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第一章 奇妙な国

それからは、もう誰も何もしゃべらなかった。


第一周壁目の関所も抜け、コルチェの中心にある巨大なペントラルゴ城の城壁が目に入ってきた。


壁の高さ、厚さはともに四つの都市周壁を凌ぎ、石壁に浮き彫りされた女神、埋め込まれた水晶が美麗である。総身、白光の鎧を身につけた兵士が数多く詰める城門を抜け、大陸一といわれる優美で荘厳なペントラルゴ城が現れる。

広大な敷地には、兵士の宿舎や官師の官舎、いくつかの聖堂など様々な施設が点在しており、城はその中でも中央に位置し、そして教会の象徴ともいえる大聖堂は正門から直線上に存在している。



庭園を分かつように、一直線に伸びる道を馬車は進み、大聖堂から東に反れた大広場で止まった。


官師見習いは城で教育を受けているといっても、城の敷地内の施設において指導が行われているだけであって、登城することとはワケが違う。よって、城に用事のある大人二人とは目的地が異なるといえ、大広場で別れることになった。


馬車の扉を開けようとしたヴァッツは、自動的に開いた扉に驚いて取っ手をつかみ損ねた。


「おっと、座り疲れたか?」


頭からルルドの胸に突っ込んで見上げると、変わらない闊達(かったつ)な笑顔に安堵させられる。


「その・・・・ごめん」


軽く謝って、外へ出るため上半身を乗り出すと、ふいに声をかけられた。


「死んだ人間は、存在しない者だと思うか?」


非難されているわけでもないのに、ヴァッツは身震いした。


「それは・・・記憶がないんだから、そういえると思うけど・・・」

「記憶がないから親はいないも同然。なるほど君の中では抹殺されている。しかし、浮かばれないな」


そう言って、ヒースはやっとヴァッツに視線を投げた。


「・・・善し悪しは自分で決めたらいい」


そう言ったきり、ヒースは口を閉じた。


浮かばれないと言われた両親について、考えようにもヴァッツにはそれができない。記憶がないばかりか、親という存在自体がヴァッツにとって未知の存在だったからだ。

それなのに、司教の「自分で決めろ」という言葉が、「もう一度考え直せ」と聞こえた。

わけも解らず虚栄心と罪悪感が混ざって気持ち悪くなる。なんとなく居た堪れなくなった。


「あら、ヴァッツ?何してるの?」


突然の声の主は、緑青の長衣を着た若い女官師だ。

金茶色の短髪同色の瞳で、小柄な体が数冊の書物を小脇に抱えて歩いて来る。

何となく木の実を抱えた子栗鼠を連想させる女性だ。アシアは若いながらも教官の一人であり、師、ピトロの恋人でもあった。


「ヴァッツ。時間内にあなたが来てるなんて非常に珍しいわね」

「そ、そんなことないって!」

「そんなことあるわよ。あら・・・そちらにいらっしゃるのはまさか、ルルド殿?まぁ!お久しぶりね」

「『まさか』、とは人聞きが悪いな」


二人は知り合いらしくお互い苦笑で再会した。


「もう、帰って来たのね。ということは、その中にいらっしゃるのはヒース様?」

「ご挨拶がこんな形で申し訳ありません」


馬車の中からで軽く非礼を詫びるヒースに、アシアは首を振って改まった様子で頭を下げた。


「じゃあ俺、先に行ってるからね。送ってくれてありがとうございました」

「えっ、ちょっとヴァッツ?」


ヒースから去る機会を計っていたヴァッツは、形式的にちょっと頭を下げて、足早に歩きだした。その様子がおかしいと気づいたアシアはルルドに目で問いかけたが、首を縦に振って誤魔化される。

アシアは釈然としないまま急いでヴァッツを追うことにしたらしく、黙礼して体を反転させると、小さな背を追った。


「あぁいう女性がお好みで?」

「どういう意味かな?」


女性を見つめていたヒースに、ルルドは口角を上げる。


「普段人に興味がない貴方様が、珍しい視線を送っていたので」

「はっ殺すぞ」

「それ聖職者が言うセリフじゃないですって」

「なぜだ?」

「なぜって・・・・。・・・・って、からかわないでください」


言葉を選んで逡巡するルルドに、ヒースが笑う。


「少し気になっただけだ。それに男がいる女を見染めてどうする」

「さすがヒース様、鋭いですなぁ」


苦笑するルルドにおどけた様子でヒースが肩をすくめる。

主従がのんびり話していると、下働きがふたりに気づいて駆け寄ってきた。

ルルドが下働きに話しかけられている間、ふっとヒースの顔が真顔に戻り、アシアの消えた方へ視線を向けた。


「お大事に・・・」

「今何か言いましたか?」

「いいや、何も」


馬車を下働きに任せて戻ってきたルルドは、今度こそ訝しげに首を傾げた。

それにヒースは首を振ると、荘厳な城を見上げた。


「近いうちに良くないことが起こる」

「貴方がそう言うなら、そうなんでしょうな」


大聖堂の裏側に回り込み、しばし歩いて今度は曲線を描くスロープを上る。ヒースとルルドは肩を並べて、やや急ぎ足で先を急いでいた。


「当初の予定よりも早いエイリアからの帰還命令。加えていうなら、さっそくレグレットと遭遇したことを考えると、あの魂の成れの果て達―――レグレットはやはり増加していると考えるべきだろう。とにかく気になることが多いな」


長旅の疲れと先の暗い見通しに、ヒースは暗然とする。


「気になる事といえば、ずっと憑いてきてましたね。・・・・女の子が」


ルルドはもういないとは分かりつつも、辺りに気を配る。偶に法衣や長衣を着た人間が通り過ぎて行くだけで、もうあの小さな影はいなくなっている。


「悪いレグレットじゃないから心配ないと思うが、憑かれてるヴァッツ本人が気づいてないのは官師見習いとしてどうなんだろうな?」


影に潜んでヴァッツを見守る栗色の髪の少女をヒースは思い出す。

ヴァッツが思い悩んでいる時は、本当に悲しそうな表情を浮かべていた。少年と縁があるのだろうが、当の少年には彼女の記憶も消滅させられているだろうから知らせはしなかった。


だが、ヒースには蟠り(わだかま)が残った。


「ペントラルゴは表面的にはいい国です。・・・しかし、死人を忘れるように記憶を消すのは今でも気色悪いし、納得できないもんです」


黒髪黒目のルルドは、遥か遠くの東国から剣術の腕を磨くためにやって来た人間である。

剣を強く聖創力で鍛えることができると聞きつけて、腕も良かったから聖騎士になった。それから何年か経つ今でも、この政策には釈然としないものを感じているらしい。


「同感だ。だが、記憶を消されている人間はおかしいとは自覚していない。むしろ、有難がっているんじゃないかな。消される寸前に恐怖を感じても、消された後は覚えていないわけだからな。あまつさえ苦悩から開放されたと女神の教えによって刷り込まれるわけだ。まったく苛立たしいことだ・・・なぁ?」

「他国からの来訪者でさえ、この国のこの政策を聖なる施しだと思っている者が多数ですしね。まぁ、疑問を抱いてる人間はいないことはないでしょうが・・・」

「そうかもしれないが、あまりにこの国の印象が良すぎるのが問題だろう。飢餓に苦しむ国への援助から、弱小国への資金援助。聖創力という神の力に、聖騎士という強力な守護兵。豊穣な国土。レグレットのことを差っ引いてもお釣りがくる。しかも、支障が起こっても大抵のことなら、うちの暗部が隠蔽するからな」


スロープを登りきり、今度は横にも縦にも長い磨かれた階段を上る。ヒースは正面から城に入ったことを失敗したと内心舌打ちする。

じんわり汗が額に滲んだ。

しかし、誰が足を止めてやるものかと気合が入りもするから、陰鬱な気分を紛らわせるには丁度良かった。


「その援助資金がどこから出てるとか、他国の政治に介入してるとか疑わないんですかね」

「疑ったとしても、記憶を消すか暗殺して、残った証拠を消せばいい。実に、きれいさっぱり何も残らない」

「ははぁ、なるほど」


ルルドは呆れたように鼻で笑った。目は鋭さを増して、陽気な雰囲気が途端に冷気を帯びた。


「しかし、どうも腑に落ちないな。いちいち人の記憶を消すなんて面倒な政策を、なぜ始めたんだか・・・。人の記憶を消すなんて物騒な想師を封師みたく個人の生業にできないのはわかるが、国が想師の給金を払う金だけでも馬鹿にならないというのに」


国家機関の一つである官師が、国を離れて個人業になって分裂したんのが封師だった。その分裂する契機となったのが国庫の問題だったという。


「お前の言うとおり気味の悪い政策だよ」

「正常政策とはよくいったもんです。俺にしてみれば「全く異常政策」とでも名づけたいんですけどね」


親しい人間が死んで悲しみ、レグレットになって悩む。

そんな不運に見舞われた記憶を消して、正常に戻すことから人々は正常政策と呼ぶようになっていた。国の一つの大きな政策であるはずだが、その実、不明な点も数多い。


重厚で繊細な意匠をこらした扉を、歩哨に立っていた兵が丁重に開けてくれる。

二人は城内に入ると口を噤んだ。前にルルドが東国流に、「魑魅魍魎の巣」だと城内を表現したが、その意味を聞いてヒースは適当だと自嘲気味に笑ったものだった。


そんな生まれ育った城の変わらない寂静とした様が、帰還したヒースには異様に感じこそすれ、安堵とはほど遠いものだったのは言うまでもない。


向かいに現れたずんぐりした老人と、目立たない位置に佇む見覚えのある男を見て、嫌な予感が当たるだろうことを確信する。


ヒースの記憶が正しければ、老人はボーゼスという大司教の位でありながら汚職を働く悪人で、影に立つ男はそのボーゼスに復讐を誓う暗部である。


「さっそく何か起こらなければいいが・・・」


呟いたヒースに、ルルドは眉間に皺を寄せた。

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