かえってきたよ、あの時から
霖は死なない。否。生きてはいない。
彼女は、完全帰還者だ。
帰還者とは。ヒト型全般の魔物を指す。ヒトに似ているが自我や感情はない。
意思疎通は不可能。人語を話す個体もいるが、喋る言葉はヒトの模倣であり発声する言葉の意味はない。
なぜなら、帰還者は、その地点で絶命した探索者の今際の際の感情が魔力によって焼き付き、具現化した影である。
それが帰還者というものだ。
魔力というものは感熱紙のようなもので、『思い』が焼き付く性質がある。
その思いが塗り重ねられていくうちに具現化し、ヒトの形をとる。そうしてひとりでに動き出したものが帰還者なのだ。
『帰還者』が何から帰還してきたか。答えは簡単だ。
何からの帰還か。迷宮からだ。あるいは死から。迷宮から帰ってきた『誰かの感情』。
死者が思いを核に蘇ったと解釈したらその呼び方も納得できるだろう。
複数の感情が幾重にも塗り重ねられて形となった虚ろな影が帰還者である。
ならば、たったひとつ、ひとりの感情で帰還者が形成されたら。
それが完全帰還者だ。完全な自我をもって、ある一時より帰還した者。
だが霖の場合、その『一時』がわからない。
憎悪を核にした完全帰還者は、憎悪を抱いたその瞬間が発生の一時だ。世界を嘲笑する者はその時を由来とする。
しかし霖の由来がわからないのだ。『いつ』『何をもって』生まれた完全帰還者なのかがわからない。
ないわけがない。『なんとなく』なんて理由で完全帰還者が発生してたまるか。
霖自身に、自分が完全帰還者だという自覚はない。自覚がないからこそより厄介だ。
死んでもなお諦められなかった強い感情があった。やりたいことがあった。願いがあった。だから帰還者は還ってくるのだ。だから核となる思いと、それに伴って何かしらの願いがあるはずなのだ。世界を憎悪すれば世界を破壊しにかかるように。
しかし霖の場合、思いの核もわからなければ、それによる願いもわからない。目的がわからない。
正体不明、由来不明、原典不明、目的不明の完全帰還者。だからこそ、その解明と対処は何においても優先される。
完全帰還者をなす思いの核を解明する。可能なら排除する。それが真鉄が世界に課せられた任務だ。
だから飼う。正体がわかるまで、目的がわかるまで。
愛などあるわけがない。愛は飼い慣らしやすくする方便。あちらは純粋に信じているようだが。
真鉄にその気などかけらもない。雨の一滴すらもだ。親密な仲になれば踏み込んだ話もできる。踏み込んだ話ができれば腹も探りやすくなる。そのためなら偽りの愛の言葉さえ吐いてみせよう。
――そのためなら、君を何度だって殺してみせよう。
***
「ふぁ……?」
目を覚ましたら見慣れた天井だった。迷宮の冷たい石の天井ではない。
どうして家に。ぱちくりと目を瞬かせ、霖は状況の把握につとめる。えーと確か、と記憶をなぞる。
「起きたかい?」
「師匠……?」
真鉄がいる。おはようと声をかけられたので反射的におはようと返す。
その間にも迷宮であっただろうことを思い返す。植生調査に出て、魔物がいて、それで。
「あ……もしかして、私、また倒れちゃいました……?」
「うん。いつもの気絶だね」
霖自身に完全帰還者の自覚はない。だから、斬って殺されたことも覚えていない。
魔力のコントロール不足によって気絶したと教えてある。武具を外付けのバッテリーで動かしているのだから、術者に何らかの悪影響が出てしまうのは仕方のないことなのだとそれらしい理由を付け加えて。
「またですか……すみません……」
「いいよ。下層の魔物なんて秒殺できるし」
霖はすっかり真鉄の言うことを信じきっている。飼い慣らした結果だ。
自分の成果に一定の満足を覚えつつ、そんなことなどおくびにも出さないで落ち込む霖の頭を撫でる。真実は氷の中に秘して、虚偽に満ちた生温い優しさに漬け込んでおかなければ。
「疲れたろう、もう少し眠るといい。昨日の疲労もあるだろう?」
「はい……」
髪飾りから感情を読み取ってしまった。その精神疲労の心配をしてくれているのだろう。
確かに疲労はある。素直にその言葉に従うとしよう。撫でてくる手の体温に身を委ね、霖は目を閉じる。
「ほら、昨日あんなに腰振って」
「師匠!!」
そっちの話か。とんでもないことを言い放とうとした真鉄に思わず手近にあったクッションを投げる。
しかし真鉄に直撃することなく、やすやすと受け止められてしまう。こんな甘い一撃など余裕でいなしてみせる。
「まぁそれは半分冗談として……僕は用事があるから、おとなしく留守番しててね」
「半分? ……わかりました。いってらっしゃい」
半分とはどういうことだ。いやいい。聞きたくない。また墓穴を掘るのはごめんだ。
溜息を吐いて気持ちを切り替えて、出かけるという真鉄を見送る。そっちの意味でも疲れているのは事実だ。誰かさんのせいで。墓穴を掘るので口には出さない。
「おやすみ、僕の可愛い霖」
ベッド脇から離れていく体温を名残惜しく感じながら、意識を眠りに落としていく。
――かえってきたら、■■しなきゃ……。