第一章 奇妙な信仰
空が赤く染まり、黒煙が狼煙のように火事現場を知らせてくれる。
しかし、ヴァッツが視認できる景色には、すでに穏やかな町並みしか目に映っていなかった。
ヴァッツはしばらくの間、先ほどの非日常的な景色をまるで名残惜しむかのように目を眇めて探していたが、ようやく飽きたのか、窓から体を離して座席に収まった。
「こんなに急ぐ必要ってあったの?それに、俺なんかが同行してよかったのかなぁ?」
拗ねるような少年の声に、ヒースは大袈裟に肩を竦める。
「いつから官師見習いの教育が始まるのかは知らないけどね。普通に歩いて城に向かったら、遅刻する時間だろうという事はわかっているし、気にするぐらいの良識はあるつもりだけどね」
さっきまでと打って変わって、ヒースの口調は柔らかい声に意地の悪い響きが混ざった。
「そ、それはそうなんだけど・・・」
「気を使う必要はない。たまたま行く方向が同じだっただけだし―――」
「何より面倒事には巻き込まれたくなかった。要するに司教様はトンズラなさったわけだ」
話をしっかり聞いていたルルドは、ヒースの言葉が終わらぬうちに代弁してしまう。外で手綱を握る男の声が風を切る音と混じる。そのため、よく聞こえるように大声でしゃべるから聞く人間の耳は痛い。
「そんな身もふたもない。聖職者ってとっても慈悲深くて、女神に敬虔な人って教えられたよ!消火活動を手伝うのが慈悲深い聖職者がやることでしょう?」
「いいや。ペントラルゴの聖職者が、もし消火活動なんかやっていたら、ただの困った時の人気取りさ。それに最古の聖書によれば始祖ラルゴが飢饉で死にかけたとき、降臨した女神は力を分け与えただけで自身はすぐ姿を消してしまったらしい。要するに、自分のことは自分でなんとかしたということだ。『慈悲深く人を助けよ』などという教えもない。よって、そんな敬虔な使徒である必要もないという見解に行き着くわけだ」
「女神の教えはともかく、こんな人間になったらいけないってことは教訓になったよ」
事実、ヒースの語る教えはヴァッツが今まで聞いた聖職者の説法の中で聞いたことはない。神への冒瀆ともいえる。
「ははっ、なるほど一理ある」
その答えが気に入ったらしく、ヒースとルルドは声を揃えて笑い声を上げた。
癖の強い大人二人に同行する気の毒なヴァッツは疲れたように、ふぅぅ~と溜息を吐く。
どうやらとんでもない伝手を持ってしまったらしい。
馬車が緩急のある坂道を通り過ぎた。
第二周壁目の関所にいる憲兵に、ルルドは二、三話しかけ、軽く手を振って通り過ぎる。
ヴァッツは、さっきのルルド達の戦いを思い出してゆっくり感動に浸っていた。
以前、城でヴァッツ達見習いに戦法を教えてくれた教官が説明していたが、現実に目で見るとそれ以上だった。聖騎士の剣はレグレットを切れるだけでなく、火や水を切るといった物理的に難しいことを可能にする聖創力が付加されている。
またヒースに関していえば、聖創力を身につけている聖職者は光具を使わないと事前に教官からは教わっていたが、まさか素手で炎を握り潰すとは話しで聴くより衝撃的だ。
「やっぱり、女神の力が存在しているってだけで信仰心が深まるよなぁ・・・・」
そんなヴァッツの独り言を聞いていたヒースは、他人事のように相槌を打つ。
「確かに、他に神の恩恵を顕著に受けている宗教なんてないしね。まぁ、だからこそ、これほどルイースフェル教が各国まで広がったんだろうけど・・・」
いるかどうか分からない神を信じるより、聖創力によって神の存在が証明されている宗教の方が信者が増えるのは当然だった。しかも聖創力という奇跡の力で人々を助ければ、なおさらその信仰を深めることにもなる。実際、聖職者を各国に派遣するという国の政策は効果覿面であり、エイリア国にはそのために行っていた。
「へぇ、やっぱりすごいな」
ヴァッツが素直に感心する。
それを見たヒースは「・・・確かに凄いね」と、そっけなく頷いた。
信者が増えると巡礼者がペントラルゴの首都でもあり、聖地でもあるコルチェにやって来る。そして、様々なところでお金を落とし、必然的に都市の経済は潤う。
一般的な信者の知らぬところでいうなら、聖創力を使った営利事業が行われていたりもする。信仰を深めるその力は善行だけでなく、資金開拓にも使用されている。そんな教会の裏事情は、むろんの事だが、ヒースはよく熟知していた。
「ところで聞いてみたいことがあるのだけど、いいかな?」
ヴァッツはもったいぶった問いかけに、まだるっこしさを感じつつ「何?」と問う。
「レグレットがこの頃増えてるとか、そんなことを噂でも良いから聞いたことはないかな?」
「どうだろ、確かに前より封師の師匠がレグレットを浄化する回数が増えた気がするけど。俺、三年間しか記憶がないから」
ヴァッツはヒースの視線を避けるように足元を見やった。
ヒースは「そう・・・」とだけ言って、それ以上追求しようとしない。
「・・・ごめん、ちゃんと答えられなくて」
「こちらこそ。嫌な思いをさせたみたいだ」
「記憶がないからって困ったこともないし、師匠との生活も楽しいし嫌なはずないよ」
「本当に?それならいいんだけど。記憶がないという事が君にとってはつらい事じゃないかと思ったんだけどね」
「まさか、そんな事ないよ。だって記憶があったら親が死んだ事を思い出さないといけないし、だから、僕は記憶がなくてよかったんだよ」
「そうだね・・・。何が良いか悪いかなんて自分が決めればいいんだしね」
「・・・そうだよ」
疲れたようにヴァッツは俯いて口を噤んだ。