずかしいですけど」
年齢など調べられて問題ない、むしろ知りたい内容だったわけだが、なんとなく恥ずかしい。
頬を染める霖に、それもだけど、と真鉄が首を振る。
「4歳差ならセーフだよねって話」
「はい?」
ほら、これでロリコンって言われなくてよかったって話」
25歳の年齢相応の見た目の自分に、恋人として年端も行かない少女がいる。見た目から予想される年齢差はかなりのもので、なかなかに危険な見た目だ。幼女趣味を疑われることもなくはなかった。
こうして正確な年齢がわかったのだし、ロリコン呼ばわりに堂々と反論できる。10歳差でなく4歳差ですと。
「……はぁ……?」
「そうかそうか、21かぁ。……あ、じゃぁお酒が飲めるのかな? 僕のいた世界じゃ20歳で成人だったんだけど」
真鉄が元いた世界では、20歳で成人扱いだった。酒は成人していなければ飲むことはできなかった。律儀に守っている人間はそんなにいなかったが。
この世界では成人に関しては緩く、自分が成人だと思えばそう名乗ればいい。酒も何も自分の判断だ。人によっては子供のうちから飲むこともある。
もはや守る必要のない社会通念だが、霖の知る世界ではどうだったのだろう。念のために問えば、真鉄と同じだと返ってきた。
「うん。じゃぁ今度一緒に飲もうじゃないか」
少女然とした見た目に遠慮して霖の前での飲酒は控えていたが、遠慮しなくていいのなら喜んで。
実は酒好きなんだと親しみやすいパーソナリティを適当に引っ張り出して貼り付けて微笑む。
酔えば口も緩んで、隠していることも白状しやすいだろう?