第一章 奇妙な偏見
淡い陽光を受けて輝く石畳を軽快に走り抜ける。
赤煉瓦の家が並ぶ通りを抜け、三周壁目の門を通り検問所の憲兵とヴァッツは挨拶を交わす。
内緒で憲兵の誰かが飼っているらしい黒猫の眠りを妨げないようにすり足で門を潜ると、そこには朝から賑わう商業地区がヴァッツを迎えてくれる。
朝市が立つ西通りを避けて、幾分静かで人通りの少ない東通りを進んでいると、前方に三人の子どもが一人の老人の行く手を阻んでいた。
「おい、何やってんだよ!」
思ったとおり、赤い果実のような丸鼻の老人と、尖り目と丸目と細目の少年である。
ヴァッツは不穏な空気を見て、老人と子供たちの間に体をわり込ませた。
すると、一見純朴そうな少年達が、目を陰険に光らせてヴァッツに視線を向ける。
それは敵意と嘲りを含んだ目だった。
「ふん、脳無しヴァッツか」
尖り目の少年が、逆三角形の目をさらに鋭くして吐き捨てるように言う。
黙っていれば物静かな少年に見えるのだが、今はただの平凡な悪ガキにしか見えない。
「博士に何してるんだよ!!」
「別に、歩いてたら後ろにこのバカ博士がいただけだよ」
バカ博士とは、いつもくだらない発明に身を捧げている老人を、馬鹿にして付けられたあだ名である。老人は、近所で名の知れた発明馬鹿と評判だった。
「お前たちは両手を広げて後ろ向きに歩くのかよ」
「どんな歩き方でも人の勝手だろ。それとも憲兵でも呼んでくるか?」
無論の事だが、そんな馬鹿馬鹿しい理由で憲兵を呼べるはずもない。
だからといってヴァッツはこの博士と昔から懇意にしているので大人しく引き下がるわけにもいかなかった。まだまだ子供だが、男としてのプライドがそれを許さない。
ヴァッツと丸目達はしばらく白熱した睨み合いになった。
「もう、いいかげんにしたらどうじゃ。お前さんたちはあそこへ行かないといかんのじゃろうに、遅れても知らんぞ」
すると、ずっと黙っていた博士と呼ばれる黄ばんだ白シャツ短パンの老人が白大理石の城を指差した。
皆一様に城を仰ぎ見て、特に三人の子どもは呆然と見つめた後に顔色を変え、体を返して走り出した。
それを今度は博士とヴァッツが呆然と見送り、顔を見交わしてプフッと噴出す。あまりに呆気ない悪ガキの退場にもう笑うしかない。
「ふん、どっちが馬鹿なんだよ」
「まぁまぁ、あんな小僧どもでも官師になることには真剣なんじゃろう。さすが城に官師見習いとして教育を受ける権利をもらった子供たちじゃ」
「官師は国に保障された権威のある職業だからアイツ等も必死なんだろ」
と茶目っ気のある博士の皮肉を笑いつつ、ヴァッツ自らも官師見習いとして城へ向かう者であるという自負に瞳を輝かせた。
城に呼ばれて官師見習いの教育を受けることができる子どもは数少ない。
悪ガキ達とヴァッツは、将来官師になることを保障されていると言って良い立場だった。
ペントラルゴは、ルイースフェル教の最高聖職者である法王が統率している完璧な政教一致国家である。つまり、国を動かしているのは聖職者といえるわけだが、官師、想師も国の重要な役割を担っている国家機関なのである。
「ところで、ヴァッツは『脳無し』と、記憶のない親御さんのことでそう言われておるのか?」
博士が鼻を掻きながら何気なさを装って訊いてくる。
「家族の記憶がないから『脳無し』。全くアイツ等も、家族が死んだら記憶を消されるかもしれないのに・・・。今のアイツ等にしてみれば、俺は孤独で可哀想で、だから自分たちの方が幸せで・・・優越感を感じちゃえるらしいよ。孤独かっていったら師匠がいるし、可哀想かっていったら記憶がないから何も思わないんだけどな。博士ならわかるでしょ?」
ヴァッツの親は三年前に亡くなり想師に記憶を消された。
なぜだか親のことだけでなく全ての記憶を消され、ピトロに預けられた時からの記憶しか思いだせない。それでも平穏で少し刺激的な楽しい生活を過ごしている。
「まぁワシぐらいの年齢になると、親が先に死んで家族の記憶を消された人間ばかりじゃからな」
「だよね。覚えがないことで馬鹿にされたって、まるで他人事みたいに聞こえるよ。記憶がどうした、思い出がどうしたって言ってやりたいよ」
「ワシは、たまに記憶がないことに寂しくなる時があるぞ」
「でも思い出したら、その人がどうやって死んだのかも分かっちゃうんだよ?そんなの、辛いことなんじゃないかな?」
あまりに真剣な形相で言い通すヴァッツに、博士は好々爺のような笑みを浮かべて「そうかもしれんの」と頷いた。
同意したというよりは、ヴァッツに理解を示したという方が正しい、そんな頷きだった。
(なんだよ。複雑な答え方して)
ヴァッツには博士の態度と返事が、子ども扱いされたものだと感じて口を引き結んだ。
―――そして、突然異変は起こった。




