第三章 攫われた先に
ヴァッツは、すぐに博士のいる第五地区に足を運んだ。
第五地区と言っても、実際は第四地区の一地域にすぎず、ここに住む住民はルイースフェル教とは別の信者や外国からの移民、またはわけありの者で構成されていた。そのため、治安はコルチェのどこよりも荒れた地区で知られている。
博士の家はピトロの家の近所にあるのだが、博士の発明品によって幾度も迷惑を被った住民の怒りに触れ、研究所だけ苦情もこない、第五地区へ移転させられたという経緯があった。
日頃からピトロに一人で第五地区には行かないように注意されている手前、ヴァッツは何でもないように見せて、街を歩くだけでかなり緊張していた。壁が剥がれて古くなった高層の建物が、日の光を遮り断層のようになっていて陰気くさい。通りすぎる人間全てが悪党のように見えてくる。おまけにひどい頭痛で、足元がよろめいた。
(これで今日何度目だろう、想師の頌歌が歌われるのは・・・。今まで頌歌を聞いては忘れていたから気にならなかったんだろうけど、抵抗できるようになったらこんなに体に負担がくるなんて・・・。それにしても今日はキツイ・・・)
声は聞こえないが、トスティンが歌ったときのような忘却の歌がヴァッツを悩ませる。ペントラルゴで何人命を落としているか今まで一切気にしてこなかったが、こうして体感すると否が応でも人の生き死について考えさせられるものがあった。
この歌の中に、攫われた三人の歌もあるかもしれないと想うと頭痛がさらにひどくなるようだ。
ヴァッツはふらふらと近くの外壁に寄り掛かった。
(・・・・視界が暗い・・・・)
ヴァッツの額には、気づけば額に汗がはりつき、指先が痙攣しはじめていた。(まずい、どうしよう)と焦燥ばかりが募るが、繰り返される頌歌と張り詰めた精神が我慢の限界に達し、意識が暗転したのは第五地区のまだ入り口付近だった。
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(俺の人生この頃ついてなさすぎる。怪我するし、憑かれるし、薬飲まされるし、倒れるし、閉じ込められるし・・・うるさいし・・・・!)
ヴァッツは今の現状を受け入れて、深い深いため息が口から洩れた。
「君、大丈夫?連れ去られる時に怪我でもしたのかい~?」
衣擦れのする方を面倒に思いながら見やると、同じ牢の薄汚れた法衣の神父は自分ごとのようにオロオロしている。
長い間囚われていたらしく、髭も生えて不潔な見目だが、それでも爽やかさを失わない不思議な青年神父である。
どうして、起きたらこんな監獄にいるのかということは当然気になるし不安なのだが、何よりひどい頭痛でヴァッツはそれどころではなかった。
窓もない鉄格子の嵌められた狭い牢屋には、この神父以外は何もない。気絶して、それほど時間は経っていないと思いたいが、なぜ監禁されているのか。完全に意識がなかったのでヴァッツにはわからない。
ただ、頭痛は治りそうにもなかった。
「助けて・・・」
「えっなんて?」
神父はヴァッツの口元に耳を寄せる。
「助けて・・・・みんなを」
頭痛でうんざりしていたヴァッツは、初めて万民の健康と平和を祈った。
「素晴らしい!」
それを良いように解釈したこの神父は目に涙を光らせ、ヴァッツの手を強く握るものだから堪ったものではない。
「こんな状態で、少年が皆のために祈るとは!おぉ女神よ!」
「もう嫌・・・助けて」
目が覚めてから、ずっとこの調子なのだ。頭痛だけではなく善良なうるさすぎる神父と二人きりで、精神的拷問にかけられているようだ。
「俺は想師の頌歌で頭が割れそうなんだから静かにして。頼むよ、神父さん」
心からの懇願に、人の良い神父はやっとヴァッツの心の声を聞き取ってくれたらしい。
「あなたは官師なのですか?」
やっとまともに話しができると、ヴァッツはほっとする。何より不必要に甲高い声が和らいだだけでも、精神的負担が軽くなった。
「見習いだけどね」
そう答えると、わざわざ神父も同じ体勢になるように這い蹲って、視線を合わせ、問いかけてくる。
「なるほど、君は法王様に縁のある聖職者様の息子なのだね!」
「はぁ!?」
ところが、さらに頭が痛くなった。
(もう、次は何なの・・・・!!)
「なんで法王様と血が繋がってるんだよ。もしかして、からかってる?」
「まさかまさか。正式な封師・官師でもなく想師の頌歌を拒絶できるのは、生まれもって聖創力のある始祖ラルゴの血縁だけだよ。聖創力がある人間はおのずと教会内で優遇されるから、高位聖職者の息子さんじゃないかと思ったんだけど・・・・違うの?」
神父はフケを飛ばしながら頭を掻いて、「おかしいなぁ、封師も官師も正式に認定された時に聖創力の恩恵が与えられるから、拒絶できているのに」と呟く。そして、ヴァッツは以前、「高位聖職者にでもなれたかもしれんのに」と言ったトスティンの言葉を思い出す。
(俺の両親は誰なんだ?なんで俺、師匠の所にいるんだろう?)
昔、親についてピトロに問うたが、うまく誤魔化されてしまった。だから、両親はよっぽどひどい悪人だったのだと納得して聞かないようにしていた。詳しく聞いておけばよかったと、まさに後悔先に立たずというやつである。
「そうそう、頭痛は、慣れてくると痛くなくなってくるから安心するといいよ」
「それ・・・本当?」
「本当、本当。これでも、ルイースフェル教の聖職者だからね。女神の力と考えられる聖創力については詳しいんだよ」
「ふーん」
(あんまり信用できないけど)と心の中でヴァッツは呟く。
もうすでに、ヴァッツの中で、この神父が「爽やか頓珍漢」と印象付けされてしまっていた。おまけにヒース司教という法王の息子は、始祖ラルゴの血を引く直系のはずなのに不真面目な教徒だった。そのことからも、聖職者を簡単に敬えなくなっている。
「それで、その勤勉な神父さんが、こんな所に閉じ込められているのはなんで?」
ヴァッツは当たり前に思った疑問を神父に問いかけると、浮遊感のある笑顔は固まり、ふるふる震えだした。目には滂沱の涙を流し、鼻水まで垂れている。
(あぁあ・・・・・、今度は泣き出すんだ)
短時間で諦めに入ったヴァッツは、たった一人のために祈った。
(誰でも良いから、この人を何とかして下さい!!!)




