第一章 奇妙な大人たち
・・・一瞬だった。
青い外套がはためき、ヴァッツの上空から落下する炎が真っ二つに割れて消滅した。
軽い着地音をたてて大男が地面に降り立ち、ヴァッツと目が合うとにかりと笑う。
剃り残した黒髭が顔に野性的な印象を与えるが、笑うと目尻がきゅっと細まり愛嬌を感じさせる。
片手に握られている刀剣が纏いつく炎を吸い込み、鋭い輝きを放った。妙に寒気がするほど冴えた剣である。
ヴァッツは炎を断つ剣など見たことがなかったので、恐怖さえ忘れて大男を見入ってしまった。
大男に気を取られていると、黒塗りの馬車が乱暴に開かれ中から人が現れた。
こちらも目に付く異彩の青年で、悠々とヴァッツに近付いてきて繊細そうな手を差し伸べた。
差し伸べられたヴァッツは、少し迷った後、握り返して立ち上る。その際、ずれたゴーグルを直すのを忘れない。乱れた髪も、もちろん直す。
「あ、あのぅ・・・?」
「もう心配ないから」
清涼感のある声で青年は微笑んだ。
細められた目は、鳩の血を固めた紅玉みたいだった。透き通る白光の肌に薄い唇。鼻梁の整った秀麗な顔立ち。束ねられた白銀の髪が白雪のように肩にかかっている。
男性であるのに神々しい。絶対的な美を象った姿だ。
こんな状況でもなければ、ヴァッツも自分の理想の最終形として見惚れていたかもしれない。
しかし、そんな相手に返した言葉は、極めて現実的な言葉だった。
「あの、その・・・心配ないって、あれがかなり心配なんですけど??」
ヴァッツが顔を引きつらせながら指差した先には、炎の玉が高速でむかってきていた。
「あぁ、あれね」
青年は無造作に片腕を上げ、自分の大きさほどある炎を鷲掴みで握り潰した。
「はぁぁぁあっ?!!!!!」
「だから、心配ないって言ったでしょ」
青年は場違いなほどゆったりと微笑んで、今度は両手を突き出した。
その先には、一直線にレグレットがこちらに向かって来ていた。
細い指先に触れるかというところで、レグレットはつま先から銀の炎に包まれて・・・消滅してしまう。あの耳障りな悲鳴もなく、まるで霧が晴れるかのように自然に浄化されてしまった。
「すごい・・・・・・・」
ヴァッツは茫然と呟いた。
「・・・ねぇ、どうなってるの!?ペントラルゴの司教様と聖騎士様・・・だよね?」
「この年でなりきり趣味は変態だぞ。少年」
「それだけでなく、間違いなく良識を問われてばれたら捕まるね」
「じゃあ、首にあるルスフェルの刺青も真っ白な法衣も、青い外套も本物なんだ?」
疑惑と残りの好奇心をくるくる入れ替え問いかける子供に、二人の大人は肯定の頷きを返した。
ペントラルゴの聖職者は、ルイースフェル女神の象徴である赤い花の刺青で身分がわかるようになっている。司教は茎と花弁三枚でそれとわかる。純白の法衣は、ペントラルゴの聖職者の規定服だ。
対して青い外套は、ペントラルゴの上級守護職聖騎士の装いである。司教と聖騎士ほどになると滅多に会うことのない身分の人間なので、ヴァッツが疑ったのも無理はなかった。
「おそらく本物じゃよ」
「博士?」
いつの間にかヴァッツの背後に、渋い顔の博士が立っていた。
「間違っていたら申し訳ありませんが、もしやあなた方はヒース=ロウ=ペイテェス様とルルド=マクレガー殿ではありませんか?」
ちりちりになった髪と汗で汚れながらも、鹿爪らしい顔で博士は問いかけた。いつもと違う改まった博士の態度にヴァッツは首を傾げる。
「そうですよ」
大男、ルルドがあっさり頷く。
「やはり。北方のエイリア国に布教活動に行ってらっしゃったそうですが、お帰りになられたのですな」
「えぇ、入国したのは昨日ですよ。それにしてもよくご存知ですね?」
ちりちり髪の薄汚れた博士に対しても、青年・・・ヒースは礼儀正しい。
「エイリアでもお二方がご活躍だったと手紙で教えてくれる者がいるのです」
「ははぁ、なるほど・・・」
「なぁ、博士。この司教様たちって実はすっげぇーーーーー人達なわけ?」
話についていけず置いてきぼりをくらったヴァッツは、好奇心に負けて大人しく聞き役に回れなかった。あまりに明け透けな物言いに大人三人は苦笑を禁じ得ない。
「ヴァッツ、こちらのヒース様は現法王様のご子息で、ルルド殿は聖騎士三番隊長をしてらっしゃるんじゃよ」
「ヒース様はともかく、私が有名になったというなら司教の護衛という立場故というものですよ。次期法王候補という特殊な立場でいらっしゃいますからね。というわけで、今のうちにヒース様にゴマを擦っておいたらどうだな?少年?」
どうやらヴァッツは、ルルドに気に入られたらしい。ルルドは渋みのある顔が一変し、愛嬌たっぷりに冗談を言った。それに対し、
「うん。それもいいかもね。なんたって俺、将来官師になるつもりだからそういう伝手があっても悪くない」
と、大人ぶった態度で冗談めかして返答した。これにはルルドはもとよりヒースも声を上げて笑い、場は一気に和んだ。
だがそれは一瞬のこと。火に左右囲まれた状況と、官師を連れてきた憲兵の姿によって、すぐに掻き消えた。官師と思しき緑青色の長衣が「レグレットはいません。消火活動を行ってください」と、叫び現れたからだ。
遠巻きに様子を見守っていた人々は、その鶴の一声により、一斉に各々動き始めた。さすがは商業地区の人間というだけあり、行動は素早く無駄が無い。各自、人名救助をする者と消火活動をする者に分かれ、使用人や家人に各々の主人が支持を飛ばしているのが目に付いた。
「ルルド」
「はいはい。分かってますとも」
意味深なやり取りで、二人の間では話が通じたらしい。それを見ていたヴァッツは、「なんだろう?」と、視線をやるが博士は首を横に振る。
「もしかして君は、光具を持っていることからして、今から城に行く見習い君じゃあないか?」
「そうだけど、それが何?」
ヒースが「そうか」とだけ答えて、乗ってきた馬車に乗り込んだ。それに続いてルルドが「ついて来い」とヴァッツの首根っこを捕まえ馬車に押し込み、自身は馬の手綱を引いた。
「じゃあな、爺さん。気をつけて帰れよ」
「あぁ。城に行きなさるんじゃな?その方がいいじゃろう」
それを聞いて、ヒースは座席に身を沈ませて、唇を吊り上げて笑った。
「えっ?は、博士!?」
「城まで送ってもらいなさい。ヴァッツ」
博士はそう言って手を振り、馬が嘶いて動き始めた。
車輪が回れば回るほど、だんだん火に照らされた町並みと博士が小さくなっていく。
それでも火事現場からは子供がいないと騒ぐ母親の声や、炎から逃げ惑う人の声がヴァッツの耳から離れることはなかった。