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第三章 牢獄での闘い

 神父が落ちついたのはいつ頃だろう。窓もないので、外の様子も分からなければ、時間も判らない。しかし、その頃には頭も微かに痛む程度に回復していたため、ありえないくらい長い間、大の大人が泣いていたのは確かだった。


「すみません。私は一度泣き出すと、止まらなくなる体質でして」

「いいよ、諦めたから。それで、どうしてここにいるの?俺、まだ誰に捕まったのかもわからないんだよね」

「あぁ、そういえば説明してないね。あのね、おそらく君は売られるんだよ」


目は充血していながらも爽やかさを失わない笑顔が、とんでもないことをさらりと教えてくれる。


「・・・売られるって、まさか人身売買?」

「子供限定のね」

「ボーゼス?」


ヴァッツはあの冊子に書いてあった悪人の名をすぐに思い浮かべることができた。


「なんだ、知ってるんだね。そのボーゼス大司教の領有地で私は子供が売られているのを知ってね。調べてみたら領主であるボーゼスが黒幕だとわかって、運悪くその張本人に捕まってしまったってわけだよ。そろそろ記憶でも消されるんじゃないかなぁ」


笑えないことを爽やかに言う神父を、ヴァッツは心から哀れに思った。だが、それなら第五地区で倒れていた自分は、好都合とばかりに連れ去られたことにも納得する。無法地帯とまではいかないが、子供が拉致されているのを目撃した人間がいたとしても見て見ぬふりは当たり前の土地だから、連れ去る方にしてもいい獲物だったに違いない。


「だとしたら俺・・・売られる前に殺されるよ。きっと」


ヴァッツは博士に相談しようと、あの冊子を持ち歩いていた。当然荷物も没収されているらしく、手元にそれがない。果たして、悪事を証明する調査書を持っていた子供を悪党はどうするんだろう。しかも、トスティンが欲しがっていた冊子に記された人物は、普通に考えて、ピトロらを攫った奴らと同一人物だと考えられはしないか・・・。そこまで考えて、自分が絶望的な立場にいるのだと悟った。


そして、運命とは皮肉なもので、タイミングを計ったように足音が近づいてくる。


「聖職者って普通、無殺生だよね」

「言いたいことはわかるけど、一般人でも人身売買は禁止されてるよ。殺生なら猶更」


神父は決まりが悪そうに、申し訳なさそうに言った。足音は牢の前で止まる。白いフードを目深に被った、丸目を襲った人間が冷気を纏って立っていた。


「そこの子供。牢から出ろ」


意外にも女の声だったので驚く。動こうとしないヴァッツに、開けられたドアから無理やり引きずり出された。


「その子に何をする気なんだ?」

「お前の知ることではない」


神父は声を上ずらせながらも問うてくれるが、返ってきたのは心臓の凍るような声音でしかなかった。ヴァッツも掴まれた手を振りほどこうとするが、びくともしない。再び閉められた牢に神父だけを残して、ヴァッツは白フードに連れられて無理やり歩かされた。


「この子達をどうするんだよ?」


牢に入っている間は知ることもできなかったが、ヴァッツ達が入っていた牢の隣にも同じような牢が続いていた。中には怯えた子供が、一つの牢に何人かに分けられて投獄されている。

ヴァッツは想像を絶するひどい状況に目を逸らす。


「お前は知っているはずだ、そうだろ?」


上から見下ろすその目は悪魔のような冷酷さを備えていた。ヴァッツはその視線を浴びるだけで冷汗三斗する。


「なぜ、あの冊子をお前が持っている?」

「知らない」


クムジェン達に害が及ぶことを危惧して咄嗟に嘘をつく。すると、白フードの繊手が強烈な張り手を放ち、その衝撃でヴァッツは鉄格子に背中から当たって崩れ落ちた。


「正直に言え」

「知らないって・・・言ってるだろ」


ぐったりしているヴァッツを冷眼視し、引っ立ててヴァッツを合金製の扉の中へ押し込む。


「見てみろ。あの子供達のように、地獄を味わいたいのか?」


幾つもの寝台に乗せられた子供達・・・いや成人間近かと思われる人間が大半だが、チューブのようなもので血液を抜き取られている。また、棺桶の蓋に針が無数についた器具さえ置かれていた。


「まったく、法衣が白色と誰が決めたのやら。汚れが目立って気にくわん」


どこからかそんな話し声が漏れてくる。場にそぐわない陽気な声だ。


「今度は法衣を黒にするように聖会議で進言してみてはいかがです」


大勢いるようだった。部屋の中央に階段があり、一階下と繋がっている。ヴァッツは白フードの手から逃れ、走り寄って手すりから下を除くと、白い法衣を着た数人がぞろぞろと部屋を出て行くところだった。


「それはいいな」


中でも中心的な人物と思わしき猫背の法衣が談笑してから姿を消した。


「・・・・もしかして、あれがボーゼス?」


想像以上に悪人面だ。見目が悪いし体格も気持ち悪い。何よりこれほどひどい犠牲と悪行を行ったのが、こんな純白の法衣の似合わない三流悪役みたいな人間かと思うと気分が悪くなった。いや、気持ち悪くなったのは、ボーゼスのせいばかりではない。


部屋に入ってから、喉に詰まるような濃い血の臭い。それから、血溜りの床や死体、管の通った人間などといった殺伐とした光景は、まだ子供のヴァッツが耐えられるものではない。足が震えて立っている感覚もなく、踏み止まっていられたのは意地としかいいようがなかった。


「どうした?冊子のことを話す気にでもなったか」


白フードは意地の悪い笑みでわざわざ問う。それに反発するようにヴァッツは相手を一番恐い顔で睨みつけた。


「師匠達をどうしたんだ?知っているんだろ?」

「師匠?あぁ・・・あの長髪の男か。安心しろ。子供は死んだが、大人二人は生きている」

「・・・死んだんじゃないか」


ゆっくり近づいてくる白フードから逃れようと後退りするも、足がふらついていたヴァッツは死体の腕に躓いて尻餅をつく。追いつかれて女の顔を仰ぐことになった。


「どこで見つけた?」


白い手が伸びてきて、咄嗟に転がって避ける。ヴァッツは白フードの女に掴まれたら最後だと確信していた。


華奢な女だが、その力は大の男よりも強い。怪力とかそんなものではなく、それが聖創力のためだとヴァッツは看破していた。


(見た目に依らず強引な行動は、力に頼りすぎている証拠だ。そこを上手く衝いたらなんとかできるかもしれない)


ヴァッツは動悸を押さえて集中した。ここで何も考えず逃げようとしても、簡単に白フードに捕まることは明らかだった。

これまで何とかなってきた。逆行に強い自分を信じるしかない。


・・・・決意は固まった。


相手の手に数本の小剣が握られているのを見て、素早く跳ね上がり駆け出したヴァッツは、自慢の俊敏さで全て紙一重で避けきる。後方に高く飛んだヴァッツは、管つきの子供が眠る寝台に身を潜ませて様子を伺おうとするが、寝台に眠る子供に小剣が刺さった瞬間、その爆発的な威力にそれは粉砕し、吹き飛んだ。


「見境なしかよ」

「大事な実験体をこれ以上廃棄したくない。大人しく捕まれ」

「あんたが吹っ飛ばしてるんだろ!嫌ならやめろよ」


管が外れて流失した血が口に入り、咳き込んでいると、頭上から何かが降ってきた。手にはずっしり重い、首から上のおそらく青年だろう生首が収まっている。首筋にあるルスフェルの刺青が生々しい。ヴァッツは、「わっ」と叫んで近くにそれを置いた。


「・・・あんた達、聖創力の研究でもしてるのか?見たことのある顔がある・・・」


ヴァッツは直感的にその生首を見て、ここで何が行われているのかがわかってしまった。寝台に横たわっている若者達は、城と関係のある聖創力を有する聖職者・官師・封師の若手である。だから、ヴァッツが知った顔なのも当然だった。これらのことから導かれる実験体の共通点は簡単だ。つまり、それは聖創力の恩恵を受けている体であり、拉致のやり易さから子供を選んでいるのだと、推測できる。


「・・・なかなか賢いではないか」

「・・・・攫っているところを丸目に見られたから、あんな目に合わせたの?」

「半分は正解だ。目撃されたのは本当だが、気づいていなかったようだからな。見習いなのは残念だったが、優秀な子供は高値で売れる。お前も官師見習いなのだろう?冊子のことを話したら記憶を消して命だけは助けてやる。この少年達のように惨い殺され方はされたくないだろう?」


白フードは喉でこもった笑い声をたてながら歩みを進める。近づいてくる靴音が響いて、心臓の音と重なる。


「あんた・・・どうしようもないくらい最悪だ。命ある人間を何だと思っているんだ!」


そして、数本同時に飛ばされる小剣がヴァッツがいた床をくり貫く。

だが、ヴァッツはそれより早く天井にぶら下がっているランプに掴まり、反動をつけることで瞬時に女の懐に入り、蹴りを入れた。


相当勢いがついていたらしく、女は吹っ飛び床に崩れ落ちる。それを目端で確認すると、ヴァッツは階段の手摺りを滑り降り、ボーゼスらが出て行った扉に飛びついた。取っ手の部分が僅かに傾くだけで開かない。


「愚かな。大人しく話せばいいものを」


瞬時に白フードの掌から今までの最高数の小剣が投げられる。その数およそ数十本。避ける隙間なくそれが飛んでくる。


(避けられない)


今度こそ死ぬと思ったヴァッツは、両手を突き出して身構えた。尖った幾つもの先端がヴァッツを焦点に集結し、地面にゆっくり落ちた。

床に小剣が落ちる軽い音が響く。

白フードは、目の血管が切れて充血するほど見開いていた。


ヴァッツの足元に落ちた小剣が、小さな山を床に築く。


「すっげぇ~」


ヒースが一度手で炎を消したことがあったが、おそらく同じ原理だと賢く悟ったヴァッツはこんな状況だが自分の手を眺め、驚喜する。他方、女は凶器じみた眼光の鋭さが増す。


「何者だ。官師見習いではなかったのか?」

「そうさ。でもどういう訳がこんな力があるみたいだけど」

「ふざけおって。どこの家の者だ?」


(知らないっての。しかも、知ってても教える義理なんてないっつーの)


逃げることが不可能なら、もう白フードを倒すしかない。ヴァッツの頭の切り替えは速かった。跳ねるように身を翻して、白フードとの距離を計算する。


(いける)


白フードは油断なく、階段を上がってくるのを見越して凶器を投げてくる。ヴァッツは一投目に投げられた小剣と交錯するように、事前に拾っていた小剣を投げつける。ヴァッツの投げた獲物が、白フードの女の放った獲物に隠されて、女に気づかれないまま至近距離まで近づく。その間、ヴァッツは手摺りから跳躍して二階に上がり、さらに距離をつめる。


「なに!?」


白フードはヴァッツの投げた小剣を(すんで)のところで避け、二投目の小剣を放つ。明確に獲物を投げる速度が増している。空を裂いて飛来するそれは、落ちた先にある物を、壁でも人肉でも粉砕する。しかし、ヴァッツはその小剣の群に突っ込んで、手を翳す。聖創力がもし使えなければ顔どころか上半身が吹っ飛ぶところだが、鈍い衝撃だけですんだ。そうして、白フードの間近に迫る。


「小癪な小僧め」


白フードはヴァッツが近距離に来たことで、小剣を握り、そのまま切り込んできた。まるで自身ごと刃になったような鋭い身のこなしに、ヴァッツは体勢を崩して前屈みに倒れた。・・・かに見えたが、足先で床を強く蹴り上げる。


「子供だからってなめるな!」


強く蹴り上げたことにより、床の血溜りが撥ね、白フードの顔に降り掛かる。


 ヴァッツの跳び膝蹴りが白フードの肩、蹴りが腹に命中したのはそれからすぐだった。視界が利かなくなった白フードは避けられず、血の池に沈み、意識を失った。


「力に頼りすぎるのがいい事ばかりではないんだ。何より、子供だからって甘くみていたのがダメなんだよ」


ヴァッツは誰とはなしに呟いた。すると、部屋の片隅から乾燥した音が聞こえてきた。


「かっこいいじゃねぇか」


崩れた壁、濃厚な血臭、粉塵の中から一つの瞳が光った。飛び跳ねるように脈打つ鼓動を持て余して、その姿が現れるのを待つ。すると、大袈裟なくらい強く拍手をし、脂下がった顔のトスティンがヴァッツを見下ろしていた。血生臭いばかりでなく、白フードの怪力で吹き飛んだ器具が散乱するなか、身軽に飛び越え間近に舞い降りた。


「いつからいたの?」

「ヴァッツが聖創力を使ったあたりからいた」


死にそうになっていたにも関わらず、傍観していた相手の様子が疎ましく、自然と声も低くなる。しかし、近くで見るトスティンの表情は、ヴァッツの背に悪寒を走らせた。思いつめたような内に篭った光が眼光に宿り、笑みを浮かべる口元は殺風景なその場に似合わない。

ヴァッツはトスティンの異様な雰囲気に、喉をごくりと鳴らした。


「なんだ。怒ったか?それは、そうだよな。でも俺はお前なら勝てると思ったから何もしなかったんだぜ」


飄々と言う。黙ったままのヴァッツを怒ったからだと解釈したトスティンは、声こそ陽気だが、ヴァッツには白フードより恐ろしかった。


「お前に大口叩いて、ピトロ達がどこへ連れ去られたか検討がついていると言ったが、結局見つけたのはお前の方が早かったらしい」

「見つけたというか、捕まっただけだよ」


不貞腐れて否定する。ただ捕まって、ここに連れてこられた。しかし、それは成り行き上そうなっただけでヴァッツ自身がここを突き止めたとは言えないし、ましてや褒められることでもない。

気絶して倒れるとすぐに目的の相手に誘拐されるだなんて、どれほど相手は子供を捉えて売っていたのか。それを考えると非常に背筋が凍る思いだった。


「でも、お前がこの女に勝ったことは褒めてもいいんじゃないのか?」

「そうかな。ただ必死だった、それだけだよ」

「それでいいのさ」


トスティンの鋭利な眼光がその時ばかりは丸みを帯びた。その顔は、確かにその場に似つかわしくないが、心から安堵できるものだった。


「さぁ、ピトロ達はこの下の扉を抜けて、左に曲がった突き当たりにいる。牢の鍵はもう渡してあるし、一緒に逃げるといい。俺はこっちの上の階の子供を助けるから」

「わかった」


ヴァッツの心に黒い靄がかかったような不安があったが、判然とせず部屋を出た。そして、数歩進んだ後振り返る。別段変わった物音もせず、血の臭いもない。ただ壁面に備えつけられた蝋燭に灯る淡い火がゆったり揺れているだけだ。


しかし、今、出てきた扉は開こうとはしなかった・・・・。


ヴァッツは開かない扉に寄り掛かるようにして額をつけた。子供ながらに、トスティンが何か重いものを背負ってこの場に来ていることを察していた。

何が起こっているのか混乱していたものの、トスティンの身の安全を願った。





 ヴァッツが出ていった後、持っていた鍵で扉を閉めたトスティンは、赤色に染まったフードを足で蹴って女の顔を(あらわ)にした。


「やぁ、起きたか?」

「見れば・・・わかるだろ」


女は虚勢を張った震える声音で答えた。


「恐いか?」

「・・・・」

「リディアンを覚えてるだろ?」


その名を聞いて、見るからに白い顔が青くなる。


「なぜ、お前は生きている?確かに私は・・・」

「俺達の、住居を完全に燃やした?」

「・・・そうだ」


素早く状態を起こして立ち上がろうとした女の鎖骨が音をたてた。トスティンは、白フードの肩を踏んだ足に重心をゆっくり乗せる。女が悲鳴を上げた。


「俺は生き返った。だから、彼女の思いを叶えるぞ」

「哀れな。妻や子を亡くして辛いなら、記憶を消して生き直せば楽なものを」

「人の心は、同じ立場に立たなきゃ理解できないもんだ。自己中心的で幸せを謳歌するお前達は何も考えないまま、人を踏みつけて更に幸せになろうとしている。そんなお前達には到底理解できないことだろうよ」


今度はゆっくり腕を踏みつけた。白フードの顔に恐怖が現れた。


「私達が幸せだと?望む力を持てなかった私がか!?」

「あぁそうさ。俺からみれば、お前は隣の芝ばかり気にしている金持ちの馬鹿娘さ」


トスティンはゆっくり懐から長い針を取り出した。

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