僕の目的は君を殺すこと
世界にそびえる塔。否、ここは塔のみが存在する世界である。
この塔の頂上には『扉』があり、『鍵』によって開く。『扉』を開いた先には神により褒賞が与えられる。そんな概念を最初の土台として組み上げられた世界だ。
この世界の人々はそのためにそれぞれの世界から召喚されてきた。
世界も人種も文化も違う人々が石組みのように組み合わさって複雑な社会を形成している。
そして、この塔を登る者を探索者という。
「師匠、ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
少女の問いに師匠と呼ばれた男は振り返る。
「迷宮の植生調査なんてこんな低級の依頼、ルッカの師匠がやらなくたっていいじゃないですか」
自分たちがやっているのは塔の迷宮にどんな植物が生えているのかを調べるクエストだ。薬草、毒草問わず植物の分布を調べ、それを記録する。記録したものを提出して報酬を得る。
こんなクエスト、探索者になりたての新人がやるような依頼だ。新人探索者が初めの一歩にまずはやってみようと取り組むもの。
そんな超低級のクエストをわざわざやる必要なんかないのに。
少女の不満はそこだ。少女自身も、師匠の男も探索者である。
だが、師匠はただの探索者ではない。この世界で、頂上に至るとするならまずこの男だろうと噂される『頂上候補』だ。
その実力は世界最強。世界を救った英雄であり、そしてこれからも活躍が期待される探索者だ。
そんな折り紙付きの実力者である師匠がこんな超低級の依頼を受け、それに取り組んでいることが不満なのだ。
「だからこそ、だよ」
温和を絵に描いたかのような優男然とした彼は、弟子である少女の問いに答える。
基礎ほど疎かにしてはいけない。初めの一歩と少女は言ったが、その一歩こそが大事なのだ。その一歩の踏み出し方で今後が決まるのだから。
今後を左右する初めの一歩は、すべての始まりであると言っても過言ではない。原点こそ重大なのだ。
「……でも」
「それに、情報を更新しておくことは大事だよ。ほら、見てごらん」
ほら、と迷宮の行き止まりを指す。そこには、床の石畳のひび割れから露出した土から生えた小さな花が咲いていた。
迷宮の癒やしでおなじみ、カロントベリーだ。小さなベリーは甘く、探索に疲れた探索者の疲労を癒す。いつ魔物に襲われるかわからない緊張をほぐしてくれる安堵の象徴だ。
「地図にはないだろう、これ」
分布を記録するために渡された地図にはカロントベリーの茂みの印などない。ということは、この地図ができてから今日の間に生えた茂みということになる。
地図が作られたのはつい先月。膝よりも低い低木とはいえ、30日足らずでこんなにも花をつけるほど育つだろうか。
答えは否。それなら、つまり。
「……ジャル・ヘディ!」
はっとして、少女が声を上げる。
ジャル・ヘディ。古の言葉で大きな頭を意味する。
体の倍以上の大きさの巨大な口を持ち、その歯で餌を捕食する魔物である。
頭頂部にはカロントベリーに似せた花芯が垂れており、それを疑似餌として茂みに潜る。
疑似餌を揺らして獲物を誘い、近寄ってきたところを巨大な口で一口で飲み込む。
提灯鮟鱇と鰐を合わせたような魔物だ。
成程。こいつは休息の象徴であるカロントベリーにつられて近寄ってきた探索者を食い殺そうと待ち受けていたというわけだ。
魔物ならば片付けねばならない。少女はぐっと首から提げていたペンダントトップを握る。
「……"タンタシオン"、発動!」
この世界には武具というものが存在する。
かつて存在していたという魔法を誰でも起動できるようにしたアクセサリーだ。
複雑な知識と難解な魔術式で構築される魔法を何の資格も素質も要らず、ただ力の集中だけで魔法が起動できるようにしたものが武具なのだ。
たとえるなら水車のようだ。魔力という水を流して武具という水車を回す。
水車を回して何をするかは水車に接続されている機工による。石臼に繋がっていれば粉が挽けるように、武具に刻まれた魔法が発動する。
「気をつけて。……"徒桜"」
「はい!」
師匠が刀を手に取った。彼が戦闘態勢に入ったのを見て、少女はペンダントを握ったまま走り出す。
少女が手にしている武具は"タンタシオン"。誘惑の名を持つそれは、一定範囲内の対象の注意を引く。他の脅威があろうが優先すべき事項があろうが構わず、対象者の意識を自分に向ける。
言うなれば囮だ。少女の小柄な体格を生かして走り、注意を引きつけ囮となる。そうして相手の意識がすべて少女に向いた隙に師匠が刀で切り伏せる。
何度もやってきたコンビネーションだ。師匠は確実に敵を切り刻み、そして一撃で戦闘を終わらせる。
少女がカロントベリーの茂みへ向かって駆け出す。無邪気に誘い出されたかのように、その白くて愛らしい花へと駆け寄っていく。
直後、地面が盛り上がる。さぁ師匠、今ですと少女が視線を向ける。師匠は刀を振るってジャル・ヘディを一刀両断するだろう。
――そのはずだった。
「え……?」
師匠は刀を持ったまま、構えもしていなかった。
なぜ。問う前に、床下に伏せて待っていた大顎が動き出す。のこのこと射程内に入ってきた獲物を捉える。開いた顎は少女の小柄な体に噛み付いた。
「あ……あああああああああああああああああ!!!!!!!!」
絶叫。鮮血。そしてそれを断ち切るようにようやく白刃がひらめいた。
両断。大顎の魔物も、下半身を食いちぎられた少女も。まとめて一刀のもとに切り刻み、彼は刃の血を振り切った。
「……ごめんね」
――僕の目的は君を殺すことだから。