明鏡止水は語らず
中層。11階の町のすぐ上の階層には精霊峠と呼ばれる領域がある。
塔を管理維持する精霊たちが集う場所だ。そこで真鉄はとある人物と待ち合わせしていた。
定期報告の時間だ。いつもの時間にいつもの人物と、語る内容もいつもと変わらない。成果はありませんでした、と。
「今週の成果は以上さ、サイハ」
「……まだわからないってことね」
腕を組み、サイハと呼ばれた女性は溜息を吐いた。
春の風をそのまま写し取ったかのような女性だ。だがその雰囲気は春の柔らかな暖かさではなく、凍てつく風のように冷ややかで温度がない。
桜色の髪の下から覗く薄緑色の目は呆れたように真鉄を見る。
「完全帰還者は放置していたら危険なのよ。それはあなたもわかるでしょう?」
「あぁ、諒解しているよ」
その点は身にしみている。
真鉄が英雄と褒めそやされる伝説には完全帰還者と対峙した話もあるのだから。
世界の破壊を目論む破壊者を討ち、真鉄は英雄となった。
だが、討ったとはいえ殺してはいない。封印止まりだ。
なぜなら、完全帰還者は死なない。斬っても潰しても、たちどころに再生する。
毒を与えられれば治り、体を細切れにされても治り、病に侵されようとも治る。
健康で五体満足である状態へと常に修復されていく。自分が『こう』であると認識している形に自己修復される。どんな風にされようとも、必ず元に戻る。
『完全』に肉体が『帰還ってくる』。
霖を迷わず叩き切ったのもそれが理由だ。完全帰還者であれば即座に肉体は再生する。不死の怪物といっていい。
だからその喉に刃を突き立てることも首を落とすことも躊躇しない。忌々しい化け物めと殺意を添えて、昨晩愛した体でもためらうことなく貫く。
「思うんだけど」
「なに?」
「完全帰還者が厄介というなら封印すればいいじゃないか?」
破壊者リーゼロッテ。その封印をなしたのは彼女の協力あってのことだ。
あの時はさんざん暴れるのを押さえ込むために真鉄が駆り出されたのだが、今回の場合は自分の正体を自覚してもいない少女だ。封印しようと思えば彼女ひとりで簡単に済ませられてしまうだろう。
それなのに、わざわざ飼い慣らすなんて。生かしておくメリットがわからない。
真鉄のもっともな問いに、サイハは、そうね、と頷く。
協力してもらっている身だ。情報を渡しておくべきだろう。
「リスクがあるのよ」
「リスク?」
「そう。……目的がわからないからこそ、ね」
何を思いの核にしているのかわからない。何が目的かわからない。だからこそ、何をしでかすかわからない。
死を跳ね除け、還ってくるほどの強い執着なのだ。それは残り秒数がわからない時限爆弾のようなものだ。
下手に追い詰め、土壇場でとんでもないこと力が発現してしまっては困る。それが目の前の人間を殺すだけの小さなものならともかく、世界を壊すような大規模なものであったなら。
サイハの脳裏に浮かんでいるのは前の完全帰還者。破壊者と呼ばれた憎悪の怪物だ。
世界への憎悪ゆえに還ってきた破壊者は、自身の思いの核に従い世界の破壊を行おうとした。その封印にかなりの手間と年月を要してしまった。世界は破壊を免れたが、一部は破損して修復している最中だ。その爪痕は人間たちに影響はないものの、かなり大きい。
その二の舞になっては困るのだ。サイハが扱える範疇で物事が済むようにしなければ。でなければ、サイハにとっての最悪のシナリオが始まるだろう。
「まずは敵を知ること。未知の相手にはそうするべきでしょう?」
こうして真鉄の手元に置かせたことでわかったこともあった。それは成果といえるだろう。
霖と呼ばれる完全帰還者は、自らの正体を自覚していない。だからこそ、その能力は帰還者の特性が拡大化しただけのものにとどまっている。
武具が使えないという体質も、感情を読み取る力も帰還者に備わっている基本的な能力だ。理屈は『そういうもの』なので省略するが、帰還者は武具を持たず扱えない。
そして周囲の人間の感情に影響を受ける。自分がそのようなもので構成されているからか、強い情動に惹かれてしまうのだ。完全帰還者ならばその能力はさらに強くなり、周囲の人間の感情が伝染してそれに同調してしまう。
それが霖の体質の正体だ。完全帰還者ゆえに、帰還者の基本能力を持っている。たったそれだけのシンプルな理由である。
本人に告げているのは、真相を隠すためにもっともらしく捏造した理屈だ。
そしてサイハが問題としているのは、それ以外の部分だ。
完全帰還者としての基本スペックはいい。問題は、完全帰還者として成立した思いの核によって付与された力だ。世界の破壊を望む完全帰還者は圧倒的な破壊力という力を引っさげて還ってきた。
では霖は。基本能力以外のものはいったい何なのだ。
「ぜひとも見つけてちょうだい。あなたはルッカなんだから」
「はいはい。鋭意努力するよ」